スカルラッティ(英語表記)Scarlatti, Giuseppe Domenico

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スカルラッティ
Scarlatti, Giuseppe Domenico

[生]1685.10.26. ナポリ
[没]1757.7.23. マドリード
イタリアの作曲家,チェンバロ奏者。アレッサンドロの息子。父や F.ガスパリーニに師事。チェンバロ演奏にすぐれ,1709年にローマでヘンデルと演奏を競い合った。同年ローマでポーランド女王マリア・カシミラに仕え,15~19年サン・ピエトロ大聖堂のジューリア礼拝堂楽長。 21年リスボンにおもむいてポルトガル王に仕え,王女マリア・バルバラにチェンバロを教えたが,王女がスペイン王室に嫁すると,随伴してマドリードに移った。 550曲以上に及ぶチェンバロのための作品は,クラビア・ソナタの源として,鍵盤音楽史において大きな地位を占めている。そのほか,オペラ,コンチェルト,カンタータ,ミサ曲,スタバト・マーテル,サルベ・レジーナなどの作品がある。

スカルラッティ
Scarlatti, Pietro Alessandro Gaspare

[生]1660.5.2. パレルモ
[没]1725.10.24. ナポリ
イタリアの作曲家。オペラおよび室内カンタータの大家。 12歳の年,姉妹とともにローマにおもむいて音楽を修め,B.パスクィーニや A.コレリと交友を結んだ。最初のオペラ『生写しの人』 (1679) の成功で世に知られ,1684年ナポリの宮廷楽長,1707年ローマのサンタ・マリア・マジョーレ聖堂の楽長を歴任。 08年末から新しいナポリ副王に呼戻されて宮廷楽長をつとめた。 17~22年ローマに滞在,その間晩年の作品を上演した。レチタティーボアリアを組にした場面の設定,ダ・カーポ・アリアの形式的な完成,イタリア序曲の創始など,18世紀イタリア・オペラの発展に彼が尽した功績は大きい。作品には 110曲以上のオペラ,約 660曲のカンタータのほかに,シンフォニア,室内楽曲,モテトマドリガル,歌曲などがある。

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デジタル大辞泉の解説

スカルラッティ(Scarlatti)

(Alessandro ~)[1660~1725]イタリアの作曲家。多数のオペラオラトリオなどを作曲し、イタリア‐オペラの完成に貢献した。
(Domenico ~)[1685~1757]イタリアの作曲家・チェンバロ奏者。の子。500曲を超えるチェンバロソナタを作曲し、近代的奏法を創始した。

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百科事典マイペディアの解説

スカルラッティ

イタリアの作曲家。パレルモに生まれ,1672年ころ勉学のためローマに出る。1684年−1703年ナポリ王室礼拝堂楽長。このころからオペラ作曲家として名声を高め,ナポリにオペラの隆盛をもたらすとともに,その作品は国外でも上演された。1702年−1708年にはフィレンツェやベネチアで活動するが,1709年ナポリの職に復帰し同地に没した。その最大の功績はオペラの分野にあり,アリアレチタティーボの機能を明確に分離し,また,のちにイタリア・オペラの典型的な序曲となった急―緩―急の3部分からなるシンフォニアの形式を確立した点が特筆される。約115曲のオペラ(現存するのは約50曲)のほか,800曲以上のカンタータ(セレナータ),オラトリオミサ曲,器楽曲などを残した。D.スカルラッティはその4男。→ハッセ

スカルラッティ

イタリアの作曲家,ハープシコード奏者。A.スカルラッティの4男としてナポリに生まれる。1701年,父が楽長を務めるナポリ王室礼拝堂のオルガン奏者兼作曲家となる。ベネチア,ローマに出て多くのオペラ,教会音楽を発表,ヘンデルコレリと知り合った。1720年リスボンに赴き,ポルトガル王家の宮廷楽長となる。王家の子女のハープシコード教師も務め,またこの地でセイシャスを知る。1729年スペイン皇太子妃となった王女マリア・バルバラに随伴してマドリードに行き,以後スペイン王の宮廷に仕えた。主にこの時代に書かれた550曲を超えるハープシコード・ソナタ(当時の名称は練習曲)は1楽章のものだが,ロココ風の独創的技法に富み,のちのピアノ奏法の多くを先取りした傑作として名高い。その整理番号には今日,イタリアのピアノ奏者・作曲家A.ロンゴ〔1864-1945〕とカークパトリックによるものが主に併用されている。→ソナタハープシコード
→関連項目バロック

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世界大百科事典 第2版の解説

スカルラッティ【Scarlatti】

バロック時代のイタリアの音楽家一族。アレッサンドロとドメニコが特に有名。(1)アレッサンドロAlessandro S.(1660‐1725) パレルモ出身。12歳でローマに出て音楽を学んだ。G.カリッシミの弟子ともいわれる。1684年にナポリ王に招かれて王室礼拝堂楽長となる。フィレンツェほかで職を求めた一時期(1703‐08)を除いてはナポリにとどまった。多数のオペラ・セーリアを作曲してナポリにオペラの隆盛を招いた。

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大辞林 第三版の解説

スカルラッティ【Scarlatti】

〔Alessandro S.〕 (1660~1725) イタリアの作曲家。一七世紀バロックオペラを継承し、初期ナポリ派オペラの代表者となった。作品は、オペラのほか、カンタータやミサ曲などがある。
〔Domenico S.〕 (1685~1757) 作曲家・チェンバロ奏者。の子。ポルトガルとスペインの宮廷で活躍。はじめ、オペラやカンタータを書いたが、晩年はチェンバロ音楽の創作に専念、六〇〇曲に及ぶチェンバロソナタは鍵盤音楽および鍵盤楽器奏法の発展に大きな役割を果たした。

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精選版 日本国語大辞典の解説

スカルラッティ

[一] (Alessandro Scarlatti アレッサンドロ━) イタリアの作曲家。一七世紀後半から一八世紀初頭にかけてオペラの作曲者としてナポリで活躍。モンテベルディの劇的な様式をひきつぎ、バロック音楽への橋渡しの役割を果たした。室内カンタータ、マドリガルなど多く作曲。(一六六〇‐一七二五
[二] (Domenico Scarlatti ドメニコ━) 作曲家、チェンバロ奏者。アレッサンドロの子。最初オペラ作曲家として世に出たが、のち教皇庁の礼拝堂楽長、ポルトガルの宮廷楽長を歴任し、多くのチェンバロ曲を書き、クラビーアソナタへの発展の道を開いた。バロック音楽からロココ音楽への様式の変遷を示すそのソナタは現在もピアノ曲として親しまれる。(一六八五‐一七五七

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