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ダビッド David, Félicien-César

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダビッド
David, Félicien-César

[生]1810.4.13. カドネ
[没]1876.8.29. サンジェルマンアンレ
フランスの作曲家。イエズス会の学校で音楽を学び,エクサンプロバンスのサンソベール大聖堂の聖歌隊指揮者を経て 1830年パリ国立音楽院に入学した。翌 1831年にサン=シモン伯爵の社会主義運動に加わり,同派の儀礼音楽を作曲。1833~35年中東を旅行し,帰国後東洋音楽の要素を取り入れた合唱曲,交響曲,オペラなどを作曲した。代表作は交響詩『砂漠』Le Désert(1844)。ダビッドの音楽はエクトール・ベルリオーズ,カミーユ・サン=サーンスに称賛され,またジョルジュ・ビゼーの『ジャミレー』Djamileh(1872)やジュゼッペ・F.F.ベルディの『アイーダ』Aida(1871)などのオペラに影響を与えた。

ダビッド
David, Jacques-Louis

[生]1748.8.30. フランス,パリ
[没]1825.12.29. ベルギー,ブリュッセル
フランスの画家。新古典主義(→新古典主義美術)の創始者,指導者。フランソアブーシェ,ジョゼフ=マリー・ビアンに師事,1774年ローマ大賞を得てイタリアに留学(1775~80)。初めボローニャ派の作品を学んだが,しだいに古典主義(→古典主義美術)に傾倒した。帰国後,最初の大作『ホラチウス兄弟の誓い』(1784~85,ルーブル美術館)を発表。ルイ16世宮廷画家となったが,フランス革命時代はジャコバン党員(→ジャコバン派)として革命に味方し投獄された。その後ナポレオン1世の台頭とともにその寵を受け,皇帝の首席画家となって画壇に君臨。古典彫刻における厳正な構図と形式を重視して,社会的,歴史的な題材を精緻な筆致で描いた。門下にはフランソア・ジェラール,アントアーヌ=ジャン・グロ,ジャン・アングルなどがいる。ナポレオンの失脚後は追放され,1816年ブリュッセルに亡命,同地で没した。その他の主要作品に『マラーの死』(1793,ベルギー王立美術館),『サビニの女たち』(1799,ルーブル美術館),『レカミエ夫人像』(1800,ルーブル美術館),『ナポレオン1世の聖別式』(1805~07,ルーブル美術館)など。

ダビッド
David, Pierre-Jean

[生]1788.3.12. アンジェ
[没]1856.1.5. パリ
フランスの彫刻家。通称 David d'Angers。 19世紀初頭の新古典主義に反対し,ロマン主義彫刻を主唱した代表的彫刻家。 17歳でパリに出て P.ローランに師事,1811年ローマ大賞を受けイタリアに遊学,一時 A.カノーバのもとで制作した。 16年パリに帰り,穏健な写実的技法により多くの肖像彫刻,メダルを制作,その数は 500をこえる。政治にも深い関心を示し,一時議員に選ばれたが,ナポレオン3世によりベルギーに追放された。作品にはパリのパルテノンの破風彫刻 (1835~37) のほか,コンデ公,ゲーテ,ベンサムなど有名人の肖像が多い。

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百科事典マイペディアの解説

ダビッド

パナマの西部の都市。太平洋岸のペドレガルを外港としてもつ。この地方の商業,産業の中心都市。主産業は牧畜で,このほか熱帯産果実,コーヒー,カカオサトウキビなどが栽培され,食肉加工,食品加工が行なわれている。

ダビッド

新古典主義絵画の大成者として名高いフランスの画家。パリ生れ。1775年―1780年,ローマに遊学して古代芸術の感化を受け,1785年に描いた《ホラティウス兄弟の誓い》(1784年,ルーブル美術館蔵)はロココ芸術との断絶を画する記念碑的な作品となった。
→関連項目オーデュボン古典主義ジロデ・トリオゾンプリュードン

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世界大百科事典 第2版の解説

ダビッド【Jacques Louis David】

1748‐1825
フランス新古典主義の代表的画家。フランス革命初期の数年間は熱烈な革命派として,ナポレオン台頭後はその主席画家として,革命およびナポレオン時代の諸事件の視覚的な記録を後世に残した。パリに生まれ,1766年,絵画における新古典主義様式の創始者の一人ビアンJ.Vienの弟子となる。74年,数度の失敗の後にローマ賞を獲得,翌年から5年間ローマに留学。この間ルネサンス以降のイタリア絵画から堅固な造形法と力強い陰影法を学び,また批評家カトルメール・ド・カンシーとの交友を通じて古代芸術の様式の構築性と古典的主題の偉大さに目覚め,ロココの軽妙洒脱を放棄するに至る。

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大辞林 第三版の解説

ダビッド【Jacques-Louis David】

1748~1825) フランスの画家。一九世紀新古典派の指導者。フランス革命にちなむ作品が多い。また、ナポレオンの宮廷画家として画壇に君臨。代表作「ナポレオンの戴冠」「レカミエ夫人像」など。

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世界大百科事典内のダビッドの言及

【ジャコブ】より

…また,マリー・アントアネット,アルトア伯,シャルトル公の椅子や寝台なども製作した。フランス革命直前には,竪琴形の背もたれやギリシアのクリスモス(小椅子)のサーベル形の脚を導入し,新古典主義の画家J.L.ダビッドのために古典古代の家具の形をとり入れた実用的な家具を製作した。ジャコブはフランス革命で破産したが,ダビッドの支援を得てナポレオンの宮廷建築家C.ペルシエ,P.フォンテーヌの家具デザインを製作,古代ローマ風を基礎としたフランスのアンピール様式を確立させた。…

【新古典主義】より

…また,イギリスで活躍したスイス人フュッスリ,デンマークのアビルゴールのように,ロマン派的気質を濃厚に持った画家たちが登場していることは,新古典主義がロマン主義と共通の根を持っていることを示している。 しかし,新古典主義の最も代表的芸術家は,絵画ではダビッド,彫刻ではカノーバである。ローマ滞在中の《ホラティウス兄弟の誓い》で名声を確立したダビッドは,革命期(《マラの死》《サビニの女たち》等),帝政期(《ナポレオンの戴冠式》)を通じて活躍し,多くの弟子たちを育てあげた。…

【ベルギー】より

…【石坂 昭雄】
[美術]
 近代国家としてのベルギーの誕生(1830)は,この地域における初期中世以来の古く豊かな美術伝統の断絶を意味するものではないが,ここでは便宜上19世紀初頭以降のみを扱う。 フランス新古典主義の領袖ダビッドが1816年から25年に没するまでをブリュッセルで送ったことは,同地を中心とした新古典主義アカデミズムの確立に決定的に作用し,ダビッドの一番弟子ナベスFrancois‐Joseph Navez(1787‐1869)はアングルを思わせる肖像画によって多大な名声を博した。他方,やや遅れてアントウェルペンでは,ワッペルスGustave Wappers(1803‐74),レイスHenri Leys(1815‐69)など,自国およびドイツの絵画伝統に根ざしながらフランスのドラクロアを範として自国の歴史的事件を描くロマン主義者が台頭する。…

※「ダビッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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