活字やアナログ信号による〈オールド・メディア〉に対して,1980年代に一般化しはじめるディジタル信号による〈新しいメディア〉を指す。英語ではnew media,newmediaの両表記を使うが,日本語では〈ニュー・メディア〉から次第に〈ニューメディア〉の表記になった。ディジタル信号による新しい電子メディアの意味でこの語を最初に用いたのは,H.M.エンツェンスベルガーが早い。彼は,〈メディア論のための積木箱〉(《Kursbuch》1970年3月号)のなかで,〈neue Medien〉という言葉に特別の意味を込めた。ここで〈ニュー・メディア〉とみなされたのは,通信衛星,カラーテレビ,有線テレビ(CATV,〈ケーブルテレビ〉),カセットビデオ,ビデオレコーダー,テレビ電話,ステレオ,レーザー技術,静電コピー,高速電子プリンター,教育機器,電子顕微鏡,無線印刷,ディジタルコンピューターである。こうした文脈のなかでは,90年代に普及するインターネットに至る電子メディアの流れが一貫したものとして把握できる。
日本の場合,〈ニューメディア〉という言葉は,原語よりも屈折している。この言葉はある独特の期待をこめて用いられ,流行したからである。ニューメディアの具体的な環境はほとんど整備されていなかったにもかかわらず,1980年代の日本では,この語が新聞やテレビにひんぱんに登場し,〈ニューメディア・ブーム〉が起こった。それは,当時の産業界にとって,情報テクノロジーこそが,産業の前進と再編を進めるための伝家の宝刀だと考えられたからでもある。
日本の産業は,1970年代後半を境にして〈脱工業化〉へ向かった。エレクトロニクスにもとづく情報とサービスの分野を開発し,拡大することが,緊急の目標となったのである。そのため,民間レベルから実質的な要求が生まれる以前に,〈ニューメディア〉の名を冠したさまざまなプロジェクトが政府・企業のなかから矢継ぎ早に提出された。
1984年9月から電電公社(現,日本電信電話株式会社)が東京の三鷹,武蔵野で実験を開始した光ファイバーによるディジタル通信網INS(Information Network System)〈高度情報通信システム〉,11月から同じく電電公社が回線とシステムを,民間491社が情報ソフトを提供して実用サービスを開始したキャプテン・システムは,ニューメディア・ブームの具体的なモデルケースとして大々的に宣伝された。当時の〈ニューメディア構想〉では,1990年代に,INSの全国ネットワーク,無線系の直接衛星放送,高品位テレビ放送,文字多重放送,ファクシミリ放送,静止画放送,有線系のCATV,ビデオテックス(キャプテン),VRS(画像応答システム),テレビ電話,ファクシミリ通信,さらには個別のパソコンやビデオの出力に至るさまざまな情報・通信経路が,1台の端末(テレビ受像器)に統合されるはずであった。しかし,ディジタル通信の普及に関しては,笛吹けど踊らずの状態が長く続き,INSは,やがて人知れず消えていった。また,ニューメディアの直線状の発達を前提にして未来都市が構想され(例えば郵政省の〈テレトピア〉,通産,建設,農林水産,国土の4省庁による〈テクノポリス〉),ニューメディアが完備した家庭での〈在宅勤務〉,〈エレクトロ・バンキング〉を可能にする金融システムを備えた未来社会も構想された。
ニューメディアの技術は,1980年代には,むしろ軍事の分野で大幅に導入されたと言えるかもしれない。のちの湾岸戦争(1991)で明らかになるように,軍事のニューメディア化は,この時代の流行になっていた。ちなみに,日本電気をはじめとする日本の主要エレクトロニクス企業は防衛庁の発注を受けて84年から新バッジ(BADGE)・システム(新自動警戒管制組織)の生産を開始したが,その中央コンピューターの契約金だけでも961億円であり,これはINSの実験モデルの総工費の10倍近くに及ぶ。その意味で,日本でニューメディアが人々の生活レベルに普及しはじめるのは,〈ニューメディア〉という言葉がすたれはじめてからだった。
82年10月の公衆電気通信法改正で可能になったFAXは,80年代の半ばまでにかなりの程度一般化した。ワープロ(ワードプロセッサー)は,新しい〈タイプライター〉として,ビジネスの分野だけでなく,一般家庭においても,急速に浸透していき,〈キーボード〉文化が広まっていった。この背景のなかで出てくるのが,パソコン通信である。1973年にカリフォルニア州バークリーのコミュニティ・メモリーがはじめたBBS(電子掲示板)は,別名〈電子広場〉と呼ばれ,〈ミニFM〉や〈アマチュア無線〉にも似た市民的メディアとして広まり始めていた。86年11月の時点で,当時パソコン通信の最大手であったアスキーネットのBBSの加入者数は2万1000人であった。〈内需拡大〉が政財界の主導理念になった80年代の後期には,LPレコードに代わってCD(コンパクト・ディスク)が徐々に一般的になり,また,パソコンのユーザーが増え,CD-ROMソフトによるマルチメディアデータが少しずつ実用化されていった。しかし,ニューメディアの浸透は,アメリカのように決して一貫した流れで進んだのではなかった。いわばニューメディア的な機器はいたるところにあるが,メディアとしての使い方は決して新しくはない,という状態が続いていたのである。あらゆるボーダー(文字・音・映像といった境界から国境にいたるまで)を横断するニューメディアの特性は,日本の場合,92年ごろから〈黒船〉のように襲来したインターネットによって,初めて具体化されたからである。つまりインターネットは,ニューメディアが本来もっていながら,日本の社会的・文化的な制約のために展開できずにいた要素を一気に解放し,本来のニューメディア時代に突入させたわけである。
→コミュニケーション
執筆者:粉川 哲夫
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…そして第2次世界大戦直後のコンピューターの発明と結びついて,情報化社会を現出した。20世紀末の今日,コミュニケーション技術はふたたび飛躍的発展の胎動を示しはじめ,コンピューターと通信技術の結びつきによる大量情報高速処理技術,いわゆる〈ニューメディア〉の実用化に社会の関心と期待が集まっている。
[コード]
ある音声パターンや表情がなにを意味するかを解読したり,表出したりするためには,意味するものと意味されるものとを関係づけるコードcodeが必要である。…
…通信とは,メディア(媒体)を用いた隔地間のコミュニケーションを指す。社会経済活動の迅速化,複雑化,広域化などに伴って,通信に対する社会的ニーズは著しく高度化,多様化しつつあり,またこれらに対応して通信技術の進歩発展もめざましい。最近におけるこれらの変化は通信革命と呼ばれるほどの規模をもつものであり,その結果はかり知れないほどの影響が,社会経済活動のあらゆる局面に波及しようとしている。
【歴史的概観】
通信は人類が地球上に生存し,社会生活を営むようになって以来,それぞれの時代における通信技術の水準および社会活動の広がりなどを反映しながら,しだいに発展をとげてきた。…
… グーテンベルク以来の活字印刷による書物を出版の対象とする時代は,おそらく近い将来に終りを告げるか,あるいははなはだしい変化をとげるだろうといわれている。というのは,ファクシミリ,ワードプロセッサー,ビデオテックスなどのニューメディアが活字印刷術の優位を脅かそうとしているからである。しかし,書物の形態がいかに変わろうとも,文化を伝承するための出版行為は,人類の存続するかぎり不変であろう。…
…
[歴史]
コンピューターで画像や音声を扱う研究は1960年代から始まっているが,これらを組み合わせて,しかも一般的なオペレーティングシステムの枠組みの中で使用できるようになったのは80年代の中頃からである。同じ頃,CATV,ISDN,衛星放送,パソコン通信,ビデオテックス,ビデオディスク,CD-ROM など新しい情報流通媒体が続々と現れ,ニューメディアと呼ばれた。しかし十余年を経過した今日では,その呼名はほとんど使われない。…
※「ニューメディア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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