ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バッキンガム」の意味・わかりやすい解説
バッキンガム(伯・侯・公家)
バッキンガム[はく・こう・こうけ]
Buckingham, Earls, Marquesses and Dukes of
バッキンガム(公)
バッキンガム[こう]
Buckingham, George Villiers, 1st Duke of
[没]1628.8.23. ポーツマス
イギリスの貴族,政治家。1614年宮廷に入り,美貌と機知で国王ジェームズ1世の寵臣となった。急速に昇進し,1617年バッキンガム伯,1618年同侯,1623年公爵に叙せられた。同年新教と旧教の調和をはかるため,スペイン王女とチャールズ王子(のちのチャールズ1世)との結婚を策し,王子を伴いマドリードを訪れたが失敗。以後対スペイン強硬論に転じ,1625年新王チャールズ1世にカディス攻撃を強行させ失敗,翌 1626年議会の弾劾を受けた。次いで 1627年フランスの新教徒援助のためラロシェル遠征を企てて失敗し(→ラロシェル攻囲戦),遠征用の課税強化に憤慨した議会の反撃を受け,1628年「権利請願」を突きつけられた。同年再度ラロシェル遠征を準備中,ジョン・フェルトンによって暗殺された。
バッキンガム(公)
バッキンガム[こう]
Buckingham, George Villiers, 2nd Duke of
[没]1687.4.16. ヨークシャー,カービームーアサイド
イギリスの貴族,政治家。初代バッキンガム公の子として国王チャールズ1世の子供たちとともに育てられた。清教徒革命の勃発とともに大陸に亡命,1647年帰国したが戦いに敗れて再度亡命。 50年皇太子チャールズ (のちのチャールズ2世) の側近としてスコットランド遠征を進言し実行したが失敗した。 57年投獄されたが 59年釈放され,以後王政復古に尽力。チャールズ2世の治世になると,62年枢密院に入り,クラレンドン (伯)と対立,その失脚後政界の中心となりカバルの一員となったが,74年罷免された。生来陰謀,策略を好んだが,一方詩作にもふけり,特に J.ドライデンへの風刺詩は有名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報