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プロテスタント教会 プロテスタントきょうかい Protestant Church

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プロテスタント教会
プロテスタントきょうかい
Protestant Church

16世紀の宗教改革の精神に従って,教義および実践に改革を導入した西方キリスト教諸教会およびそれらに由来する諸教会の包括的総称。一部の教会を除き,非公式の名称である。これら教会はすべてローマカトリック教会との交わりを結果的に断絶している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プロテスタント教会
ぷろてすたんときょうかい
Protestant Church

16世紀のマルチン・ルターやジャン・カルバンなどの信仰思想に基づいて進められた宗教改革の流れをくむキリスト教会カトリック教会、東方正教会オーソドックス教会)とともに、キリスト教の三大潮流を形成する。[水谷誠]

意味と特色

プロテスタントという表現は、1529年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世によって招集された帝国議会(第二シュパイエル国会)において、少数派になったルターの改革運動にくみする議員たちが、カトリック教会を支持する多数派の議決に反対して、帝国法に基づいて「抗議」して自らの立場を告白したことに由来する(Protestation、ドイツ語)。一般にプロテスタント教会は、神からの賜物(たまもの)である「恵み」を感謝して受け入れる「信仰」を重視して、その喜び(福音)が記された「聖書」を唯一の権威としてこれに聴こうとするもので、「恵みのみ」「信仰のみ」「聖書のみ」を三つの原理としている。それに加えて、このシュパイエルで「神の栄光、私たちの心の救済、浄福という事柄については、各人は、神の前に自ら立ち、申し開きをしなければならない」と主張されたように、信仰上の事柄はひとりひとりの良心に基づくという精神がある。しかし現在まで多岐にわたる展開を遂げてきたプロテスタント各派の統一した特色を述べることはむずかしい。以下事柄の理解のために、プロテスタント教会内部における考慮すべき相違点を三つあげておく。
(1)古代以来の伝統を背景にした欧州の教会、そこからの移民によって始まった北アメリカの教会、そしてそれらキリスト教世界の植民地経営や宣教活動を通して生まれ出たアジア、アフリカ、ラテンアメリカの教会それぞれの相違。
(2)宗教改革を通じて形成された伝統的教派と、とくに19世紀以降に新しく誕生した、あるいは伝統的教派から派生したグループ間の相違。
(3)キリスト教世界における教会と非キリスト教世界における(宣教された)教会との相違。[水谷誠]

歴史と各地域における展開


宗教改革と古プロテスタント正統主義の時代
1517年10月31日ドイツのウィッテンベルクにある教会の扉に、当時のカトリック教会の贖宥(しょくゆう)状(免償状ともいう)に関する意見書がルターによって張り出されたことがきっかけとなって宗教改革運動は始まった。ほどなくカトリック教会の強い反発を招き、ローマ教皇レオ10世は21年にルターを破門し、カトリックの皇帝カール5世はルターとその支持者を神聖ローマ帝国から追放処分にした。このできごとによって、当時数百の領邦国家に分かれ、政治的に分裂していたドイツの世俗権力を巻き込んで、その後150年にわたってヨーロッパ全体に広がる政治的・宗教的対立の時代が始まることになった。
 この運動は並行してスイスでもおこり、チューリヒを中心にツウィングリの指導下に改革運動が進展した。さらにジュネーブで1世代遅れて聖なる共和国を建設しようとしたフランス生まれのカルバンによって、ルターに始まる運動は体系的に秩序づけられた。しかし、分裂や対立ではなく教会の刷新を望んだルターの当初の意図とは異なり、カトリック教会との対立にとどまらず、改革運動の内部でも微妙な食い違いが表れ、ルター派と改革派(カルバン派)という主要教派に加えて、ラディカルな傍流である再洗礼派(アナバプティスト)や心霊主義者(スピリチュアリスト)などが登場した。
 イギリスでは、1534年ヘンリー8世の時代に、カトリック教会と袂(たもと)を分かち、国王を首長とするイギリス国教会(イングランド教会)が成立した。エリザベス1世の時代に確立したこの教会は、宗教的信念ではなくローマ教皇への政治的な反発に端を発したために、その後も改革を徹底しようとする運動が絶えなかった。この浄化運動を進めた人々をピューリタン(清教徒)とよぶ。このような事情で、イングランド教会は改革運動の遺産を引き継ぐとともに、カトリック的な特徴も維持するという幅の広さをもっている(アングリカニズム)。ピューリタンのなかには、長老派、会衆派(組合派)、バプティスト派、クェーカーなどのグループがあり、かれらは良心の自由を主張して政治的・社会的運動を進め、ピューリタン革命の主導者となった。
 スコットランドの宗教改革は、ジュネーブでカルバンに接したジョン・ノックスに指導されたもので、長老派がイギリス国教会を形成することになった。改革派教会(カルバン派教会)はさらにオランダやフランスに展開し、ルター派教会(ルーテル教会)は中部および北部ドイツやスカンジナビア諸国に広がった。
 ドイツでは、これら諸教派間の対立は、1555年のアウクスブルクの和議でルター派がカトリックと並んで公認され、また1648年のウェストファリア条約で改革派の信教の自由が認められることによって政治的には一段落した。ただし、それは諸侯の信教の自由であって、君主と異なる信仰をもつ者はその領邦外に移住することも強いられた。この時代には、中世に壮大な神学体系を建設したカトリック教会に対抗しつつ、各教派が自己の正統性をめぐって論争を繰り広げた。[水谷誠]
近代のプロテスタント教会
各教派が論争を繰り広げた正統主義の時代には、知性主義の傾向が強かったが、同時に個人の心情の深みにある霊性を重視する試みも存在した。バッハの教会音楽はそれをよく表現している。この試みが共同体を形成して社会的に大きな影響力を発揮したのは、三十年戦争による社会的荒廃を背景にして、17世紀から18世紀にかけて歴史の表舞台に登場した敬虔(けいけん)主義である。この運動は実践運動として、近代的な社会福祉事業に対する開拓者的役割も果たした。また、中世的知性に基づく正統主義に批判的な、近代的・合理的知性をもつ啓蒙(けいもう)主義的キリスト教も夜明けを迎えた。聖書を歴史的・批判的に研究して現代に至る聖書学はこの時代に始まる。イギリスでは、18世紀後半の産業革命などによって世俗化が進んだ社会の混乱のなかで、心情に確信を生み出す信仰を復興しようとするメソジスト運動が、ドイツ敬虔主義の一派ヘルンフート兄弟団(モラビア兄弟会)の影響も受けつつ、ウェスリー兄弟を中心にしておこった。19世紀のドイツでは、啓蒙思想とドイツ観念論における知的反省を媒介にして、近代的価値観との調停を図った神学が、伝統的・教会的神学と一線を画しつつ精力的な活動に入った。同時に、社会の世俗化に抗して信仰の復興を訴える動きは、制度的教会の外で自発的な結社活動を通して展開された。その一つに、非欧米世界への宣教活動がある。18世紀末よりイギリスに始まり、欧米諸国で設立された宣教団体による、キリスト教を非キリスト教世界にもたらすこの情熱的な運動こそ、キリスト教が20世紀に地球規模に拡大した源といえる。これらは、プロテスタント系国家イギリスやオランダの海外植民地経営に伴うキリスト教化(インド、東南アジア)とかならずしも同じではなかったが、欧米の政治的・経済的・軍事的優越と関連しつつ進められたのも事実であった。[水谷誠]
北アメリカのプロテスタンティズム
1607年のイギリス国教会のバージニア植民、1620年のピルグリム・ファーザーズのプリマス上陸に始まった北アメリカへのヨーロッパ・キリスト教世界の住民の移住に伴って、会衆派、長老派、バプティスト派、クェーカー、さらにルター派、オランダやドイツの改革派、メノナイト、モラビア兄弟会など多種多様なキリスト教グループが上陸した。ヨーロッパでは、世俗権力を後ろ盾にしたイギリス国教会制度が強く、教会はその支配領域のなかで地縁的な結びつきにある人々の集団であった。しかしこの地の教会は、政教分離に基づく自由教会として、それぞれ目的を同じくする自発的な共同体であり、やがては空間的に互いに共存しつつ競合する道を行くものであった。また、長い歴史のなかでつくりあげられてきたヨーロッパ教会の諸伝統、教義に重きが置かれず、現実の日常生活を組み立てる原理として、聖書の教えに直解的に結びつき、1世紀にイエス・キリストが建てた教会をアメリカの荒野に再興しようとする気風に満ちていた。18世紀には、自由で自覚的な回心体験を主張したエドワーズなどの信仰復興運動(大覚醒運動)を通して、宗教的無関心に陥っていた人々の再キリスト教化や、開拓地生活などの倫理的改善を目的とした活動が続けられた。1776年の独立宣言後は、憲法によって信仰の自由と政教分離が保証され、イギリス国教会は本国から独立してアメリカ聖公会を形成した。19世紀になると、各地に教会のボランティア団体が結成され、社会改良事業に取り組んだ。しかしグループ間の競合が激しく、在来のグループの内部論争、枝分かれ、分裂のみならず、種々の傾向をもつ新しい宗教グループも設立された。アドバンティスト、モルモン教、クリスチャン・サイエンス(キリスト教科学)、ユニテリアン、エホバの証人、ユニバーサリストなどである。覚醒(かくせい)を迫り、信仰を要求するこのような運動は、イギリスで始まった海外宣教運動の波に乗って、19世紀には次々と非キリスト教世界に宣教師を送り込むことになり、日本のプロテスタント教会の成立にも貢献した。[水谷誠]
日本のプロテスタント教会
日本では1858年(安政5)に不平等な修好通商条約が諸外国と締結されたのち、次々と宣教師が渡航してきた。当初は外国人居留地で、教育、医療などの活動がなされたが、1872年(明治5)に日本最初のプロテスタント教会である日本基督(キリスト)公会が横浜に設立され、73年にキリスト教禁制高礼が撤廃されて宗教活動が黙認されると、各地に教会が建てられた。このころ組合教会(会衆派)、聖公会、メソジスト教会、バプティスト教会が成立し、日本基督公会からも改革派、長老派的志向をもつ日本基督一致教会が設立された。また、宣教師のみならず熊本洋学校のL・ジェーンズ、札幌農学校のW・S・クラークなどの信徒が青年たちに大きな感化を与えた。草創期の日本人指導者には海老名弾正、植村正久、内村鑑三などがいる。教会建設の活動以外に注目に値するのは、とりわけ教育事業、社会福祉事業であった。大正期になると、各教派の協調の気運が高まり、1923年(大正12)には連絡交流機関として日本基督教連盟が設立された。昭和に入って社会的キリスト教を唱える人々も現れ、ヨーロッパから弁証法神学も紹介された。1941年(昭和16)には、政府の宗教管理政策(宗教団体法)が決定的要因となって、プロテスタント教会の大多数は合同し日本基督教団を結成した。第二次世界大戦後、宗教団体法の廃止(1945)とともに離脱する教派もあったが、この教団は、プロテスタント最大の教派として現在に至り、合同のプロセス、実質化をめぐって論議が続けられている。新憲法のもとでは信教の自由が無条件に承認され、さまざまな宣教団体の活動によって種々多様な傾向をもつ教会が設立されてきた。内外の政治・経済の変化、科学技術の発展に伴い、現在は新たな社会情勢に対応する教会の存在意義が求められている。2000年現在信徒数は約60万人。[水谷誠]

プロテスタント教会の現在

20世紀前半のプロテスタント教会では、まず第一に、各教派が乱立し対立した19世紀の宣教活動への反省から、協働の作業を求めるエキュメニカル運動(教会一致運動)が進展した。これは、1948年の世界教会協議会(WCC)結成に結実した。その後、他宗教をも視野に入れた地球規模の対話と実践の試みが続けられている。第二に、ファシズムや二度にわたる世界大戦に抵抗することのできなかった経験から、福音の核としての平和に焦点をあてた神学的な反省、教会の告白(罪責告白)がなされている。20世紀後半に入って、宣教の対象地域であるアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどで、新しい教会の設立が続き、驚異的な躍進を遂げている。20世紀初頭には全キリスト教人口の85パーセントは欧米諸国に存在していたが、1980年には38パーセントになった。また、21世紀には第三世界の信徒が半数を占めると予測されている。それらは、伝統的教派に結びつくもの以外に、プロテスタンティズムであると自称しないもの、土着の文化のなかから登場したものなども含まれ、今後それらの若い教会がどのように進展するのかが注目されている。いずれにせよプロテスタント・キリスト教はもはや西洋の宗教ではなくなったといえる。2000年現在、全キリスト教徒約19億7400万人のうち、プロテスタント・キリスト教人口は約4億1000万人である。[水谷誠]
『D・B・バレットほか著、竹中正夫ほか編『世界キリスト教百科事典』(1986・教文館) ▽H・J・ビルクナー著、水谷誠訳『プロテスタンティズム 潮流と展望』(1991・日本基督教団出版局) ▽M・E・オスターヘーベン著、石田学・伊藤勝啓ほか訳『教会の信仰――プロテスタント・キリスト教の歴史的展望』(1991・すぐ書房) ▽ウィリストン・ウォーカー著、竹内寛監修『キリスト教史3 宗教改革』『キリスト教史4 近・現代のキリスト教』(ともに1993・ヨルダン社) ▽印具徹著『カトリックとプロテスタントの思想的母体――教会の一致を求めて』(1996・日本基督教団出版局) ▽土肥昭夫著『日本プロテスタント・キリスト教史』(1997・新教出版社) ▽同志社大学人文科学研究所編『日本プロテスタント諸教派史の研究』(1997・教文館) ▽オリヴィエ・クリスタン著、木村恵一訳『宗教改革――ルター、カルヴァンとプロテスタントたち』(1998・創元社)』

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世界大百科事典内のプロテスタント教会の言及

【キリスト教】より

…さらに,この宗教を形づくっている教会・教派についていうと,1世紀の原始キリスト教は2世紀に入ってローマ帝国内の制度的教会(古カトリック教会)となり,これがのちに東方正教会ローマ・カトリック教会とに分かれて各自展開をとげていった。ローマ・カトリック教会からは,宗教改革によってプロテスタント教会が分かれ出た。これはルター派教会改革派教会,およびスコットランドの長老派教会をもっている。…

【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より

…また,15世紀中葉J.グーテンベルクによって金属活字印刷術が発明され,ヨーロッパの各地に続々と印刷工房が生まれたが,手写本と比較してはるかに安価に製作された印刷本にしても,当初は教会や学者・学生を対象にしたもので,その大半は民衆の日常生活とは無縁のラテン語書で占められていた。ラテン語教育
[16~18世紀]
 民衆の読み書きそろばんの歴史において著しく貢献したのは,宗教改革以後のプロテスタント教会とカトリック教会である。プロテスタント教会は聖書の理解に基づく個人的信仰の確立をめざし,聖書の母国語への翻訳を行い,これを読ませるために民衆教育の普及に積極的に取り組んだ。…

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