ホーエンツォレルン家(読み)ホーエンツォレルンけ(英語表記)Hohenzollern

  • Hohenzollern ドイツ語
  • ホーエンツォレルン家 Hohenzollern

翻訳|Hohenzollern

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドイツ史上の名家シュワーベン地方出身で 11世紀にツォレルン伯となったブルハルト1世 (1061没) より始る。その後ツォレルン=ホーエンベルク家とニュルンベルク城伯家とに分れ,前者は 1486年断絶。 1192年ニュルンベルク城伯となったフリードリヒ3世の2子の間でフランケン家とシュワーベン家にさらに分れた。フランケン家は 1415年以来ブランデンブルク選帝侯に封じられ,15~17世紀にかけて領地を拡大,1552年プロシアを獲得した。 1701年フランケン家のフリードリヒ3世が王号を許され,プロシア王フリードリヒ1世と称し,プロシア王家としてのホーエンツォレルン家のとなった。 18世紀後半にはフリードリヒ2世 (大王)を出し,1871年にはウィルヘルム1世が統一ドイツ初代皇帝となった。シュワーベン家にはホーエンツォレルン=ジークマリンゲンが含まれ,その家系からルーマニア王家 (1866~1947) が分岐した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブランデンブルク選帝侯,プロイセン王,ドイツ皇帝を輩出した家門。始祖は南西ドイツ,シュワーベン地方の貴族で,本城があったツォレルンの丘から11世紀にこの家名が生まれた。1191年,当主フリードリヒ3世が結婚を通じてニュルンベルク城伯の位を得,フリードリヒ1世と称した。1227年,所領の分割相続により,フランケン系とシュワーベン系に分かれる。フランケン系の城伯フリードリヒ3世(1297没)は,大空位時代を終わらせたハプスブルク家のルドルフ1世を支援したによりバイロイトを与えられ,1331年その子の代にアンスバハを獲得して勢力を伸ばした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プロイセン国王、ドイツ皇帝の家門。源流は西南ドイツ(シュワーベン地方)の貴族ツォレルン家で、同家は1192年ニュルンベルク城伯に封ぜられてフランケン地方にも勢力を得た。1214年ごろシュワーベン系とフランケン系に分かれる。前者はさらにヘッヒンゲン家とジグマリンゲン家に分かれ、ともに19世紀までドイツ諸侯に列したが、1849年に両家ともその領邦主権をフランケン系から発展したプロイセン系に移譲した。他方フランケン系はニュルンベルク城伯としてさらにアンスバハとバイロイトを領したが、1415年に同家のフリードリヒ1世がブランデンブルク辺境伯および選帝侯に任ぜられて(授封は1417年)、新たにブランデンブルク系ホーエンツォレルン家が創始される。なお、同じフランケン系のアルブレヒトが1511年にドイツ騎士団長に選ばれるが、彼は25年宗教改革を行ってプロイセン公となった。彼の死後1618年に義子のブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントがプロイセン公国を相続し、ブランデンブルクとプロイセンがホーエンツォレルン家の下に統合される。同家はフリードリヒ3世(国王としては1世)の代にプロイセン国王位を得(1701)、ウィルヘルム1世の代にドイツ皇帝位を得た(1871)が、1918年11月最後の皇帝ウィルヘルム2世が革命により退位して、君主の家門としてのホーエンツォレルン家の歴史は終わる。

[坂井榮八郎]


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精選版 日本国語大辞典の解説

(ホーエンツォレルンはHohenzollern) ドイツの貴族の家系。一四一五年、ブランデンブルク辺境伯の地位を獲得、一六一八年、プロイセン公を兼ね、さらに一七〇一年にはプロイセン王の称号を得て、ハプスブルク家に匹敵する勢力となる。一九世紀、ドイツ民族統一の中心となり、一八七一年、ドイツ帝国の成立と同時に皇帝の称号を持つ。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

ブランデンブルク選帝侯,のちプロイセン王,ドイツ皇帝の位を世襲した家系
もと南ドイツのシュワーベンの小貴族で,11世紀半ばごろこの名を名のり,1415年にブランデンブルク選帝侯となり,1618年プロイセン公国を併合した(ブランデンブルク−プロイセン)。1701年プロイセン王として認められ,フリードリヒ2世(大王)のとき強国となり,1871年ヴィルヘルム1世のときドイツを統一してドイツ帝国となる。これは,第一次世界大戦に敗北するまで続いた。

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世界大百科事典内のホーエンツォレルン家の言及

【ブランデンブルク】より

…13世紀前半につくられた法書《ザクセンシュピーゲル》において,ブランデンブルク辺境伯は選帝侯の一人に数えられるにいたった。
[ホーエンツォレルン家の支配]
 1320年にアスカニア家が断絶すると,ブランデンブルクは帝国に帰属し,そのため,皇帝ルートウィヒ4世をつうじてウィッテルスバハ家(1324‐73)が,皇帝カール4世をつうじてルクセンブルク家(1373‐1415)があい次いでこの地の辺境伯の位を保有した。しかしこの両家の辺境伯たちはブランデンブルクに居住しなかったので,貴族や都市が独立化して領内の政治が乱れたばかりでなく,対外的にも,ラウジッツはボヘミアやザクセンに奪われ,ノイマルクは1402年ドイツ騎士修道会に売却された。…

【プロイセン】より

…ここに再びポーランドとの戦争が始まり,その結果,66年,トルンの和約で西プロイセンの全域および東プロイセン内のエルムラントはポーランドに割譲され,東プロイセンの残部領域もポーランドの宗主権下に置かれることとなった。
[プロイセン公国]
 1511年ドイツ騎士修道会総長にホーエンツォレルン家のアルブレヒトAlbrechtが選ばれると,彼は25年ルター主義に改宗,騎士修道会領を世俗化して,これをポーランド王から封土として授与され,ここにプロイセン公国Herzogtum Preussenが成立した。アルブレヒトは行政・財政を改革し,教会秩序を整え,ケーニヒスベルク大学を創立(1544)するなど,模範的な領邦君主であった。…

※「ホーエンツォレルン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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