ボスニア・ヘルツェゴビナ(読み)ボスニアヘルツェゴビナ

百科事典マイペディア の解説

ボスニア・ヘルツェゴビナ

◎正式名称−ボスニアヘルツェゴビナBosna i Hercegovina/Bosnia and Herzegovina。◎面積−5万1210km2。◎人口−379万人(2013)。◎首都−サラエボSarajevo(37万人,2013)。◎住人−ボシュニャク(ムスリム人)44%,セルビア人31%,クロアチア人17%など。◎宗教−イスラム,セルビア正教,カトリック。◎言語−セルビア語,クロアチア語。◎通貨−兌換マルクKM)。◎元首−幹部会議長(ボシュニャク,セルビア人,クロアチア人をそれぞれ代表する3人の幹部会員による任期8ヵ月の輪番制。幹部会員の任期は4年)。◎首相−ズビズディッチDenis Zvizdic(2015年3月就任)。◎国会−二院制。上院(定員15,うち10はボスニア連邦から,5はセルビア共和国から選出,任期4年),下院(定員42,うち28はボスニア連邦から,14はセルビア共和国から選出,任期4年)。最近の選挙は2010年10月。◎GDP−185億ドル(2008)。◎1人当りGDP−2980ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−10.1%(1995)。◎平均寿命−男73.8歳,女78.9歳(2013)。◎乳児死亡率−8‰(2010)。◎識字率−98%(2008)。    *    *東ヨーロッパ,バルカン半島西部の共和国。北部のボスニアと南部のヘルツェゴビナからなり,大部分山地で,森林が多い。経済は天然資源には恵まれていたものの,農林業中心で,旧ユーゴスラビアのなかでは最も発展が遅れていた。さらに内戦国土は破壊され,人的資源を多数失った。経済再建はこれからである。 1世紀ごろローマ人が侵入,7世紀にクロアチア人やセルビア人が定住した。12世紀にボスニア公国が,15世紀にヘルツェゴビナ公国が成立し,15世紀後半オスマン帝国トルコ)の支配下に入った。オスマン帝国時代にイスラムへの改宗が広く行われた。1908年オーストリア・ハンガリー二重帝国に併合された(ボスニア・ヘルツェゴビナ併合問題)。1918年新生ユーゴスラビアの一員となり,第2次大戦後,ユーゴ連邦のボスニア・ヘルツェゴビナ共和国を構成した。1992年連邦からの独立を宣言したが,ムスリム人,セルビア人,クロアチア人の3勢力の対立が激化し,内戦に陥った。この〈ボスニア紛争〉はユーゴスラビア内戦のうちでも最も激化したが,1995年北大西洋条約機構(NATO)軍が内戦に介入して本格的な空爆を行ったのを契機に,米国主導の調停により米国オハイオ州デイトンで和平協定が調印された。協定は,ムスリム人とクロアチア人とで構成するボスニア連邦に国土の51%を,セルビア人が多数派を占めるスルプスカ共和国に49%を割りあて,これら二つの民族政府の上に中央政府を置いた。和平実施のために,諸外国の参加により民政面でのボスニア上級代表事務所(OHR)と軍事面での和平安定化部隊(SFOR)が設けられ,1996年統一総選挙が行われ,国家元首にあたる中央政府の幹部会議長も選出された(1998年以降,幹部会議長は輪番制)。1992年5月には国連に加盟。
→関連項目サラエボ事件セルビアセルビア・モンテネグロバルカン半島ヘルツェゴビナ

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