マリ帝国 (マリていこく)
黒人アフリカの帝国の一つ。その名を継いで1960年に独立したマリMali共和国の地域をおもな版図に,14世紀を最盛期として栄えた。イスラム化された北アフリカのかなたにある黒人アフリカの〈黄金の都〉として,ヨーロッパ世界の幻想をかきたてたトンブクトゥは,マリの栄華を象徴した。しかし,この商都が帝国の首都ではなく,マリの君主の都がどこにあったのかさえ不明なことからもわかるように,帝国といっても,統一国家としての組織化は弱く,いくつかの地方に盛衰した王朝の,交易路と交易拠点を覆う〈勢力圏〉とみるべきである。イスラムの浸透が北アフリカ西端にまで及び,サハラを南北に越える交易が8世紀以降盛んになってから,西アフリカのサハラ砂漠南縁に,北アフリカとの交易を経済上の基盤とする黒人帝国が出現する。11世紀末に衰退したガーナ王国,これに続くマリ,ソンガイ帝国がそれである。ただ,その経済的繁栄や,支配層の栄華を形づくった文物の流入が,イスラム化された北アフリカとの交渉に負っていたとしても,支配者が形成され台頭する基盤は,黒人アフリカの文化に根ざしていたとみられる。マリの歴史を探るに当たっても,現地や北アフリカに残された,全体としてきわめて不十分なアラビア語の記録と,間接的で断片的なポルトガル語,イタリア語などの記録,地中海世界でつくられた若干の地図のほかには,同時代史料としての文字記録や遺跡・遺物がないので,口頭伝承をはじめとする民族誌資料の検討が重要である。
マリに先行したガーナが,〈勢力圏〉としては没落した後,現在のマリ共和国の南西地方に勢力をもっていたソソ族の支配に反抗し,これを打破したマリンケ族のスンディアタという英雄(13世紀?)が,マリ帝国の始祖とされている。しかし神話的性格の濃厚なこの始祖が興した王朝と,14世紀にトンブクトゥの交易も支配下に収め,メッカに華やかな巡礼を行って(1324-25)〈黄金の帝国マリ〉の名を広めたマンサ・ムーサ王の王朝とは,ひとつづきのものではないと考えられる。マリの都はいくつもあったらしいが,同一王朝が遷都しただけでなく,複数の王朝の交代や消長もあったとみなすべきであろう。いずれにせよ,マリンケ族の支配者による勢力圏としての連続性は保っていたマリは,セネガル川やニジェール川上流地帯の金の重要な産地を支配していた。マリの勢力圏から北アフリカへ輸出される金や奴隸と引換えに,北からはサハラの岩塩や北アフリカ産の織物,装身具,馬などがもたらされた。金の産地の住民はイスラムを拒み続けたが,マリの支配層は早くからイスラム化したようである。文化としてのイスラムの受容が,黒人帝国の支配者の特権を高め,北アフリカとの交渉を円滑にする役割を果たしたといえる。マリは,その版図の東部のソンガイ族が15世紀中ごろから勢力を伸ばすにつれて衰退したが,ソンガイ帝国支配下の地方勢力としては存続した。
執筆者:川田 順造
美術
マンサ・ムーサはメッカで,スペインのアンダルシア出身の詩人・建築家エス・サヘリEs Saheriに会い,彼を帝国に連れて帰った。エス・サヘリは,トンブクトゥに大きなモスクやマンサ・ムーサの宮殿を建てた。彼は焼成煉瓦による建築を西スーダンに導入した最初の人であると考えられている。かくて,いわゆる〈スーダン様式〉の建築が生まれた。現在トンブクトゥに偉容を誇るサンコーレ・モスクは,もとより後世に改築されたものであるが,エス・サヘリの創建になる。また,マンサ・ムーサがカイロから持ち帰った装飾が,現在ワラタなどの家に見いだされる。
執筆者:木村 重信
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マリ帝国
マリていこく
Mali empire
13~16世紀に栄えたマリンケ族の帝国。 11世紀末にガーナ王国が衰退したのち,この地域に勢力圏をもっていたスス族支配に反抗し,1240年頃これを打破したマリンケ族のスンディアタが始祖と伝えられる。マンサ・ムーサ (在位 1307~32?) は,14世紀にトンブクトゥやガオなどの交易都市,さらにサハラ砂漠南縁のウアラータ,岩塩の産地タカザなどの都市を支配下に収め,1324年にはなやかなメッカ巡礼を行なって「黄金の帝国マリ」の名を広めた。首都はいくつもあったらしく,同一王朝の遷都,王朝の交替や消長を繰返し,どこに首都があったのかは不明である。 14世紀にはジュラあるいはワンガラと呼ばれるマリの交易商人たちが西アフリカ全体に勢力圏を拡大したが,その後は衰退への一途をたどった。ガオの反乱 (1400頃) ,トゥアレグ族によるウアラータとトンブクトゥの侵略 (1431) などにより,マリ帝国は 1550年に滅亡した。
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マリ帝国(マリていこく)
Mali
13世紀から15世紀半ばまで,西アフリカ,現マリ共和国とほぼ重なる広範な地域で勢力をなしたマンデ系民族による国家。創設は伝説的英雄スンジャータによる。歴代の王は早くからイスラームを受け入れていたとされ,最盛期を現出した14世紀前半のマンサ・ムーサは数千人もの従者を引き連れメッカに巡礼したという。マンデ系民族は商業を盛んに行い,ニジェール河畔のトンブクトゥ,ジェンネが北からの岩塩や布地,南からの金,奴隷の交易で栄えた。この交易への課税が経済基盤。帝国というが,中央集権体制が確立していたわけではない。首都はニジェール川上流部のニアニという説がある。
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マリ帝国
まりていこく
西アフリカ内陸部、ニジェール川湾曲部を中心に、12世紀ごろ建設されたマリンケ人の帝国。伝承によれば、紀元後数世紀に建設され繁栄したガーナ帝国の支配下にあったマリは、ガーナ帝国の勢力の衰退につれてトンブクトゥを中心に台頭した。スンディアタ王のもと、西はガンビア、東はニジェール川沿岸のガオ、北はサハラ南縁のサハラを越えてくるアラブ人隊商の基地、南はニジェール川上流のバンブフ、ブレの金鉱まで、広大な地域を支配下に収め、ガーナ帝国にかわってサハラ縦断交易を独占することになった。1324年ムサ王は、メッカ巡礼を行ったが、その際彼が携行した巨額の金(きん)によって、マリ王国の名はヨーロッパにまで知れ渡った。しかし、15世紀初頭から相次ぐ内乱でしだいに勢力が衰え、16世紀までにはこの地域の覇権は、ソンガイ帝国の手に移った。
[原口武彦]
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世界大百科事典(旧版)内のマリ帝国の言及
【アフリカ】より
…家族は一夫多妻の拡大家族で,亡夫の父系血縁者の年少者が寡婦を妻として受けつぐ寡婦相続の慣行が広く行われている。政治組織の面からみると,北方のニジェール川大湾曲部地方を中心に発達したマリ帝国,ソンガイ帝国のような,広大な版図をもち多部族の支配の上に成り立った政治組織はなく,オートボルタのモシ族,グルマンチェ族,ガーナのマンプルシ族,ダゴンバ族のような,先住農耕民を騎馬の軍事集団が支配して形成された,支配者が共通の祖先から分かれた連合体ないし上下の序列をなしているような中規模の国家,ナイジェリアのハウサ諸国家のような都市を中核とするイスラムの神権政治国家,セネガルのウォロフ族,マリのドゴン族,オートボルタのカセナ族のような小規模な首長制社会,オートボルタのロビ族,サモ族のような,氏族と拡大家族が社会的統合の最大単位であるような集権化の度合の著しく弱い社会など,社会・政治的統合のさまざまなレベルの形態が見いだされる。 次に,中規模の集権的統合の形態を,モシ族を例にとって略述してみよう。…
【サハラ砂漠】より
…11世紀のアラブの地誌家バクリーの記述にも,ガーナで塩と金の交易に王が課税していたことが述べられている。 乾燥化とムラービト朝の攻撃によって11世紀末にガーナが衰退したあと,これより東のニジェール川大湾曲部を中心に[マリ帝国]が興り,14世紀を頂点として,やはり塩と金の交易をおもな経済的基盤として栄えた。金の主産地のセネガル川上流やニジェール川上流の山地は舟運で砂漠地方と結ばれていたが,ニジェール川が北へ向かって張り出した,いわば砂と水の結節点に交易都市[トンブクトゥ]が生まれ,〈黄金の都〉としてヨーロッパにまで知られた。…
【スンディアタ】より
…西アフリカ内陸のニジェール川大湾曲部を中心に,14世紀を頂点に栄えた[マリ帝国]の伝説上の始祖。勢力圏内でとれる金の交易で栄えていたガーナ王国が11世紀末に衰えると,代わってこの地方にソソ族が君臨したが,13世紀中ごろマリンケ族のスンディアタがソソの支配を覆し,やがてマリ帝国の基をつくった。…
【トンブクトゥ】より
…トンブクトゥは初め,サハラ砂漠のラクダの遊牧民トゥアレグ族の宿営地だったといわれる。ガーナ王国のあと,その東のニジェール川大湾曲部に栄えた[マリ帝国]の時代に,サハラを南北に越える交易路も東に移った。サハラ砂漠の南縁と,ニジェール川が最も北に張り出した部分の接点に位置するトンブクトゥは,北からのラクダの輸送の終点,南から舟で運ばれてくる商品の終結地として,交易上重要な位置を占めた。…
【バンバラ族】より
…マリにおいても,マンデ諸族は人口の半ば以上を占めており,バンバラ語はフルフルデ(フルベ)語,ソンガイ語,タマシェク語(トゥアレグ族の言語)とともに国語に指定されている。 マンデ系のほかの部族と同じように,バンバラ族は13世紀に勃興し,14世紀に繁栄の頂点を迎えた[マリ帝国]の末裔であるとの自負をもっている。マリ帝国は15世紀中ごろから衰退をはじめ,17世紀には勢力を失い,ニジェール川上流のカンガバに退却した。…
【マリ】より
…マリの言語政策はフランス語を公用語としているが,人口や文化を考慮してバンバラ語,フルフルデ(フルベ)語,ソンガイ語,タマシェク語(トゥアレグ族の言語)の四つを国語に決めて,まずバンバラ語の正書法の画定作業に取りかかった。マンデ語系諸族は,かつて14世紀に栄えた[マリ帝国]の担い手の子孫であるという自負をもち,言語のみならず,社会組織や伝統的信仰の面でも,深い文化的統一性をもっている。サバンナに住む彼らの生業はトウジンビエ,モロコシ,フォニオ,イネなどの穀類を栽培する農耕である。…
【マンサ・ムーサ】より
…西アフリカ内陸に,13~14世紀に栄えた[マリ帝国]最盛期の王の名。マンサは王の称号で,カンカン・ムーサKankan Mūsāともいう。…
※「マリ帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」