コジモ・デ・メディチ(英語表記)Cosimo de' Medici

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コジモ・デ・メディチ」の意味・わかりやすい解説

コジモ・デ・メディチ
Cosimo de' Medici

[生]1389.9.27. フィレンツェ
[没]1464.8.1. カレッジ
イタリアフィレンツェ富豪,政治家。メディチ家隆盛の基礎を築いた人物で,イル・ベッキオ Il Vecchio(国父)と呼ばれた。金融業を通じて急成長を遂げたがフィレンツェの寡頭支配層の反感を買い,1433年その指導者リナルド・デリ・アルビッツィに捕えられて追放刑に処せられた。しかし市民の支持を得て翌 1434年フィレンツェに戻り,1435年にはゴンファロニエーレ(最高執政官)に選ばれ,しだいに市政実権を握って,事実上フィレンツェを支配するようになった。対外的にはミラノベネチア勢力均衡をはかってフィレンツェの安全に努めた。また文化,芸術を熱心に保護し,図書館を開設するなど,フィレンツェをルネサンスの中心地とすることに多大の貢献をした。これらの事業によりフィレンツェ市民から祖国の父とたたえられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コジモ・デ・メディチ」の意味・わかりやすい解説

コジモ・デ・メディチ
こじもでめでぃち
Cosimo de' Medici il Vecchio
(1389―1464)

イタリア、フィレンツェの富豪。メディチ家繁栄の基礎を築いた人物。銀行家として成功し、莫大(ばくだい)な財をなす。民衆の人気を背景に政治力を蓄え、新興の有力者にのし上がったが、そのため政敵に憎まれ1433年に追放される。しかし翌年フィレンツェに帰還後は、老獪(ろうかい)な政治手腕を振るってこの都市国家の事実上の支配者となる。他方、学芸にも深い理解を示し、大ぜいの学者、芸術家、建築家を保護し、ルネサンス芸術の開花に多大な貢献を行った。死後、国家より「祖国の父」の称号を贈られた。

[在里寛司]

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世界大百科事典(旧版)内のコジモ・デ・メディチの言及

【フィレンツェ】より

…またフィレンツェの勢力はシエナを除くトスカナ一円に拡大した。 1434年にコジモ・デ・メディチが権力を掌握した。彼は政敵を次々に排除し独裁的な地位に達したが,都市国家体制に手をつけることはなかった。…

【メディチ】より

…フィレンツェの政治家。父ジョバンニの興した銀行・両替業を拡大して国際的規模に発展させ,ことに教皇庁付銀行家として巨万の富を築き,メディチ家繁栄の礎石を置いた。1433年,コジモは彼の影響力と民衆間での厚い人望を恐れた当時の実力者アルビッツィ家の策略により逮捕され,ベネチアに追放される。しかし翌34年,政治状況の逆転により帰国がかない,市民・民衆に歓呼で迎えられた。この事件でコジモは一家の安泰と政治とは不可分だとの教訓を学び,それを生涯忘れなかった。…

【メディチ家】より

…15~18世紀にフィレンツェを中心に栄えたイタリアの財閥(図)。ルネサンス芸術の保護者の家系としても知られる。メディチ家繁栄の基礎を置いたのはジョバンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチGiovanni di Bicci de’ Mediciで,彼は銀行を興し,教皇庁との商取引をてこにこれを一流に育てた。しかしメディチ家がフィレンツェに君臨するのは次のコジモ(C.de’メディチ)の代で,コジモはアビニョン,ロンドンなど国外に多くの支店を出し,政治状況を積極的に利用して莫大な富を築き,メディチ銀行はヨーロッパ屈指の大銀行に成長した。…

※「コジモ・デ・メディチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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