ユグノー(その他表記)huguenot

デジタル大辞泉 「ユグノー」の意味・読み・例文・類語

ユグノー(〈フランス〉huguenot)

16~18世紀のフランスカルバンプロテスタントのこと。手工業者独立自営農民小商人に多く、次いで貴族層に浸透。カトリックと対立し、ユグノー戦争を経て、1598年のナント勅令により信仰の自由が認められたが、1685年、ルイ14世勅令廃止によって再び禁止され、1787年、ルイ16世寛容令によって自由を得た。

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精選版 日本国語大辞典 「ユグノー」の意味・読み・例文・類語

ユグノー

  1. 〘 名詞 〙 ( [フランス語] huguenot ) 一六~一八世紀のフランスのカルバン派プロテスタントの通称。フランス南西部を中心に、新興の産業市民層に多かった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ユグノー」の意味・わかりやすい解説

ユグノー
huguenot

宗教改革期からフランス革命に至る時期のフランスのカルバン派信徒をいう。語源については諸説があるが,〈誓約仲間〉を意味するドイツ語Eidgenosseのジュネーブなまりeyguenotに由来するとの説が有力である。カトリックのギーズ党がカルバン派信徒に対する賤称として用い始めたものであり,これに対しプロテスタントはカトリックを〈教皇の徒Papiste〉と呼んで対抗した。今日のフランスではカルバン派は単に〈改革派réformé〉と呼びユグノーの名を用いないが,アングロ・サクソン世界ではなお常用され,日本でもその影響でユグノーという表現が教科書などでも用いられている。16世紀のフランスでは,さまざまな宗教改革の潮流がみられたが,カルバンの登場以来,その影響が圧倒的となり,プロテスタントの大多数はカルバン派に属した。1559年,カルバン派は,パリにおいて第1回の全国改革派教会会議を開き,信仰の基本となる〈フランス信条〉を採択して,ジュネーブの強い影響下にありながらも,フランス固有の改革派の組織化が進められた。98年ナントの王令発布時の改革派信徒数は,ほぼ125万と推定されている。当時の人口を1800万程度と仮定すれば,15人に1人が改革派であったことになる。このほかにもちろん,厳しい弾圧や宗教戦乱で国外に脱出した少なからぬ亡命者も考慮に入れなければならない。社会層としては,知識人と並んで手工業者に広く浸透したことが特徴とされる。しかし,とくにフランスの西部,南部では農村への浸透も注目され,1685年ナントの王令廃止で知識層や商人,手工業者が多数国外に亡命した後も隠れユグノーとしてとどまり,カミザールの乱のように抵抗の拠点ともなった。現在フランスのプロテスタントはカルバン派約40万,その他諸グループ合わせても80万足らずであり,少数派として閉鎖的な傾向もみられるが,多くの知識人を生み,政界,金融界にも独自の人間関係を形成している。
改革派教会
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百科事典マイペディア 「ユグノー」の意味・わかりやすい解説

ユグノー

フランスのカルバン派信徒の旧称。現在は〈改革派〉と呼ばれる。語源は〈誓約仲間〉を意味するドイツ語Eidgenosseのジュネーブなまりに由来するといわれる。16世紀前半から次第に増加したユグノーはカトリックと対立,ユグノー戦争で多くの知識人や手工業者が国外に流出した。→改革派教会
→関連項目アムステルダムアンリ[3世]アンリ[4世]オッフェンバッハ宗教改革ラ・ロシェルリシュリュールイ[13世]ルイ[14世]ロドリゲス[島]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユグノー」の意味・わかりやすい解説

ユグノー
ゆぐのー
Huguenot

カルバンの伝統を継ぐフランスのプロテスタント教会の別称。語源は明らかでないが、スイスの国名のドイツ語形Eidgenossen(盟約共同体)からIguenots, Huguenotsと転じたともいわれる。ジュネーブで受けた強い影響をフランスに持ち帰ったカルビニズムの信奉者たちは、1550年代なかばから長老制教会政治、顕著な世俗内禁欲主義の傾向、加えて反王権的姿勢を特色とする独自の流れを形成し始めた。なかにはコンデナバルコリニーなど高位の有力貴族も含まれる。1559年の「フランス信仰」Confessio Gallicanaはユグノー派の共通のよりどころとなった。

 1560年代に入ると、バロア王朝およびカトリックのギーズ公家との間で激しい武力衝突をきたし、30年に及ぶ宗教戦争の末、アンリ4世のナント王令(1598)によって初めて法的に平等な承認を獲得した。その結果、ボルドー、ナント、ルーアンなど南フランスを中心に富裕な都市がユグノー派の支配下に入り、モントーバンセダンなどの神学院も隆盛をみた。しかし、1685年ルイ14世がナント王令を撤回するに及んで、ユグノーの多くは国外に亡命し、高度の技術と資力、および勤勉によって各地の近代市民文化の振興に大きく寄与した。

[出村 彰]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユグノー」の意味・わかりやすい解説

ユグノー
Huguenot

フランスのカルバン派教徒 (→カルバン主義 ) の総称。 16世紀初めからフランスに広まった教会改革運動は,政府の弾圧により多くの亡命者を生んでいたが,1559年パリでプロテスタントの教会会議が開かれ,多くをカルバン派の見解に従った信仰告白が作成された。以後信者は増大したが,それとともにカトリックとの対立も激化し,62年「バシーの虐殺」を発端としてユグノー戦争が起った。 72年「サン=バルテルミの虐殺」では多くの死者を出したが,98年ユグノーの信仰の自由を保障する「ナントの勅令」によって戦いは終結をみた。しかし,ルイ 14世は絶対君主のもとでのフランスの統一を望み,1685年「ナントの勅令」を破棄し (→フォンテンブロー勅令 ) ,弾圧を再開した。以後フランス国内で地下運動を続けた信者や反乱 (→カミザール戦争 ) を起した者もいたが,国外に逃亡した者も多く,フランス革命まで彼らの自由を回復することはできなかった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ユグノー」の解説

ユグノー
Huguenot (フランス)

フランスのカルヴァン派の呼び名
フランスの南西部を基盤に,独立自営農民・手工業者・小商人の間に広がり,さらに産業資本家・一部領主をも加えて,カトリックを背景とする封建体制と激しく対立した。ユグノー戦争(1562〜98)をへてナントの勅令(1598)で信仰の自由が認められたが,1685年ルイ14世の勅令廃止でその多くがイギリス・オランダ・ドイツに亡命し,フランス産業に大きな打撃を与え,絶対王政の基礎を揺るがした。ユグノーというあだ名は,パリの街に現れたKing Hugoという妖怪からきたとも,Eidgenossen(同盟)のなまりともいう。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ユグノー」の解説

ユグノー
huguenot

16世紀半ばからフランスに広まったカルヴァン派のプロテスタント。語義は不詳。カトリック教徒と対立し,ユグノー戦争を起こしたが,その後は衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内のユグノーの言及

【ベルリン】より

…反面,近代的大都市への急激な変貌は,城壁や市壁に囲まれた伝統的都市構造の改造や都市行政の変革にも影をおとし,伝統と近代の混在する独特の都市構造を生み出した。さらに,ユグノーを受け入れユダヤ人にも寛容であったという歴史的経緯もあって,ベルリンは諸文化のるつぼともなり,ワイマール時代に典型的にみられるようなコスモポリタン的な文化が形成された。こうした〈世界都市〉的性格が,東西に分裂したのちも,ドイツ第一の都市としてのベルリンの地位を支えたといえよう。…

※「ユグノー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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