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ユグノー Huguenot

翻訳|Huguenot

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユグノー
Huguenot

フランスのカルバン派教徒 (→カルバン主義 ) の総称。 16世紀初めからフランスに広まった教会改革運動は,政府の弾圧により多くの亡命者を生んでいたが,1559年パリでプロテスタントの教会会議が開かれ,多くをカルバン派の見解に従った信仰告白が作成された。以後信者は増大したが,それとともにカトリックとの対立も激化し,62年「バシーの虐殺」を発端としてユグノー戦争が起った。 72年「サン=バルテルミの虐殺」では多くの死者を出したが,98年ユグノーの信仰の自由を保障する「ナントの勅令」によって戦いは終結をみた。しかし,ルイ 14世は絶対君主のもとでのフランスの統一を望み,1685年「ナントの勅令」を破棄し (→フォンテンブロー勅令 ) ,弾圧を再開した。以後フランス国内で地下運動を続けた信者や反乱 (→カミザール戦争 ) を起した者もいたが,国外に逃亡した者も多く,フランス革命まで彼らの自由を回復することはできなかった。

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デジタル大辞泉の解説

ユグノー(〈フランス〉huguenot)

16~18世紀のフランスのカルバンプロテスタントのこと。手工業者独立自営農民小商人に多く、次いで貴族層に浸透。カトリックと対立し、ユグノー戦争を経て、1598年のナント勅令により信仰の自由が認められたが、1685年、ルイ14世の勅令廃止によって再び禁止され、1787年、ルイ16世寛容令によって自由を得た。

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百科事典マイペディアの解説

ユグノー

フランスのカルバン派信徒の旧称。現在は〈改革派〉と呼ばれる。語源は〈誓約仲間〉を意味するドイツ語Eidgenosseのジュネーブなまりに由来するといわれる。16世紀前半から次第に増加したユグノーはカトリックと対立,ユグノー戦争で多くの知識人や手工業者が国外に流出した。
→関連項目アムステルダムアンリ[3世]アンリ[4世]オッフェンバッハ宗教改革ラ・ロシェルリシュリュールイ[13世]ルイ[14世]ロドリゲス[島]

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世界大百科事典 第2版の解説

ユグノー【huguenot】

宗教改革期からフランス革命に至る時期のフランスのカルバン派信徒をいう。語源については諸説があるが,〈誓約仲間〉を意味するドイツ語Eidgenosseのジュネーブなまりeyguenotに由来するとの説が有力である。カトリックのギーズ党がカルバン派信徒に対する賤称として用い始めたものであり,これに対しプロテスタントはカトリックを〈教皇の徒Papiste〉と呼んで対抗した。今日のフランスではカルバン派は単に〈改革派réformé〉と呼びユグノーの名を用いないが,アングロ・サクソン世界ではなお常用され,日本でもその影響でユグノーという表現が教科書などでも用いられている。

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大辞林 第三版の解説

ユグノー【huguenot】

一六~一八世紀フランスのカルバン派プロテスタントのこと。独立自営農民・手工業者・小商人などが多く、1562~98年、カトリック教会との間に宗教戦争(ユグノー戦争)を展開。1787年ルイ一六世の寛容令で最終的に信仰の自由を獲得。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユグノー
ゆぐのー
Huguenot

カルバンの伝統を継ぐフランスのプロテスタント教会の別称。語源は明らかでないが、スイスの国名のドイツ語形Eidgenossen(盟約共同体)からIguenots, Huguenotsと転じたともいわれる。ジュネーブで受けた強い影響をフランスに持ち帰ったカルビニズムの信奉者たちは、1550年代なかばから長老制教会政治、顕著な世俗内禁欲主義の傾向、加えて反王権的姿勢を特色とする独自の流れを形成し始めた。なかにはコンデ、ナバル、コリニーなど高位の有力貴族も含まれる。1559年の「フランス信仰」Confessio Gallicanaはユグノー派の共通のよりどころとなった。
 1560年代に入ると、バロア王朝およびカトリックのギーズ公家との間で激しい武力衝突をきたし、30年に及ぶ宗教戦争の末、アンリ4世のナント王令(1598)によって初めて法的に平等な承認を獲得した。その結果、ボルドー、ナント、ルーアンなど南フランスを中心に富裕な都市がユグノー派の支配下に入り、モントーバン、セダンなどの神学院も隆盛をみた。しかし、1685年ルイ14世がナント王令を撤回するに及んで、ユグノーの多くは国外に亡命し、高度の技術と資力、および勤勉によって各地の近代市民文化の振興に大きく寄与した。[出村 彰]

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世界大百科事典内のユグノーの言及

【ベルリン】より

…反面,近代的大都市への急激な変貌は,城壁や市壁に囲まれた伝統的都市構造の改造や都市行政の変革にも影をおとし,伝統と近代の混在する独特の都市構造を生み出した。さらに,ユグノーを受け入れユダヤ人にも寛容であったという歴史的経緯もあって,ベルリンは諸文化のるつぼともなり,ワイマール時代に典型的にみられるようなコスモポリタン的な文化が形成された。こうした〈世界都市〉的性格が,東西に分裂したのちも,ドイツ第一の都市としてのベルリンの地位を支えたといえよう。…

※「ユグノー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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