ユダ王国(読み)ユダおうこく(英語表記)Judah

精選版 日本国語大辞典 「ユダ王国」の意味・読み・例文・類語

ユダ‐おうこく ‥ワウコク【ユダ王国】

現在のパレスチナ地方にあったユダヤ人王国前九二八頃‐前五八六)。古代ヘブライ王国分裂後、その南半に生まれた国(南王国)で、北のイスラエル王国と対立した。首都エルサレム。前五九七年、新バビロニアに攻められて第一回の捕囚にあい、ついで前五八六年、新バビロニアのためにほとんど全員が第二回の捕囚にあって滅亡ユダヤ王国とも。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ユダ王国」の意味・読み・例文・類語

ユダ‐おうこく〔‐ワウコク〕【ユダ王国】

Judah》古代イスラエル王国がソロモン王の没後南北に分裂し、前928年その南半に成立した王国。都はエルサレム。前586年、新バビロニア王国に滅ぼされ、多く住民バビロンに連れ去られた。ユダヤ王国。南王国。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユダ王国」の意味・わかりやすい解説

ユダ王国
ゆだおうこく
Judah

古代のイスラエル王国の分裂によって成立した王国(前928~前586)。ソロモン王の没後、イスラエル王国は、北の10部族からなるイスラエル王国(北王国)と、南のユダ人とベニヤミン人を含むユダ王国(南王国)に分裂独立した。ソロモンの子レハベアムを初代の王(在位前928~前911)とし、20人の王が続き、エルサレムを首都として南パレスチナのユダ地方を支配した。ユダ王国は、イスラエル王国に比べて、農耕に適する土地が少なく、その経済構造は家畜飼育に大きく依存していたが、エルサレムを基盤とした政治的、宗教的中心をもち、かつダビデ家系を継いだ安定した王朝と、住民が比較的同質であったために総じて平和な長い治世が続いた。たとえば、第3代王アサ(在位前908~前867)の41年間、第4代王ヨシャファト(在位前867~前847)の21年間という長い治世がみられる。

 ユダ王国は、勢力を盛り返したエジプトアッシリアとの間にたたされ、内政・外交ともに振るわなかったが、紀元前721年、アッシリアのサルゴン2世によるイスラエル王国滅亡後も存続した。宗教的には、異教の神々の礼拝に対して預言者たちの反対運動が起こり、ヒゼキヤ王(在位前727~前698)やヨシヤ王(在位前640~前609)による祭儀改革が行われた。ヨシヤの長子エホヤキムは即位後3年間エジプトの宗主権に服し、その子エホヤキン(在位3か月)は新バビロニア軍に降伏し、エルサレムは一時的に救われたが、エルサレム神殿と王の宝庫は略奪され、エホヤキンと指導者階層(約1万人)は捕らえられてバビロンへ移された(前597年、第1回バビロン捕囚)。エホヤキンとともに連行された祭司エゼキエルは、バビロンで捕囚民の預言者として活動した。ついでユダ王国最後の支配者に任ぜられたゼデキアも新バビロニアに背いたため、エルサレムは落城し、徹底的に破壊され、ユダ王国は、新バビロニアの属州となり、ユダの住民はバビロニアに連れ去られ、滅亡した。ちなみに、前582年ころ、エルサレム残留民の一部はバビロンへ捕らえ移された(第3回バビロン捕囚)。

[高橋正男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユダ王国」の意味・わかりやすい解説

ユダ王国
ユダおうこく
Kingdom of Juda

ソロモンの死後,ヘブライ人の統一王国が2つに分裂してできた王国の一つ (前 937/22~586) 。南部にあったので南王国ともいう。すでに統一時代から南北の対立がみられたが,北部はヤラベアムに率いられて独立した (前 937/22頃) ため,首都エルサレムおよびその周辺,ユダの荒野,シェフェラ,ネゲブ地方などを含むユダ王国が残る結果となった。その領土の大部分は荒野であり,遊牧生活の伝統を基とした。王たちの一部,ヒゼキヤ (在位前 725~709) ,ヨシヤ (在位前 640~609) らは純粋なヤハウェ一神教による国政改革を試みたが,エルサレムの文化はソロモン以来のカナン的傾向をもち続けた。イスラエル王国と同様にダマスカスのアラム人,モアブ人,アッシリア人,エジプト人などの攻撃にさらされたが,イスラエル王国よりも 135年間だけ命脈を保った。しかし独立は次第に名ばかりとなり,前 586年新バビロニアのネブカドネザル2世にエルサレムを攻囲され,降伏後ヘブライ人貴族,軍人らはバビロンへ連れ去られ (→バビロン捕囚 ) ,王国は滅亡。翌年エルサレムは完全に破壊された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ユダ王国」の意味・わかりやすい解説

ユダ王国【ユダおうこく】

古代イスラエル人の王国。ユダJuda族出身のダビデの建国になり,北方諸部族の対抗勢力として興った。前928年ころのソロモンの死後,ユダ王国を含む統一イスラエル王国は分裂するが,これ以降は南ユダ王国と称して区別される。カナン南部のユダ地方を支配し,エルサレムを首都とした。北イスラエル王国滅亡後も存続したが,前586年ゼデキア王のときに新バビロニアに滅ぼされた。
→関連項目パレスティナヘブロン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ユダ王国」の解説

ユダ王国(ユダおうこく)
Judah

ヘブライ人の王国。前931年頃にソロモン王が没すると統一王国は分裂し,パレスチナ南部にソロモンの子レハブアムを王とするユダ族中心の国家が,イェルサレムを首都として成立した。北のイスラエル王国滅亡後も存続したが,エジプトとアッシリアという二大勢力に挟まれて苦境をなめたあげく,新バビロニアネブカドネザル2世に前587年ないし前586年に滅ぼされ,人々はバビロン捕囚の悲運に見舞われた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典 第2版 「ユダ王国」の意味・わかりやすい解説

ユダおうこく【ユダ王国】

古代イスラエル人の王国。前1000年ころ,イスラエル王国初代の王サウルがフィリステア人(ペリシテ人)と戦って敗死すると,フィリステア人の国に亡命していたダビデは,南方諸部族の中心都市ヘブロンに行き,ユダ王国を建てた。その後,ダビデはイスラエル王国の王位も兼ねたが,ユダ王国はイスラエル王国と別個の政治組織として残された。このように,ユダ王国は,ユダ族出身のダビデが北方諸部族に対してユダ族を中心とする南方諸部族を糾合した政治勢力として興ったのである。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ユダ王国」の解説

ユダ王国
ユダおうこく
Judah

ヘブライ王国の分裂により,その南半に建設されたヘブライ人の王国(前937または前922〜前586)。ユダヤ王国ともいう
北のイスラエル王国と相対したが,前586年新バビロニア王国のネブカドネザル2世に滅ぼされ,そのとき“バビロン捕囚”にあった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内のユダ王国の言及

【イスラエル王国】より

…ただし,この複合王国を代表する名称はイスラエルであった。そこで,サウルとダビデ,ソロモンが支配したイスラエル王国を〈統一イスラエル王国〉,ソロモンの死後ダビデ家の支配を脱して南のユダ王国と対立したイスラエル王国を〈北イスラエル王国〉と呼んで,両者を区別する。 前10世紀初頭に,ダビデは南方部族の中心都市ヘブロンから,南北複合王国の中間に位置するエルサレムに遷都し,そこへ王国成立前の部族同盟の象徴であった〈契約の箱〉を搬入して,イスラエルの神ヤハウェがエルサレムを選び,同時にダビデとその子孫を全イスラエルの支配者に選んだと主張した。…

【エルサレム】より

…エルサレムは政治的だけでなく宗教的にも国家の中心となり,人々は毎年イスラエル全土からエルサレム巡礼に出かけた。 ソロモンの死後イスラエル統一王国が南北に分裂すると,エルサレムは南のユダ王国の首都となる。前586年,ユダはバビロニアのネブカドネザル王の率いる軍隊によって征服され,エルサレム全市が破壊されて炎上,人々はバビロニアの地に連れ去られる。…

※「ユダ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

少子化問題

少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...

少子化問題の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android