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レオ[10世] レオ

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百科事典マイペディアの解説

レオ[10世]【レオ】

ローマ教皇(在位1513年―1521年)。メディチ家出身。フランス国王フランソア1世のイタリア侵入に対抗,1516年〈ボローニャ協定〉を結んで教権を守った。サン・ピエトロ大聖堂新築資金を集めるためドイツ免罪符を販売させルターの批判を招いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

レオ[10世]【Leo X】

1475‐1521
ローマ教皇。在位1513‐21年。フィレンツェの銀行家ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)の次男として生まれ,7歳で修道士,13歳で枢機卿となる。1494年のメディチ家のフィレンツェ追放後ヨーロッパ各国を回り,1500年ローマに帰る。11年教皇特使,13年38歳で教皇となる。徳性や敬虔さに欠けるところはなかったが,浪費家でわずか2年で教皇庁の財政を危機に陥れたという。フランソア1世との〈ボローニャ協定〉,ルターの破門は有名である。

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世界大百科事典内のレオ[10世]の言及

【教皇】より

…パパPapaという親称は,本来ギリシア語のパパスpapas(〈父〉の意)に由来し,東方世界において修道院長,主教,総主教に対して使われていた。ローマでは初めてローマ司教リベリウスLiberius(在位352‐366,以下同)の墓碑に記され,レオ1世Leo I(440‐461)あての東方教会からの手紙にはしばしば現れる。西方教会では5世紀中葉以来ローマ司教のみが〈パパ〉すなわち〈信仰上の父〉〈教皇〉と呼ばれるようになった。…

【宗教改革】より

…これら両論著がドイツ語でひろく読まれ,まさに国民的な影響を及ぼしたのに対し,《教会のバビロン捕囚》はラテン語の神学者ないし聖職者向けの著述であるが,ここで彼がカトリック教会の七つの秘跡(サクラメント)に聖書主義の立場から批判を加え,サクラメントを洗礼と聖餐の二つだけに限定したことは注目すべきである。
[改革の進展]
 ローマでは,1520年6月に教皇レオ10世が,いまや異端の判決を下されたルターに対し,所説の撤回を破門の威嚇によって強要する教勅(《エクススルゲ・ドミネ》)を発していた。ドイツ各地に反ローマ感情が高まる中で,さまざまな妨害を受けつつ,この教勅がルターのもとに届いたのは,秋に入ってからだった。…

【メディチ家】より

…1512年,カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)の後ろ楯により,ロレンツォの次男で枢機卿のジョバンニGiovanni de’ M.がフィレンツェに入城,メディチ家の復帰は成るが,このためフィレンツェは長らくスペインの勢力下に置かれる。翌13年,彼が教皇レオ10世となったため,追放されたピエロの子ロレンツォ2世Lorenzo II de’ M.が,次いでイル・マニフィコの甥で枢機卿のジュリオGiulio de’ M.が当主の座に就くが,この地位は親メディチの寡頭市民グループに支えられた。なおこのジュリオの尽力でフランス王家に嫁ぎ,妃となったカトリーヌ・ド・メディシスと,後代,アンリ4世妃となったマリアという,2人のフランス王妃をメディチ家は出している。…

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