大阪市中央区道頓堀(どうとんぼり)にあった劇場。1652年(承応1)京都から下った塩屋九郎右衛門(くろうえもん)の芝居が公許になったのに始まる。所在地が大西の芝居(1887年=明治20=浪花(なにわ)座と改称、2002年=平成14=1月閉館)と角(かど)の芝居(角座)の中間にあったので、中の芝居とよばれ、江戸時代大坂の伝統ある大劇場として栄えた。1920年(大正9)松竹合名社の経営となり改築、以後初世中村鴈治郎(がんじろう)、2世中村梅玉(ばいぎょく)、初世実川延若(じつかわえんじゃく)らが活躍した。1945年(昭和20)戦災により焼失したが、47年再築し、市川寿海(じゅかい)、2世中村鴈治郎、13世片岡仁左衛門(にざえもん)らによる歌舞伎(かぶき)や、松竹新喜劇などの興行が続けられ、大阪でもっとも伝統と古格を保つ歌舞伎劇場として存在意義をもっていた。1999年(平成11)10月経営不振などの理由により閉館した。
[菊池 明]
大阪市中央区道頓堀1丁目(旧,西櫓町)にあった劇場。1652年(承応1)の道頓堀芝居名代御定のおりの塩屋九郎右衛門芝居に始まる。大西芝居と角の芝居にはさまれて大芝居三座の真ん中にあったので,中の芝居と呼ばれた。元禄期(1688-1704)から片岡仁左衛門,岩井半四郎,竹島幸左衛門などが座本として活躍。何度か焼失の災にあいながら,大西芝居の衰退の中にも一貫して角座とともに大坂の大芝居劇場として栄えた。1876年焼失,同年11月に新築落成。84年5月に舞台用にアーク灯を点じたことがある。同年12月に鴈治郎一座開演準備中に焼失,翌年新築落成し電灯を舞台照明に使用しはじめる。1920年松竹合名社の手に移り改築。宿敵の11世片岡仁左衛門,初世中村鴈治郎合同が23年にここで実現した。34年改築後は浪花座に代わって鴈治郎の本拠地となる。45年の空襲で焼失。再建後は歌舞伎や松竹新喜劇の興行が行われる。古格を持つ大阪の劇場として健在を保っていたが,99年閉鎖。
執筆者:松平 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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