中形というのは本来中くらいの柄(がら)ゆきという意味であったが、いつのころからか、図柄の大小にかかわらず、型染めになる木綿(もめん)地の浴衣(ゆかた)を総称するようになった。長い板に生地(きじ)を貼(は)り、端から順次型付けし、改めて生地の裏面にも表の型にあわせて型付けし、藍甕(あいがめ)に浸染して仕上げるのが本来の中形の染技で、長板中形とよんでいる。長板中形はこのように手数がかかるので、明治時代のなかばに大阪で手拭(てぬぐい)染めの手法を浴衣染めに行うようくふうされた。生地を手拭幅に折り畳みながら型付けし、染料を注ぎかけて染める。この手法は長板中形に比して作業が能率的で、今日では細緻(さいち)な特殊なものを除いてほとんどこの手法によっている。長板に生地を貼(は)ってする長板中形に比し、手拭染めの転化したことから手拭中形、あるいは染料を注ぎ染めることから注染(ちゅうせん)ともよんでいる。
中形染めには以上のほかに、二つの円筒に模様を彫り、円筒の中に糊(のり)を入れ、二つの円筒の間に生地を通して一挙に生地の両面に型付けし、浸染して仕上げる籠(かご)付けの方法がある。模様を彫った円筒を籠になぞらえての呼称である。中形は紺と白にさっぱりと染め上げられたところにその味があるが、地が白く模様部が染められている地白のものと、地を藍(あい)に染め、模様を白抜きに染め出している地染めの浴衣があり、地染めのものは昼間に、地白のものは夜間着用するという。
[杉原信彦]
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中型紙(鯨尺3寸7分~7寸5分)によって染めた柄の名称。おもに夏用の木綿ゆかたに用いられたので,ゆかたの別名ともなった。絵画的な図柄が多く,地染に模様を白く染め抜いたものと,地白に色模様を染め出したものの2種がある。染法は長板(捺染板,約9m)に敷きのり(糊)をして生地をはりつけ,型紙を置いて防染のりをおき,表型付が終わると生地をはがし,長板の反対面に裏返してはり,型紙を裏返して裏型付を行う。型付を終わって乾燥した生地に豆汁(ごじる)(大豆をすりつぶした乳白色の液)を引き,藍瓶(あいがめ)に数回つけて染め上げる。表裏両面の型付が正確に行われると,柄がすっきりと切れ味よく仕上がるところに特色がある。明治末期に生地を折り畳んで型紙を置き,防染のりを引いて染料を上から注ぎふいご(鞴)を使って空気を送る注染法が開発され,生産の効率を高めて発達したので,伝統的な技法を長板中形と呼ぶ。
執筆者:伊藤 敏子
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…友禅染がそれを代表する。また型染の技術による小紋,中形(ちゆうがた)の意匠が発達した。小紋,中形は染の量産化の情況に即したものだが,型紙を何十枚も使って,見えないぜいたくをこらしたものもなかにはある。…
…さらに,当代の意匠・技術は今日の染織界にも受け継がれ,新しい染織の創造の母体ともなっている。江戸時代の染色で第1に挙げなければならないのは友禅染に代表される文様染であり,第2には小紋や中形(ちゆうがた)によって代表される型染の著しい発達である。それらの技術的発展の背後にある要因として,前述のように小袖が広く社会の主要な服装となったことが挙げられる。…
…人前で着るものとして扱われなかったゆかたが,男女ともに外出にも着るようになったのは明治中期以後,上物ができたからである。現在でも女物の紅梅(こうばい),綿絽(めんろ),綿縮(めんちぢみ)などの中形(ちゆうがた)染や長板本染中形(ながいたほんぞめちゆうがた)の高級ゆかたは,八寸名古屋帯をお太鼓に締めて街着とする。家庭用は裾除(すそよけ)をつけて素肌に着,半幅帯を締めるが,街着とする高級ゆかたには半じゅばんを着る。…
※「中形」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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