《古事記》《日本書紀》神武天皇条の大和平定物語に編みこまれた宮廷歌曲群の名。来目歌とも記す。重複を合わせ延べ14。初期ヤマト王権に服属して親衛軍団の伴造(とものみやつこ)(首長)や料理調達の膳夫(かしわで)になった久米氏が,戦いの酒宴の合唱と舞いとをもとに,宮廷儀礼の場で大王(天皇)に忠誠を誓って奏したのに由来する。〈宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る わが待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし 鯢(くちら)障る……〉など,服属以前,大和の山民時代に狩りによせて敵を哄笑した古曲と,〈みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に植ゑし椒(はじかみ)……〉など,服属以後,王権の下に久米部(べ)としてその首長を介して歌った新曲とをともに言う。歌詞には,狩猟的また農耕的な鴫・粟・韮(にら)・山椒や海産物の細螺(しただみ)など,生活性・現場性に富む形象がうたいこまれ,それらが戦闘の集団行動の比喩に転じてゆく。また,宇陀,伊勢の地名も目だつ。長い伝承の間に歌の管理や歌い方は変遷して,楽府(がふ)(宮廷音楽の役所)でも歌い,古曲は大小の手斧を持って古式に舞った。のち,即位儀礼の大嘗祭(だいじようさい)の饗宴に大伴・佐伯両氏が久米舞を奏し,雅楽寮で大伴氏が琴を弾き佐伯氏が刀を持って舞って土蜘蛛を斬る所作をするなど芸能化を強め,大仏開眼供養にも上演されたが,なお久米の歌舞の名をのこすのは,大伴氏らに包摂される以前の久米氏の栄光を語るものといえる。歌が初代天皇の物語に編みこまれたのは大嘗祭にかかわるか。1818年(文政1)に再興され,宮内庁の雅楽にのこる。
執筆者:本田 義憲
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