久米歌(読み)クメウタ

デジタル大辞泉 「久米歌」の意味・読み・例文・類語

くめ‐うた【久米歌/来目歌】

古代歌謡うち記紀神武天皇の条にある久米部くめべが歌ったとされる6首の歌。また、特に久米舞に用いる歌をいう。

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精選版 日本国語大辞典 「久米歌」の意味・読み・例文・類語

くめ‐うた【久米歌・来目歌】

  1. 古代歌謡の一つ。久米舞の時に歌われたもので、古事記日本書紀の神武天皇の条にその由来を伝えている。元来は、久米氏の朝廷への服属儀礼として伝わったものと推定される。雅楽寮で、五節舞、楯臥舞などと共に伝習されたが、平安時代に歌詞がなくなり、和琴の伴奏による舞となった。→久米舞
    1. [初出の実例]「天皇、其の酒宍(しし)を以て、軍卒(いくさのひととも)班賜(あかちたま)ふ。乃ち御謡(みうたよみ)して曰(の)たまはく、〈略〉是を来目(クメ)歌と謂ふ」(出典:日本書紀(720)神武即位前戊午年八月(北野本室町時代訓))

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改訂新版 世界大百科事典 「久米歌」の意味・わかりやすい解説

久米歌 (くめうた)

《古事記》《日本書紀》神武天皇条の大和平定物語に編みこまれた宮廷歌曲群の名。来目歌とも記す。重複を合わせ延べ14。初期ヤマト王権に服属して親衛軍団の伴造(とものみやつこ)(首長)や料理調達の膳夫(かしわで)になった久米氏が,戦いの酒宴合唱と舞いとをもとに,宮廷儀礼の場で大王(天皇)に忠誠を誓って奏したのに由来する。〈宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る わが待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし 鯢(くちら)障る……〉など,服属以前,大和の山民時代に狩りによせて敵を哄笑した古曲と,〈みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に植ゑし椒(はじかみ)……〉など,服属以後,王権の下に久米部(べ)としてその首長を介して歌った新曲とをともに言う。歌詞には,狩猟的また農耕的な鴫・粟・韮(にら)・山椒海産物細螺(しただみ)など,生活性・現場性に富む形象がうたいこまれ,それらが戦闘の集団行動の比喩に転じてゆく。また,宇陀,伊勢の地名も目だつ。長い伝承の間に歌の管理や歌い方は変遷して,楽府(がふ)(宮廷音楽の役所)でも歌い,古曲は大小の手斧を持って古式に舞った。のち,即位儀礼の大嘗祭(だいじようさい)の饗宴に大伴・佐伯両氏が久米舞を奏し,雅楽寮で大伴氏が琴を弾き佐伯氏が刀を持って舞って土蜘蛛を斬る所作をするなど芸能化を強め,大仏開眼供養にも上演されたが,なお久米の歌舞の名をのこすのは,大伴氏らに包摂される以前の久米氏の栄光を語るものといえる。歌が初代天皇の物語に編みこまれたのは大嘗祭にかかわるか。1818年(文政1)に再興され,宮内庁の雅楽にのこる。
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百科事典マイペディア 「久米歌」の意味・わかりやすい解説

久米歌【くめうた】

来目歌とも書く。《古事記》《日本書紀》の神武天皇の条にみえる天皇の5首,道臣命(みちのおみのみこと)の1首,兵卒の2首,計8首の歌をいう。多く〈撃ちてし止まむ〉の句で結ばれる。もととなったのは,久米氏に伝承された戦いの酒宴の合唱と舞であろうとされ,王権への服属後,宮廷儀礼の場でこれをもとにした歌と舞を奏して忠誠を誓ったものと考えられている。伴奏や舞をつけ〈久米舞〉と称して宮中の儀式,節会(せちえ)などに舞った。中世に絶え,近世後期復興のものが宮内庁に伝わる。
→関連項目来目部/久米部

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