憲法28条は,〈勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は,これを保障する〉とし,労働基本権(労働三権ともいい,団結権,団体交渉権,争議権をさす)を保障している。このうち〈その他の団体行動をする権利〉が争議行為をする権利,すなわち争議権をさすと解されている。
労働者は,賃金労働時間その他の労働条件を維持・改善し,その経済的地位の向上を図るために労働組合を結成またはこれに加入する権利(団結権)を保障され,使用者またはその団体と対等な立場で交渉しその結果を労働協約として締結する権利(団体交渉権)をもつ。しかし,団体交渉が不調に終わり合意に達しない場合,あるいは労働協約が遵守実行されない場合には,交渉の進展を求めて新たに合意するまで,すなわち新たな労働協約が締結されるまで,あるいは労働協約が完全に実行されるまで,労働組合または争議団は労働の提供を拒否することができる。これを争議権とよび,労働提供拒否を争議行為とよぶ。したがって争議権は,争議行為を行う権利であり,争議行為を含めたあらゆる労使紛争をさす労働争議を行う権利という意味ではない。労働三権のなかで,いかなる権利を本体的な権利と考えるかは議論のあるところであるが,労働条件の維持・改善のために取引・交渉を行うことが労働組合の目的であると考えるならば,争議権は団体交渉権の手段的な地位に立つ権利であるということができる。しかし争議権を容易に行使できる力を持っていない労働組合は,経済学的には,それだけ弱い交渉力しか持っていないことになるので,争議権が団体交渉権を支える意味はきわめて大きい。
争議権を法的に保障するとは,争議行為を行う当事者(労働組合,争議団やその構成員,または使用者やその団体)に対して,争議行為を行ったことを理由として,刑罰・罰金などの刑事制裁を科さない,あるいは懲戒や損害賠償などの民事責任を負わされないということである。刑事責任を免除することを刑事免責とよび,民事責任を免除することを民事免責とよぶ。労働組合法1条2項は,正当な団体行動(争議行為)の刑事免責を規定するが,〈暴力の行使〉だけはいかなる場合も正当な争議行為と認められず刑事免責されない。また労働組合法8条は,正当な争議行為の民事免責を規定している。集団的な労働提供拒否は,労働契約における労働者の主要な義務である労働提供義務を履行しないという債務不履行に該当するが,債務不履行責任の主要な効果である損害賠償責任は免除する。また,労働組合が労働者を契約違反に誘導する点をとらえて,あるいは使用者の営業の権利を侵害する点をとらえて,不法行為責任が生ずることも否定できないが,この主要な効果である損害賠償責任は免除する。懲戒あるいは債務不履行の効果である解約(通常解雇)は,正当な争議行為を理由とする差別待遇であり,労働組合法7条の不当労働行為に該当し無効となる。
争議権の確立の歴史は,法的責任の免責の獲得の歴史である。典型的な過程を示したイギリスでは最初,労働組合の結成自体を禁止した。労働組合の活動は,労働の自由な取引を制限するコンスピラシーconspiracy(共謀)であるとして,違法にされたのである。その後,1824年に個人の自由の原則に従って許されること--自由に集会に参加し,労働の売渡しを差し控えること--は集団的に行っても許されることを認めた(団結禁止法の撤廃)。さらに,1875年には,共謀及び財産保護法を制定して,個人の自由という市民法の原理を超えて,暴力・脅迫などを伴わない争議行為の刑事免責を規定した。この後,争議行為は,他人を害する契約解除,新規契約締結拒否(解約型ストライキ)は不法行為に当たるという民事コンスピラシー理論に遭遇し,損害賠償請求という攻撃を受けるが,1906年労働争議法制定によって民事免責が確立したのである。
私企業の労働者については,次の場合に争議行為が制限される。公益事業の労働者は,争議行為の開始前に10日間の予告期間を必要とし,さらに内閣総理大臣による緊急調整の決定が公表された場合には公表日から50日間禁止される(労働関係調整法4章の2,5章)。労働委員会の争議調停が行われ,受諾された調停案の解釈履行に疑義ある場合は,申請後15日を限度として労働委員会の見解が示されるまでは争議行為が禁止される(3章)。また,船員については人命もしくは船舶に危険が及ぶとき(船員法30条),電気事業については電気供給を停止させるとき,石炭鉱業については保安を停廃させるとき(スト規制法)は,争議行為は禁止される。この禁止規定に違反する争議行為は,一律に民・刑事免責を失うものでなく,各規定の趣旨に照らして免責の有無が判断される。
公務員,国営企業等および地方公営企業の職員の争議行為は全面的に禁止される(国家公務員法98条,地方公務員法37条,国営企業労働関係法17条および地方公営企業労働関係法11条)。そして違反に対しては刑事罰・免職を含む重い制裁を科している。この争議権の否定については,違憲論・合憲論が今日に至るまで鋭く対立している。最高裁判所は,全逓東京中郵事件判決(1966年10月)で労働基本権について,(1)必要最小限度の制限にとどめること,(2)国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるもの,(3)刑事制裁を必要やむをえない場合に限定すること,(4)代償措置を講ずることの4基準を立て,この基準を満たす限り争議行為の制限は合憲であることを示した。その後,全農林警職法事件判決(1973年4月)で判例を変更し,一律禁止を合憲とした。その理由を,〈公務員の地位の特殊性と職務の公共性〉,勤務条件の法律主義,市場的抑制力が働かないこと,代償措置として人事院勧告制度があることなどに求めた。現行の制度・判例の下では,立法論は別として,公務員等の争議行為は民・刑事免責を受けえないと考えざるをえない。
執筆者:渡辺 裕
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労働者が労働条件の改善などの要求を実現するために争議行為を行いうる権利。日本国憲法第28条では、労働者の「団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」を保障するとし、「争議権」ということばはないが、「その他の団体行動」の典型が争議行為であるところから、争議権が保障されていると解されている。争議行為に対しては、たとえばストライキを例にとると、労働者が団結意思に基づいて労務の提供を拒否し、使用者に圧力を加えるものであるため、歴史的には当初、取引の自由を制約し社会の秩序を乱すものとして刑罰が科せられた。その後の労働運動の発展により、刑罰からは解放されることになったが、そうなると使用者は、争議行為により被った損害の賠償を請求することにより対抗した。しかし、やがてこのような民事責任の追及も許されなくなり、加えて、争議行為に対して使用者が不利益を課すことも禁止されるに至った。現在の日本の争議権は、のちにみるように重大な制約を残しているが、一般的にはこの水準に位置する。つまり、国家は警察力をもって争議に介入できず、争議行為自体はもはや犯罪として処罰されない(労働組合法1条2項、刑事免責)。また、使用者は正当な争議行為によって被った損害の賠償を請求できず(同法8条、民事免責)、さらに、争議行為を理由に解雇その他の不利益取扱いをすることは不当労働行為として禁止されている(同法7条1号)。
争議権を有するのは、憲法の表現上からは労働者であるが、争議行為の集団的性格からみて、労働組合ないし労働者の団結体(たとえば争議団)も含まれる。使用者は争議権の主体ではないが、憲法が労使の力の対抗関係を通じて新たな労使関係を形成することを認めている以上、労働者の争議行為に対する使用者のロックアウトのような対抗行為がいっさい禁止されているとは考えられない。労働者の争議権を否定することにならないような非先制的で防衛的な対抗行為であれば許される場合がある。
争議参加労働者の行為は、統一的な団結意思に基づく集団自体の行為と考えられるから、それから外れた行為は別にして、かりにその争議行為が違法な場合でも、法的責任を負うのは団結体である。争議行為が責任を免れるのは、それが「正当」な場合であるが、その正当性は一般に争議行為の手段、態様および目的などを総合評価して決せられる。その際、争議行為は広く労働・生活条件の向上のために保障されているのであって、単に団体交渉を有利に導くための手段的権利ではないから、使用者が直接解決できない要求を掲げた政治ストのような場合であっても、労働基準法の改悪に反対するなど労働・生活条件の向上と関連するものであれば正当性を失わないと考えられる。
ところで、日本の現段階での争議権についての最大の問題は、官公労働者の争議行為が全面的に禁止されていることである。欧米諸国やILO(国際労働機関)では禁止緩和の方向にあるのと対照的である。そのほか、労働関係調整法では安全保持施設に対する争議行為の禁止(36条)や公益事業での争議行為の10日前の予告義務(37条・39条)、さらに、緊急調整が決定された場合の50日間の争議行為の禁止(35条の2~5・38条・40条)を規定する。また、いわゆるスト規制法は電気事業および石炭鉱業での争議行為の方法に制約を加え(2条・3条)、船員は一定の場合に争議行為が禁止される(船員法30条)などの争議権の制約が存在する。
[吉田美喜夫]
『中山和久著『争議権裁判例の軌跡』(1975・一粒社)』▽『『野村平爾著作集4 争議権法理の展開』(1978・労働旬報社)』▽『東京大学労働法研究会編『争議行為・官公労』(1983・有斐閣)』
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…論者によっては,このような制約を公務員の義務の一つとして位置づけている。まず,労働基本権(団結権,団体交渉権,争議権)の制約についてである。防衛庁,警察,海上保安庁,監獄,消防の各職員については労働基本権がいっさい認められていない(国家公務員法108条の2‐5項,自衛隊法64条等)。…
…旧労組法は,搾取と酷使から労働者を保護し,かつ生活水準の向上のため有力な発言権を得るための威信を獲得し,また児童労働のごとき弊害を矯正するに必要な措置を講ずるとのアメリカの方針に沿ったものであり,労働組合運動を苦しめてきた治安維持法および治安警察法は1945年10月15日および11月21日に廃止された。旧労組法は,警察官吏,消防職員および監獄において勤務する者の団結を禁止したものの,原則としてすべての労働者に団結権,団体交渉権および争議権を保障した。前衛政党は労働組合運動を民主化運動,戦争責任追求運動へと指導した。…
※「争議権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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