狭義では,民事保全法に規定されている,〈係争物に関する仮処分〉(23条1項)と〈仮の地位を定める仮処分〉(23条2項)を指すが,広義では,それ以外の法律により規定されている,いわゆる特殊仮処分(特殊民事保全(処分)ともいう)をも含む。なお狭義の仮処分と仮差押え(20条以下)を総称して狭義の民事保全(処分)という。
A(債権者もしくは請求権者)がB(債務者もしくは請求権の相手方)に対して,金銭債権以外の債権もしくは請求権(個別給付請求権といってもよい),例えば賃貸借契約終了に基づく家屋明渡請求権を有する場合に,Bが明渡しに応じないときは,Aは強制執行によって強制的に明渡しを受けることができる。しかしAが強制執行をしようと思っても,まず家屋明渡請求訴訟を提起して勝訴の判決を得なければならないのが通常である。ところがBはこの訴訟の進行を阻害し,また判決の執行を不可能にするために,たびたび家屋の占有を第三者に移転することが多い。なぜなら,Bが占有を移転すれば,AはそのつどBの被告たる地位を第三者に引き継がせるため,訴訟承継の手続をとらなければならないし,もしBの占有移転を知らずにBを被告としたままで勝訴判決を得ても,その判決の効力は第三者には及ばないから,第三者に対して家屋明渡しの強制執行をすることはできないからである。そこでAは,占有移転禁止の仮処分により,Bに対し家屋の占有移転を禁止してもらい,安んじて家屋明渡請求訴訟の追行ができるようにするのである。このように債権者が個別給付請求権を有する場合,現状を放置すれば将来の強制執行が不能もしくは困難となる恐れがあるとき,占有移転禁止,処分禁止,物の執行官保管その他現状を維持するための処置を講ずることによって,強制執行を保全しようとするのが〈係争物に関する仮処分〉である。仮処分を求める債権者は,まず裁判所に対し仮処分命令という裁判を申し立て,仮処分命令が得られれば直ちにその執行を申し立てる。通常の訴訟とは異なり,仮処分命令の裁判は1両日中に発せられ,その執行も極めて迅速に行われる。
仮処分命令の申立てが許容されるためには,債権者は個別給付請求権の存在と仮処分を必要とする事由の存在を疎明しなければならない(13条,23条1項)。仮処分を必要とする事由とは,債務者による目的物の占有移転・処分・毀滅(きめつ)その他将来における強制執行が不能もしくは困難となるあらゆる事情である。ただし裁判所は,仮処分命令を発するときは,仮処分によって債務者に損害が生ずる場合を考慮してその担保を立てるよう,債権者に命ずることができる(14条)。法規上は〈担保を立てさせて,……又は担保を立てさせないで〉仮処分命令を発することができる,と規定されているが,〈係争物に関する仮処分命令〉が発令されるときはほとんど常に担保を立てさせるのが,日本の裁判実務の取扱いである。担保の額はいろいろであるが,当該個別給付請求権の価額の2割5分程度のものが最も多いようである。〈係争物に関する仮処分命令〉は迅速に発令する必要があるので,裁判所は,口頭弁論を開かないで(3条),また債務者の審尋すらしないで裁判するのが普通である。仮処分命令に対しては,債務者は異議の申立てができる(26条)。のみならず,債権者が起訴命令を遵守しなかったときや,仮処分を必要とする事由がなくなるなど事情が変更したとき,または特別の事情,すなわち当該個別給付請求権が金銭的補償によりほぼ目的を達すること,もしくは債務者が仮処分によって甚大な損害を蒙ることが予想せられる場合に,債務者が保証を立てたときなどは,債務者は仮処分命令の取消しを申し立てることができる(37条,38条,39条等)。なお,起訴命令については〈仮差押え〉の項目を参照。〈係争物に関する仮処分〉が本来の目的を達するためには,ほとんど常に仮処分命令の執行(仮処分執行)が必要である。仮処分執行については,特段の定めがない限り,仮差押執行および強制執行の規定が準用される(52条1項,なお43条)。
例えば,A(使用者)がB(労働者)を解雇したのに対して,Bが不当労働行為,労働協約違反,就業規則違反等を理由として,その解雇の効力を争う場合,解雇が有効か否かが確定するまで相当長期の間,AがBに賃金を支払わず,就労を拒めば,Bおよびその家族は生活上の危険にさらされることになる。そこでBは,〈仮の地位を定める仮処分〉により,解雇の効力が確定するまでの間,BがAの従業員である地位を仮に定める旨の裁判をしてもらい,従前通り賃金を受け,就労できる状態を維持しようとするわけである(地位保全仮処分)。このように〈仮の地位を定める仮処分〉は,当事者間に権利や権利関係の存否について争いがあるために,当事者に著しい損害が生じたり,暴力沙汰など社会生活上の平穏が破壊される恐れがあるときに,これを避ける暫定的な処置を講ずるものである(23条2項)。〈係争物に関する仮処分〉が,非金銭債権(個別給付請求権)のために,将来の強制執行の不能・困難を防止しようとするのに対して,〈仮の地位を定める仮処分〉は,広く金銭債権,非金銭債権,その他の権利もしくは権利関係のために,その権利や権利関係等の確定・実現が遅延することによって生ずる損害や危険(ただし将来の強制執行の不能・困難の恐れを除く。これを防止するためには,〈係争物に関する仮処分〉と仮差押えがある)を防止するための簡易迅速な裁判手続である。〈仮の地位を定める仮処分〉は,第2次世界大戦以前にはきわめてまれであったが,戦後は大いに利用されるようになった。大戦直後住宅事情のひっぱくを反映して家屋土地明渡断行の仮処分(係争家屋土地を執行官の保管に移し,申立人にその一部または全部の使用を認める)が多用されたが,今日では,前述した労働者の地位保全仮処分のほか,特許仮処分(特許権を侵害する者に対し,製品の製造・販売・展示を禁じ,また製品・半製品・製造用機器一切の執行官保管を命ずる),扶養料や交通事故等による治療費の支払いを命ずる仮処分,商号使用禁止・就業禁止や不正競争禁止を命ずる仮処分,日照妨害・生活妨害・公害等の差止めを命ずる仮処分など,枚挙にいとまがない。この仮処分を求める者は,まず裁判所に対して仮処分命令という裁判を申し立てる。仮処分命令が発せられると,例えば労働者の地位保全仮処分のごとく,発令だけで仮処分の目的が達せられる場合もあるが,多くの場合(金銭・物の給付を命じたり,不作為を命ずる仮処分など)はさらに仮処分命令の執行を申し立てねばならない。仮処分命令申立ての審理手続やその執行手続は,係争物に関する仮処分のそれとほぼ同様である。しかし,以下の点で趣を異にしていることに留意しなければならない。つまり,仮処分命令が保証を立てさせることなしに発せられることが少なくないこと,仮処分命令がしばしば相手方に対し重大な影響を及ぼすため,また必ずしもいわゆる密行性の必要(債務者に知られないうちに,仮処分を発令し,執行する必要性)がないため,口頭弁論等を開いて慎重を期することが多いこと(23条4項),とくに従来労働仮処分と特許仮処分,それに一部の公害仮処分において,仮処分命令手続が長期化し,しかも事件は仮処分命令手続だけで実質的に解決されるという意味で,いわゆる仮処分の本案訴訟化の現象が生じ,批判を受けていることなどである。
民事保全法以外の法律により特殊な場合に認められている仮処分(または〈仮の処分〉)がこれに当たる。主要なものを列挙すると,行政処分の執行停止決定(行政事件訴訟法25~29条等),仮登記仮処分(不動産登記法32条等),家事審判前の保全処分(家事審判法15条の3等),調停前の仮の処分(民事調停法12条,家事審判規則133条),強制執行停止・取消等の仮の処分(民事訴訟法398条,399条等,民事執行法10条6項,36条,38条等),売却等のための保全処分(民事執行法55条,77条),破産・和議・会社整理・特別清算・会社更生などの申立てに伴う保全処分(破産法155条等,和議法20条,商法383条,386条,432条等,会社更生法39条等)などがある。
→保全処分
執筆者:松浦 馨
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
執行保全手続の一つで、係争物に関する仮処分(民事保全法23条1項)と、仮の地位を定める仮処分(同法同条2項)との2種がある。係争物に関する仮処分とは、金銭債権以外の特定物の給付請求権の将来における執行を保全するために、現状の変更によりその請求権の執行不能あるいは執行困難が生ずるおそれのある場合に、現状を固定する処分をいう。たとえば、建物・土地の明渡し請求権保全のための占有移転禁止の仮処分、登記(抹消登記)請求権保全のための処分禁止の仮処分、特定動産の引渡し請求権保全のための執行官保管の仮処分などがそれである。
仮の地位を定める仮処分とは、執行保全とは関係ないが、ある権利関係につき現在争いがあり、その争いの訴訟による解決まで現状を放置したのでは債権者にとって取り返しのつかない損害が発生し、あるいは急迫な強暴にさらされるという場合に、現在の危険や不安を除去するため、権利関係に暫定的に規制を加える処分をいう。たとえば、株式会社の株主総会決議無効確認・決議取消しの訴えなどを予定しての取締役職務執行停止・代行者選任の仮処分、解雇無効確認の訴えを予定しての従業員たる地位を定める仮処分などである。
仮処分手続は、仮差押えの場合と同じく、仮処分命令を出すか否かを決定する仮処分裁判手続と、仮処分命令に基づく仮処分執行手続とに分かれる。これらについては原則として仮差押えに関する場合と同様である。したがって、被保全権利、保全の理由の疎明(そめい)(いちおうの証明)が必要とされる(ただし、仮の地位を定める仮処分命令は、口頭弁論または債務者が立ち会うことができる審尋の期日を経なければ、これを発することができない)が、仮差押えとは異なり、仮処分においては、被保全権利の種類が多様で、かつ保全の必要性にもいろいろの態様のものがあるので、裁判所の命ずる処分の内容にも性質上種々のものがあって、裁判所の裁量にゆだねられている部分が大きい。たとえば、建物の明渡し請求権保全のためには、一般には占有移転禁止の仮処分でよいと考えられるが、債務者が改築して建物の同一性を喪失させるおそれがある場合には、改築を禁止することが必要であろうし、債務者が建物を損壊するおそれのある場合には、執行官保管を命ずる必要がある。また、執行の方法については、処分禁止の仮処分の執行は、処分禁止の登記をする方法で行い、占有移転禁止の仮処分の執行は、移転禁止および執行官への引渡し命令とともに、現実に執行官にそのものを保管させ、それらの旨の公示をする等の方法で行われる。
なお、仮処分手続は仮差押え手続とともに、民事保全法(平成1年法律第91号)が施行(1991年1月1日)されるまでは民事訴訟法(裁判手続)と民事執行法(執行手続)に分かれて規定されていたが、民事保全法施行後は民事保全として統合された。
[本間義信]
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(土井真一 京都大学大学院教授 / 2007年)
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※「仮処分」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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