儒家神道(じゅかしんとう)(読み)じゅかしんとう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

儒家神道(じゅかしんとう)
じゅかしんとう

「じゅけしんとう」とも。江戸時代、林羅山(らざん)、熊沢蕃山(ばんざん)、山崎闇斎(あんさい)ら有力な儒者によって説かれた神道説。羅山は自ら「理当心地(りとうしんち)神道」と称し、闇斎のは「垂加(すいか)神道」とよばれる。ほかに山鹿素行(やまがそこう)、中江藤樹(とうじゅ)なども、それぞれに神道に対する見解を述べ、また神道家であって儒教の考えを大いに取り入れて神道を説いた出口(でぐち)(度会(わたらい))延佳(のぶよし)、吉川惟足(よしかわこれたり)のような人もある。これらの人々は、各人独自の理解と主張とをもっているが、神儒一致の立場をとる点では、根本的に異なるものはない。

 天地自然の理は唯一であり、風土・歴史による差はあっても、神儒いずれもその理に基づいて成立したものであるとし、神道の思想に儒教の理説を重ねて神道を合理化し、かつ国家的視野で倫理化しようとするのは共通した性格で、羅山や蕃山の三種の神器に対する解釈や、惟足や闇斎の神学における敬と「つつしみ」との関係などに、強くそれが表れている。その神観は、いずれも、心は神明の舎とする中世以来の神道の主張を、そのまま基本的に継承しているが、それらの在来の神道が深くかかわっていた仏教的な解釈を、仏教は天理に背くという立場から厳しく排除した。こうした神道を説いた上記の人々は、すべて近世初期に出て、思想界に強い指導力をもったが、国学者が台頭して復古神道を主張するようになると、影響力は急速に後退した。

[谷 省吾

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