六角堂縁起(大日本仏教全書)に、「山背国平差
被
打寄
也、而聖徳太子取開見之処、即如意輪観音也、為
持仏
太子与
守屋
合戦之間、誓願云、戦若勝畢ナハ可
奉
造
立四天王
者、我有
其利
如
思勝畢ハ、欲
建
立四天王寺
、採
材木於山城国愛宕杣之
、奉
居
本尊於
多良樹
浴
水、(中略)吾為
汝本尊
既経
七世
、於
今者於
此処
可
利
益蠢々衆生
也」とあり、太子の守本尊である如意輪観音を安置して、一堂を建立したことに始まるという。寺伝によると、太子が四天王寺建立の採材に際し
平安時代中頃からの観音信仰の高まりのなかで、当寺の観音も貴紳・衆庶の信仰を集めた。「小右記」には「今日節会、早旦修諷誦六角堂」(寛仁二年一一月二二日条)といった記事が頻出し、この頃盛んに崇信されていたことが知られる。また「長秋記」元永二年(一一一九)七月二〇日条には「今日若宮御祈、神社五所、仏寺七所、被修諷誦、神社八幡、賀茂、祇園、北野、吉田、仏寺清水寺、広隆寺、六角堂、延暦寺、法勝寺、尊勝寺、最勝寺等也」とあり、当時の有力社寺と比肩している。とくに「中右記」長承元年(一一三二)三月一七日条に「三宝上吉已当十八日、参詣清水寺・六角堂之輩数千万、此雨成妨也歟」とあるように、観音の縁日には多数の参詣者があった。そのほか藤原実資・藤原忠季・藤原為隆などの貴族の信仰・参詣の記事が散見するが、一般庶民の信仰をも集めていたのが当時の六角堂の特色である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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→六角堂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
→六角堂
…京都市中京区にある天台宗の寺。本堂が六角形なので六角堂と通称されるが,正称は紫雲山頂法(ちようほう)寺。西国三十三所観音霊場の第18番札所。…
※「頂法寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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