(読み)モン

デジタル大辞泉 「門」の意味・読み・例文・類語

もん【門】[漢字項目]

[音]モン(呉) [訓]かど
学習漢字]2年
〈モン〉
出入り口。「門戸門歯門番開門関門鬼門軍門舷門げんもん肛門こうもん獄門柴門さいもん山門城門水門正門声門洞門閉門砲門登竜門
家柄。一族。「門地門閥一門家門権門名門
教えを受ける所。師を同じくする仲間。「門下門人蕉門しょうもん同門入門破門
学問や教義の系列。「宗門専門部門仏門
梵語の音訳字。「沙門しゃもん
〈かど〉「門口門出門松
[名のり]かな・と・ひろ・ゆき
[難読]鳴門なると

もん【門】

[名]
建築物の外囲いに設けた出入り口。また、その構築物。かど。「を閉ざす」
事物が必ず通る所。ある事のために通らなければならない過程。「合格への狭き」「再審のが開かれる」
弟子となって教えを受ける所。また、一人の師を中心とする一派・流れ。「著名な学者のに学ぶ」
生物分類の段階の一。の下、の上に位置する。「動物界脊椎動物哺乳綱」
門限。
「いやもう、すぐに帰らう。―がやかましい」〈洒・辰巳之園
[接尾]助数詞。火砲かほうの数を数えるのに用いる。「大砲五
[類語]かどゲート正門表門裏門アーチ通用門楼門城門山門大手門から冠木かぶき上げ土門凱旋門背戸鳥居

かど【門】

家の外構えの出入り口。もん。「をたたく」
門の前。また、門の辺りの庭。「で見送る」
家。また、一族。一門。「笑うには福来きたる」
[類語]もんゲート正門表門裏門アーチ通用門楼門城門山門大手門から冠木かぶき上げ土門凱旋門背戸鳥居

もん【門】[書名]

夏目漱石の小説。明治43年(1910)発表。不義の結婚による夫婦のわびしい生活を通し、人生の深淵を描く。

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精選版 日本国語大辞典 「門」の意味・読み・例文・類語

もん【門】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 建築物の外構えに設けた出入り口。かど。
      1. [初出の実例]「凡開閇門者。第一開門鼓撃訖。即開諸門」(出典:令義解(718)宮衛)
      2. 「門の出入とがむづかしい事な」(出典:滑稽本・戯場粋言幕の外(1806)上)
      3. [その他の文献]〔礼記‐曲礼上〕
    2. 平安京の条坊制で、東西方向の区画帯のうちの最小単位。一坊を東西・南北方向に四等分して一六の正方形を作り、その各々を町と称し、町を東西方向の区画帯で八等分してこれを門という。南北方向には町を四等分区画帯で分け、これを行という。門と行の区画帯を組み合わせると一町の中に三二の小区画ができ、これを戸主(へぬ)といい、一戸の住居単位となった。一門の区画帯の中には四つの戸主が東西に並ぶことになる。
      1. [初出の実例]「在右京捌条壱坊拾参町内肆戸主東肆行北壱弐参肆伍陸柒捌門内者 東西陸丈陸尺柒寸 南北参拾丈」(出典:史料編纂所所蔵春日社旧記‐長承四年(1135)四月二六日・藤原某家地売券)
    3. 町境の木戸。
      1. [初出の実例]「辻番手柄を見るより心して門うたずして通しける」(出典:浮世草子・懐硯(1687)一)
    4. 門の出入りの改めや、門限のことをいう。
      1. [初出の実例]「いやもう直に帰ろふ、門(モン)がやかましひ」(出典:洒落本・辰巳之園(1770))
    5. 事物が必ず通るところ。ある状態・境地に達するために、まず経過しなければならない段階、また、試練。また、物事の生まれ出てくるところ。「登龍門」「狭き門」など語素的な形で用いられる。〔易経‐繋辞上〕
    6. 学問・芸道を教える家、施設など。ある師を中心とする一派、または一つの系統を引く学問・芸道の流れをいう。
      1. [初出の実例]「ある大学の門(モン)に入りて、脩学おこたりなかりけり」(出典:当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉四)
      2. [その他の文献]〔孟子‐告子・下〕
    7. 生物分類上の階級の一つで、「界」の下位で、「綱」の上に当たる。動物・植物の各分類群の中で最も高い階級の名称。「脊椎動物門」「種子植物門」など。〔生物学語彙(1884)〕
  2. [ 2 ] 〘 接尾語 〙 大砲を数えるのに用いる。
    1. [初出の実例]「十八門(モン)の大炮(ほう)」(出典:西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉六)
  3. [ 3 ] 小説。夏目漱石作。明治四三年(一九一〇)発表。不義の結婚により、社会の片隅にひっそりと生きる宗助、お米夫婦のわびしい生活を通し、人生の深淵を描く。「三四郎」「それから」と三部作をなす。

かど【門】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 家の周囲に巡らした、かこいの出入り口。また、家の出入り口。もん。
    1. [初出の実例]「真木栄(さ)く 檜の御加度(カド)」(出典:古事記(712)下・歌謡)
    2. 「かどよりもえ入らで、童べのふみあけたる築地(ついひぢ)のくづれより通ひけり」(出典:伊勢物語(10C前)五)
  3. 門の前。また、門に近い庭。門のあたり。門の付近。
    1. [初出の実例]「可度(カド)にたち 夕占(ゆふけ)問ひつつ 吾(あ)を待つと」(出典:万葉集(8C後)一七・三九七八)
    2. 「我が門の刈田のねやにふす鴫(しぎ)の床あらはなる冬の夜の月〈殷富門院大輔〉」(出典:新古今和歌集(1205)冬・六〇六)
  4. 家。家屋。宅。屋敷内。
    1. [初出の実例]「積善の家に余慶あり、積悪の門に余殃とどまるとこそ承はれ」(出典:平家物語(13C前)二)
  5. 一族。一門。
    1. [初出の実例]「己が家家、己が門門、祖の名失はず、勤め仕へ奉れ」(出典:続日本紀‐天平宝字元年(757)七月二日)
  6. 譜代の下人。一般に門屋または門の者といい、地方によって名子(なご)、被官、家来、家抱(けほう)などという。大部分は親方の屋敷内の小屋に住み、形式的には一家を形成しているが、親方への隷属性の強いものが多かった。
    1. [初出の実例]「一高弐拾八石五斗四升 吉右衛門 門 彌五郎 門 吉蔵 門 三之助 右吉右衛門屋敷内に居住仕候」(出典:佐久郡桜井村家改帳(信州)‐延宝三年(1675))
  7. 薩摩藩で、小農民の組合をいう。

かずかづ【門】

  1. 〘 名詞 〙(かど)をいう上代東国方言。
    1. [初出の実例]「わが加都(カヅ)の五株柳(いつもとやなぎ)いつもいつも母(おも)が恋ひすすなりましつしも」(出典:万葉集(8C後)二〇・四三八六)

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普及版 字通 「門」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 8画

[字音] モン
[字訓] かど・いえ・みうち

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 象形
門の形。〔説文〕十二上に「聞するなり。二に從ふ。象形」とする。門・聞は畳韻の訓。「なり」というのと同じく、当時の音義説による解である。〔釈名、釈宮室〕に「門は捫(お)すなり」と訓する。のち家門・門閥のように家や家族をいい、門下・門生のように徒弟をいう。

[訓義]
1. もん、かど、かどぐち、いりくち。
2. いえ、いえがら。
3. みうち、一族。
4. 専門の家、専門の分野。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕門 加度(かど)。門舍、加度夜(かどや)〔名義抄〕門 カド・キク 〔字鏡〕門 カド・カキヰル・マホル・キク・アラソフ・サト・トブラフ・ウラム

[部首]
〔説文〕に開・閉など五十六字と重文六、〔新附〕に閥・闥など五字、〔玉〕には百三十字を属する。

[声系]
〔説文〕に門声として問・(ぎん)・悶・聞・捫など七字を収めるが、は声異なり、会意字である。聞は卜文・金文には象形に作る字があり、神意を承ける意象の字。門はもと家を意味する字で、問・闇・・閉などは、門の儀礼を示す字である。

[語系]
門・munは同声。〔詩、大雅、鳧〕「鳧(ふえい)(もん)に在り」の〔箋〕に「の言たる門なり」とみえる。は山峡のところをいう。外に通ずる狭いところは、おおむね聖所であった。

[熟語]
門阿・門・門・門尹・門衛・門役・門閲・門垣・門下・門火・門・門階・門外・門閣・門官・門閑・門関・門館・門檻・門観・門基・門旗・門客・門旧・門業・門禁・門径・門逕・門戟・門闕・門・門眷・門限・門戸・門功・門・門郊・門候・門構・門衡・門・門札・門士・門子・門司・門刺・門資・門地・門者・門首・門塾・門牆・門状・門帖・門神・門人・門生・門籍・門扇・門前・門祚・門素・門族・門卒・門闥・門冑・門誅・門庭・門丁・門弟・門亭・門第・門徒・門派・門・門閥・門庇・門・門扉・門表・門標・門品・門廡・門夫・門風・門法・門包・門望・門僕・門鑰・門閾・門吏・門流・門閭・門燎・門鈴・門隷・門暦・門聯・門楼
[下接語]
倚門・一門・陰門・盈門・営門・衛門・掖門・轅門・応門・禾門・家門・過門・開門・外門・郭門・閣門・寒門・関門・気門・鬼門・貴門・及門・宮門・棘門・玉門・金門・禁門・軍門・門・閨門・門・迎門・闕門・権門・公門・孔門・叩門・肛門・後門・候門・校門・高門・黄門・閤門・衡門・闔門・国門・獄門・柴門・柵門・三門・山門・参門・四門・市門・私門・師門・寺門・沙門・守門・朱門・儒門・宗門・出門・署門・小門・松門・相門・将門・城門・晨門・寝門・聖門・石門・千門・専門・前門・禅門・素門・桑門・大門・台門・中門・通門・鉄門・天門・杜門・登門・同門・洞門・道門・南門・入門・破門・排門・表門・門・部門・武門・廡門・仏門・閉門・法門・砲門・門・坊門・茅門・北門・名門・邑門・幽門・里門・閭門・路門・楼門

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「門」の意味・わかりやすい解説

門(出入口)
もん

敷地への出入口。垣や塀などに通行のためにあけられた開口部をさす。門は、開口部を遮断すると同時に、必要に応じて開閉できる必要がある。

 人間が出入りするための門は、開口の間口は1メートル内外なので、ほとんどが片開き式の開き戸タイプである。昨今のマイカー時代を反映し、人の出入りする門と車の出入りする門とを区別する例が増え、折り畳み式の門が車用の門として多く利用されている。乗用車が入るには少なくとも2.5メートルぐらいの幅が必要であり、前面の道路が狭い場合には、1~2メートル門を後退させると、車の出入りが容易になる。

 門は門柱と門扉とからなる。門柱の材料としては、石、鋼材、れんが、コンクリート、コンクリートブロックなどがあるが、いずれも垂直に立てないと扉を吊(つ)ることができなくなるので注意が必要である。門柱部分には、郵便受け、呼び鈴、ブザー、インターホン、照明具などをセットすることが多いので、施工に際しては、事前に明確に打ち合わせを済ませておいたほうがよい。近年は、塀の一部が門柱がわりになり、門柱らしいものをとくにつくらない形式のものが住宅などで見受けられる。

 昔は門扉といえば、木材か竹材が使われたが、昨今の主流は金属製である。木造の扉の価格がたいへん高いためと、雨露にさらされることによる傷みが早く、保全が困難なためである。開閉方式には、片開き、両開きがあるが、開き戸の施錠は、門扉そのものが開放的なものが多いため、なかなかむずかしい。夜間はとくに鍵(かぎ)がなければ開けられない形式にしたほうがよい。自動車が出入りするような大きな開口部には、折り畳み形式のものが手軽である。大きな扉を開き戸にする場合は、門柱に負担がかかるばかりでなく、門扉そのものもゆがんで変形する可能性が大きいので、ガイドレールを床に埋め込み、この上を車が通るようにし、扉がぶら下がるのを防ぐ必要がある。

 門扉のデザインには、鉄パイプ製のもの、板張りのもの、木で格子状に組んだもの、唐戸(からど)状のもの、金網張りのものなど多種多様あるが、水平に桟があるものは、足掛り、手掛りになって乗り越えられるので避けたほうがよい。

 木製扉の場合でも、傷みを少なくすることはできる。たとえば、門扉の上に屋根をつける。屋根をつけないならば、扉そのものの上端に銅板や亜鉛鍍板(どばん)で覆いをかぶせる。あるいは白木のままではなく塗装を施す。こうして、直接木材が風雨にさらされるのを防ぐことによって、扉を長もちさせることができる。鉄製の扉も、2年か3年に1回くらいかならずペイントを塗り替えること。開き戸式と引き込み式があり、開き戸式では、じょうぶな丁番(ちょうつがい)をつけることがポイントになる。

 門扉は相当に重量があり、風圧も受けるので、事故が起きたりしないよう注意する必要がある。扉に緩みが生じた場合は、楔(くさび)を打ち込んだり、角に補強用のL字型、T字型の平板金物をあてがって緩みを直し、ボルトでしっかり締めるようにする。通常、開き戸の場合には、水平にかんぬきを通して戸締まりをすると同時に風圧に耐えるようにする。引き戸の場合には、掛け金(がね)や上げ落とし錠を用いる。このほか、片引き、引き分けの扉もあり、これらに開きのくぐり戸をつけることもある。

[中村 仁]

日本建築の門

日本の門の所在はすでに神話のなかにみえ、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が海神の宮に至ったとき、扉のある門があったという。門は家格、あるいは区画の重要度により規模に格差があり、単に出入口をあけるだけのものから、空間の両端に柱を立てるもの、さらに屋根をかけるものなど多種多様である。木造建築のため、正面の柱間(はしらま)の数と戸口の数で規模が表され、三間三戸(さんげんさんこ)、三間一戸、一間一戸などとよばれる。

[工藤圭章]

種類


〔1〕屏中門(へいちゅうもん) 塀重門とも書く。2本の門柱だけのものは略式で、本来は本柱間に扉をつける。貫(ぬき)も屋根もなく、たすきの組子を入れた2枚の扉を吊(つ)るが、この様式ができたのは鎌倉時代ごろと推察される。

〔2〕冠木(かぶき)門 2本の本柱の上部を貫でつなぐもので、中世以降、主として武家屋敷などに用いられた。

〔3〕釘貫(くぎぬき)門 本柱上部に2本の貫があり、冠木門同様屋根はない。神社や住宅をはじめ町の木戸や関所などに用いられ、平安時代の文献にすでにみえている。

〔4〕棟門(むなかど) 「むなもん」ともいう。本柱2本のみで屋根を支えたもので、本柱を冠木でつなぎ、その上下に男梁(おばり)・女梁(めばり)を直交し、男梁上に蟇股(かえるまた)と棟木(むなぎ)を置き、男梁の先端に桁(けた)を置いて屋根をかける。寺院の塔頭(たっちゅう)や公家(くげ)の住宅などに広く用いられ、平安時代の絵巻物に多くみえる。

〔5〕上土(あげつち)門 棟門の屋根を水平な板で葺(ふ)き、上に土を置いたもの。屋根の土止(どど)めとして妻に湾曲した関板を立てるので、平唐(ひらから)門に似た外観を示し、室町時代の武家屋敷に多用された。

〔6〕四脚(しきゃく)門 四足(よつあし)門ともいい、本柱の前後に控(ひかえ)柱を4本立て、屋根を設けた門。一般に本柱は円柱で控が角柱となり、扉は本柱間につく。

〔7〕薬医(やくい)門 正面に本柱を立てて扉をつけ、背面にだけ控柱を立てて、本柱と控柱を同じ屋根の下に収めるもの。

〔8〕高麗(こうらい)門 本柱上に切妻屋根をかけ、扉を開いたときに扉がぬれないように背面と控柱と本柱の両端に小屋根をかけたもの。城郭の枡形(ますがた)の一の門や大名屋敷門に用いられた。

〔9〕櫓(やぐら)門 城の枡形の二の門。石垣間に鏡(かがみ)柱を立てて扉を吊り、この扉口の上から両側の石垣上までに櫓を設けて城門とした。一の門の高麗門とは90度方位を変えて直角の方向に立つ。

〔10〕八脚(はっきゃく)門 中央に本柱が4本並び、その前後に控柱が8本立つ。一般に本柱・控柱とも円柱で、屋根は切妻造が普通である。三間一戸の規模で中央を扉口とし、両脇(りょうわき)に二王や二天、あるいは随身(ずいじん)を祀(まつ)るものも多く、それぞれ二王門、二天門、随身門の名でよばれる。寺社に多く用いられ、東大寺転害(てがい)門ほか遺例も多い。八脚門で内部の天井の本柱と控柱間が化粧屋根裏となり、前後に2棟の屋根裏を見せるようにつくられたものを、本体の大棟をも含めて三棟造(みつむねづくり)という。

〔11〕唐(から)門 屋根を唐破風(からはふ)造にしたもので、平安時代ごろから見受けられ、正面を唐破風造にしたものを向(むかい)唐門、側面のものを平(ひら)唐門とよぶ。寺院の塔頭や住宅などに用いられ、下部の構造は四脚門、棟門などさまざまである。

〔12〕長屋門 長屋と門が結合したもの。江戸時代の大名屋敷に設けられ、長屋には家臣が住んだ。冠木を受ける本柱の間に二枚扉が開き、本柱の一方に小さなくぐり戸がついたもの。

〔13〕楼門 2階建てで、上階に縁を巡らしたもの。屋根は通常、入母屋造(いりもやづくり)平入(ひらいり)で、上下層の境に縁、高欄を巡らし、これを腰組で支える。ほとんどが三間一戸形式で、寺社を通じて鎌倉時代以降の遺例が多い。

〔14〕二重門 重層の門で、上下層に屋根のあるもの。門のうちもっとも大規模なもので、平城京の正門をはじめ、大寺院の南大門や中門などに用いられた。遺構は東大寺南大門、東福寺三門ほか多くを数える。禅宗寺院の三門(三解脱(げだつ)門)で二重門の場合、両側に付属建物があり、そこから2階への階段のついたものを「山廊付の二重門」とよぶ。

[工藤圭章]

名称

建つ場所や方位により種々の名称をもち、総門、表門、大門、中門、三門(山門)、内門、裏門、東門、南門などのほか、安置する像の名称から仁王門、随身門などがあり、用途により勅使門、下乗門の名がある。また古代の宮城門のように朱雀(すざく)門、美福(びふく)門、陽明門、応天門のほか、建礼門、桜田門など特定の名称をもつものがある。

 明治以後は洋風建築の発達で門も洋風のものが増え、現在では大建築は門を必要としないものが多く、一般住宅でも簡易なものが多くなっている。

[工藤圭章]

西洋の門

古代エジプトでは、普通、神殿の正面にピュロンとよばれる門が建てられたが、出入り口を挟んで二つの塔状の高い壁体が築かれているため「塔門」と訳される。この壁体は、各面が頂上から外側に傾斜し、正面には旗竿(ざお)を立てるための縦溝が彫り付けられ、頂上には幾何学文様を施したエジプト式コーニスがのせられる。ピュロンは1神殿に1基ずつ建てられるのが原則であったが、カルナックアメン大神殿のように、あとで追加されて複数になった例もある。

 都市が発達、整備されて市壁が築かれると都市門が設けられていくが、これらはバビロンのイシュタル門や古代アテネのディピュロン(二重門)にみるように、防御上の理由から内外二重に構築された。しかしその基本形式は、いずれも二つの塔状壁体の間に出入り口を設ける古代エジプトのピュロンのそれを踏襲するものであった。また古代ギリシアでは、紀元前6世紀ごろから、聖域の入口をプロピライア(前門)とよぶ神殿風の建物で飾ったが、前400年ごろからは、アゴラやギムナシオンなどの世俗の場所にも建てられた。その代表的事例がアテネのアクロポリスの入口につくられたもので、一般にプロピライアといえばこれをさす場合が多い。

 前10~前8世紀ごろ、小アジア西部からイタリア半島に移住したといわれるエトルリア人は、東方からもたらした積石法によるアーチ構造の原形を、ペルージアのマルツィア門(前3~前2世紀)にみるような、美しい形式の都市門に発展させた。そして、そのボールト(穹窿(きゅうりゅう))架構法は古代ローマ人に引き継がれ、ヨーロッパ建築史上きわめて重要な役割を果たすこととなった。古代ローマ人は、これに加えて、新材料ともいえるコンクリートの効果をよく認識してこれを運用し、建築構造に大きな飛躍をもたらした。その成果はローマ市のポルタ・マッジョーレ(3世紀)、ドイツのトリールにあるポルタ・ニグラ(4世紀)などの、現存する当時の都市門によく生かされている。都市門のほか、古代ローマ時代には、皇帝や将軍の功績を顕彰するため、凱旋(がいせん)門とよばれるアーチ門が建てられた。その起源はヘレニズム時代の都市門、あるいはプロピライアにあるといわれるが、規模や形式を異にする凱旋門がローマ帝国の版図内の至る所に出現した。現存するものは、(1)大アーチ1個のもの(ティトゥス凱旋門)、(2)大アーチの両わきに小アーチを添えたもの(セプティミウス・セウェルスおよびコンスタンティヌス凱旋門)、(3)交差する十字路に建てられ四つの開口部をもつ四面(しめん)門(トリポリのマルクス・アウレリウス凱旋門)の3種に大別される。

 これらの門はいずれも主権者の権威を顕示する象徴的性格の強いものであったが、中世になると防御を主眼とした軍事的性格が強調されていく。とくに、十字軍の遠征によってイスラムの優れた防御法が取り入れられ、シリアのクラック・デ・シュバリエ(12~13世紀)やフランスのピエルフォン城(14世紀末)などに役だてられたが、城門には跳(は)ね橋、矢狭間(はざま)、落とし格子、射撃孔などが設けられて、門自体が独立した要塞(ようさい)の観があった。

 しかし、15世紀後半になって大砲が実用化され、石の弾丸のかわりに破壊力の強い鋳鉄弾が使われるようになると、市壁や都市門は無力化した。そのため、ルネサンス以降の都市門は防御上の使命をほとんど失い、一方、宮殿や邸宅の門も、中世の教会堂内の障柵(しょうさく)などではぐくまれた技術によって、2本の門柱の間に鉄製の両開き格子扉をはめ込む、装飾を主とした形式のものが一般的になった。しかし、新古典主義時代(1770ころ~1830ころ)になると、ヘルクラネウムポンペイなどローマの遺跡の発掘で古代への憧憬(しょうけい)が触発されたこともあって、古代ローマの事例を手本とする凱旋門の復活が促された。その代表例に、ベルリンブランデンブルク門(1788~1791)、パリのカルーセル凱旋門(1806)、同エトアール凱旋門(1806~1836)、ロンドンのマーブル・アーチ(1828。1851移建)がある。近代の門は、そのほか学校や兵営のような近代的施設に設けられたが、これらに在来の門にはない新たな機能や意味が付加されることはなかった。主要建造物と調和する装飾効果が最重視され、材料やデザインが多種多様になったことを別にすれば、旧来の両開きの扉(レールを用いた引き戸式のものも含む)をはめ込む基本形式も、一貫して変わるところがない。

[濱谷勝也]

中国の門

古代中国における「門」の古い字形は二枚戸の上に横木を1本架け渡した形で、日本の冠木(かぶき)門に似た素朴な形式に始源が求められる。「門戸(もんこ)」は古代から内外を分かつところとして重視された。本来「門」は二枚扉、「戸」は一枚扉のものをさし、木の戸を「扉(ひ)」、葦(あし)や竹網代(あじろ)などの戸を「扇(せん)」と称し、また屋敷の門や宮門、城門のように屋外に独立して立つものを「門」、建物の出入口を「戸」とする区別も古くからあった。現代中国では、集合住宅やホテルの各戸のドア入口と、団地、学校、工場その他の敷地に入る正門のいずれをも「門」の語で表すのが通例で、日本語の用法のほうがむしろ本来の概念を忠実に伝えている。

 古代中国では遅くとも殷(いん)代の城壁に城門が築かれ、城内幹道と郊外を連絡する交通の要所として、また城内外を明確に分断する装置としての機能が早くから確立していた。城内の中枢にあたる宮城では路門(ろもん)、応門(おうもん)、雉門(ちもん)、庫門(こもん)、皐門(こうもん)が南北軸線上に並び、各門の区画と政治・儀礼上の機能と対応させた厳格な規定が行われた。現在の北京(ペキン)の故宮、すなわち明(みん)・清(しん)代の紫禁城は、天安門を入り端門(たんもん)、午門(ごもん)、太和門を経てようやく太和殿・中和殿・保和殿の三大殿の中心部に達するが、この種の整然とした宮殿の配置は、古代の「三朝五門」の制度を意識的に踏襲しようとした結果である。また、午門の左右に翼廊・門廊を伸ばした雄大な構成は、古代以来、宮門、陵墓、城門などで多用された「闕(けつ)」という形式を受け継いだ復古的な設計の産物である。

 城内の居住区では漢代ころには坊里による区画の制が用いられたが、各坊のブロックには通常、坊門が設けられた。城門、宮門、坊門は鐘楼や鼓楼で鳴らされる時報を合図に閉鎖され、夜間の出入が禁じられた。すなわち、古代中国の都市の門は、官僚制による住民生活の統制を示す象徴的な装置であった。唐・宋(そう)代以降には、城門の外側に二重、三重に周壁を巡らせた「甕城(おうじょう)」という形式が出現、これは城門の守護をより強固にしようとするもので、明・清代の北京城の城門にもその形式がみられる。

 中国の門には宮殿・官署・陵墓・寺廟・道観・住宅の別を問わず、種々の形式がある。宮殿・寺廟などでは単層の門のほか楼門が用いられ、また袖壁を一歩後退させた八字牆の形式も多用された。「牌坊(パイファン)」とよばれる列柱と横材からなる冠木(かぶらぎ)門に似た形式は孔子廟の櫺星(れいせい)門などに採用されており、それに屋根をのせた装飾的な「牌楼(パイロウ)」も多くみられる。吊束(つりづか)に彫刻を施した華麗な「垂花(すいか)門」は、華北の四合院(しごういん)住宅の内庭の典型的な門の形式である。

[田中 淡]



門(夏目漱石の小説)
もん

夏目漱石(そうせき)の長編小説。1910年(明治43)3月1日から6月12日まで、東京・大阪の『朝日新聞』に連載。翌年1月、春陽堂刊。宗助(そうすけ)とお米は仲のよい夫婦だが、友人(安井)の妻を奪ったという過去をもつ。そして、社会から葬られ、日の当たらぬ場所でひっそりと生きてきたが、安井の消息を知って再会の不安におびえる。宗助は心の修行を求めて参禅するが、宗教の門はついに開かれなかった。姦通(かんつう)によって結ばれた夫婦の浄福と罪過を、小市民生活の鮮やかなリアリティーとともに描いている。『それから』の続編とも読めるが、夫婦の罪は社会に背いたことではなく、安井という他者を傷つけたことにあった。なお、宗助の参禅には作者自身の円覚寺での体験が利用されている。

[三好行雄]

『『門』(岩波文庫・旺文社文庫・角川文庫・講談社文庫・新潮文庫)』『桶谷秀昭著『夏目漱石論』(1972・河出書房新社)』


門(生物分類)
もん

生物を分類するときに類別に用いる一段階の名称。界(動物界、植物界に、近年は菌界が後者から分けられる)に次いで上位の分類段階が門であって、界と綱の間に位置する。門の分け方は学者の見解によって異なるが、一般に体制、細胞、生殖法、発生様式などの基本的な相違によって区別される。普通、動物では20前後の門に分けられ、消化管、排出器官、体腔(たいこう)、循環系、呼吸器官、体節構造、発生過程などが問題とされる。植物では10前後の門があり、細胞壁の成分、生殖法、配偶子の鞭毛(べんもう)、葉緑素やほかの含有色素、管束などの特徴が相違として取り上げられる。菌界は、近年十数門に分割する提案がなされている。門の下位には亜門が置かれることが多い。

[中根猛彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「門」の意味・わかりやすい解説

門 (もん)

神社の鳥居や,住宅の簡単な門を除いた大部分の門は,中国伝来の形式であると考えられる。門は形式によって名づけられるほか,寺院の南大門,中門,総門,三門(山門)など場所による名称,仁王(におう)門,随身(ずいじん)門など安置された像による名称があり,そのほか建礼門,桜田門など固有名詞をつけられたものなどがある。木造建築であるから,正面の柱間(はしらま)の数と,そこに開かれる戸口の数とによって,その規模が表され,五間三戸(ごけんさんこ),三間一戸,一間一戸というふうに呼ばれる。

門は重層のものと単層のものとがあり,重層の門は,近世では楼門あるいは三(山)門と呼ばれていたが,最近では重層門のうち,下層に屋根をもたないものを〈楼門〉と呼び,上下層に屋根のある門を〈二重門〉と呼び分けるようになった。二重門は門のうちで最も規模の大きなもので,平城京の正門や,大寺院の南大門・中門などに用いられた。九間七戸の羅城門が最大で,七間五戸の朱雀(すざく)門がこれにつぐが,現存しない。遺構では五間三戸二重門の東大寺南大門や東福寺三門などが規模の大きいものである。奈良の諸大寺の南大門・中門は五間三戸で重層であったらしい。禅宗の三門は五間三戸二重門を制式とするが,これは古くからの伝統を伝えたものであろう。二重門の屋根はすべて入母屋(いりもや)造とする。楼門は五間三戸が最大で,東大寺中門の例があるが,他はすべて三間一戸で,まれに一間一戸(長岳寺楼門)のものがある。門は正面の柱間を奇数にとるが,法隆寺中門の四間二戸は他に例のない珍しい形式である。奈良時代には鐘楼,経楼などに楼造が用いられているから,中程度の規模の寺院では三間一戸の楼門も用いられていたであろう。平安時代以後,神社にも寺院建築の楼門,回廊などがとり入れられたので,鎌倉時代以後の楼門は寺院,神社を通じて,数多く残っている。楼門の屋根は京都八坂神社楼門(切妻造),栃木西明寺楼門(寄棟(よせむね)造)などの数例を除けば,みな入母屋造となっている。なお,重層の門には上を櫓(やぐら)とし,下に門を開いた城郭の櫓門や,俗に竜宮門などといわれる,下をアーチにし,上に木造建築をのせた日光大猷院皇嘉門などの中国風のものが若干ある。

単層の門では法隆寺東院中門の七間のものが最大であったが,これは〈礼堂(らいどう)〉とも呼ばれているから,特殊なものであったろう。これにつぐものは平安京内裏の五間三戸の建礼門などの諸門であったが,現存するものはない。以上のものはその形式に名がつけられていないが,三間一戸以下の門にはそれぞれ名称がつけられている。三間一戸の門は奥行きの柱間が2間で,親柱4本の前後に4本ずつの側柱が計8本あるから〈八脚門〉と呼ばれる。八脚門は平安京内裏の建春門などの諸門,東大寺転害(てがい)門など寺院の築地(ついじ)に開かれる門などに多くの例があり,神社にも用いられる。屋根は切妻造のものがふつうであるが,法隆寺南大門のような入母屋造のものもある。また絵巻で見ると,一方に庇(ひさし)をつけたものがあり,清水寺西門は正面に向拝(ごはい)を設けている。

 正面1間,側面2間の門は,側柱が4本あるので〈四足(よつあし)門〉〈四脚(しきやく)門〉と呼ばれ,社寺に最も広く用いられ,邸宅では,とくに身分の高い人の家に用いられた。八脚門までは柱はすべて円柱であるが,四脚門は本柱を円柱に,側柱を角にする。屋根は切妻造であるが,近世以後は入母屋造のものもでき,また唐破風(からはふ)形にしたものも現れる。

 薬医門は側柱が片側だけにあるもので,本柱は門の中心より前方にあり,棟の真下にこない。この名称の起源については諸説があるが明らかでない。社寺と住宅の両方に用いられている。屋根は切妻造で正面は1間がふつうであるが,旧加賀屋敷御守殿(ごしゆでん)門であった東京大学赤門は,3間の大規模なものである。棟門は〈むねかど〉とも呼ばれ,本柱2本のみで屋根を支えるもので,社寺や住宅に広く用いられた。平安時代の絵巻には多く見えているが,四足門につぐ格式をもち,住宅では公家には用いられたが,武家では初めは用いられなかったようである。寺院では塔頭(たつちゆう)の門などに多い。

 唐(から)門は屋根全体を唐破風造にしたもので平安時代からあり,唐破風が側面に見える平(ひら)唐門と,唐破風を正面に見せた向(むかい)唐門とがある。軒先に唐破風をつけただけの門も唐門とふつう呼ばれているが,建築術語としては,屋根を支える垂木(たるき)が全部唐破風のような反転曲線からなっているものだけをいう。寺院の塔頭や住宅などに用いられ,棟門につぐ格式をもっていた。正面1間がふつうであるが,3間のもの(三宝院唐門)もあり,また下部の構造は四脚門,棟門,薬医門などいろいろある。唐門は近世になってからとくに賞用され,神社や霊廟建築にはかならずといってよいほど設けられた。

 上土門(あげつちもん)は棟門の屋根を水平な板で葺き,上に土を上げたもので,住宅に多く用いられ,室町時代には武家のおもだった人の家に建てられた。絵巻には多く出ているが,現存のものは法隆寺上土門一つしかなく,これも屋根の上に土はのせず,檜皮(ひわだ)で土をのせた形に葺いている。塀重門(へいじゆうもん)は〈屛中門〉とも書かれ,2本の角柱を立て,貫(ぬき)も屋根もなく,たすきの組子を入れた2枚の扉をつったもので,おそらく寝殿造中門廊が簡略化されて塀となったとき,そこに開かれた門を屛中門と呼び,廊中に開かれた中門と区別したところから発生した名であろう。したがって,形式上の名称としての定義はむずかしい点がある。文献的には室町時代までさかのぼるが,できたのは鎌倉時代ころであろう。

 冠木(かぶき)門は2本の門柱の上に横木をのせたもので,〈衡門〉ともいわれ,上土門とともに武家の屋敷に用いられた。釘貫(くぎぬき)門は2本の門柱の上部に貫を通したもので,冠木門と似ているので,現在では混同されている。平安時代の文献にはすでに見え,神社,住宅,町の木戸関所などに用いられている。平(へい)門という語は文献によく出ており,住宅の門のうち,程度の低いものであったことは明らかであるが,具体的な形は明らかでない。あるいは屋根のないものをいったのであったろうか。

 高麗(こうらい)門は2本の門柱の上に冠木をのせ,腕木で桁(けた)を支え,切妻屋根をかけ,内方に控柱を立て,本柱と控柱の間にも切妻造の小屋根をかけ,門の扉をあけたとき雨にぬれないようにしたもので,わき戸を有するものもある。城の升形(ますがた)の前方の門はこの形式とし,後方の門は櫓門とする。近世の武家屋敷は道路に面して家臣の住む長屋を設け,門は長屋に開かれたので,門の屋根は長屋の屋根と一連のものとなる。このような形の門を長屋門という。正面は3間とし,中央に門の扉をつけ,左右はくぐりとし,その左右に番所をおく。武家屋敷の門は格式によって形式が定められ,とくに大きな国持大名は独立した門を建てられるが,一般は長屋門で,10万石以上は左右に唐破風あるいは切妻の出番所付,5万石以上は葺下(ふきおろし)屋根の出番所,分家では5万石以上も片方出番所,片方出格子,1万石以上は両方とも出格子の番所と定められている(武家屋敷)。腕木門は〈木戸門〉ともいわれ,内側に控柱を立て,本柱に腕木を通して出し桁を支え,屋根をかけたもので,現在でも住宅に用いられている。このほか,埋(うずみ)門,穴門,土門など,土塀や石垣の一部にあけられたくぐりの門があり,鉄門や銅製の鋳抜門など門の扉の材料・形式によって呼ばれているものもある。なお鳥居も〈うえふかざる門〉と呼ばれて,門の一種である。

 場所や用途によってつけられる名称には〈表門〉〈裏門〉や方位によって〈東門〉〈南門〉などがあるが,寺院の門にはこの種の名称が多い。南都六宗の寺院では四周の築地にあく門のうち,各方面の重要なものを〈大門〉といい,方角を冠して南大門,東大門というように呼び,回廊の正面にあく門を〈中門〉,東西回廊にある門を〈楽門〉といった。奈良時代には南大門と中門を〈仏門〉,その他を〈僧門〉といっている。禅宗寺院では中門にあたるものを三門(山門)といい,五間三戸二重門を正式とし,左右に上層にのぼる山廊をつけ,南大門を〈総門〉と呼び,さらにその外に〈外門〉を設ける。住宅では寝殿造の中門廊に開かれた中門,その簡略な屛中門以外には特殊な呼び名はなく,茶室の露地(ろじ)に設けられる中門はこれからつけられた名であろう。明治時代以後は洋風の門が輸入されたが,現在では大建築は道路に直接面するから門は建てられず,住宅その他でも簡易なものが喜ばれ,昔のような門はしだいに少なくなり,門柱と門の扉だけというものが多くなっている。
寺院建築
執筆者:

中国における門は,城壁の城門や,宮殿,寺廟,住宅などの区域に設けられる独立した建物の門をいうとともに,また建物の一部につくられた出入口をもいう。本来,〈門〉の字形は二枚扉の開き戸にかたどったもので,古くは二枚扉のものを門,一枚扉のものを戸と称したといい,また建物の出入口を戸,区域に独立して立つものを門といったともいう。古代以来,城壁には城門,里坊には坊門などが設けられた。宮城では路門,応門,雉門(ちもん),庫門,皐門(こうもん)が前後に設けられ,厳格な朝・寝の制度を規定していた。明・清時代の宮殿である紫禁城が,天安門から端門,午門,太和門を経てはじめて太和・中和・保和三殿の中心部に達する構成をもつのは,こうした古代の制度を踏襲した結果である。古代の宮殿などの大門には,前方左右対称に張り出した門楼を付設する(けつ)という形式が常用され,その制度は紫禁城午門に現存する。これらの城門や宮門は,通常,高い基台をもち,その下部をくりぬいた門洞とし,上部に門楼をいただく形式になる。城壁に開かれる城門には,唐・宋時代ころから,外側を二重以上の周壁で囲む甕城(おうじよう)という形式が採用されたが,その制度も明・清の北京城に見られる。

 このほか区域に独立して立つ門には各種の形式があり,宮殿や寺廟では屋根をいただく単層の門のほか,楼門の形式も常用され,また周壁を一歩後退させた一字牆や八字牆の平面構成も用いられた。また牌坊も門の一種で,古く華表(かひよう)に起源を置き,唐・宋時代には烏頭門(うとうもん)などと呼ばれた,日本の冠木門に似た列柱と横材の簡単な形式をとる。孔子廟の櫺星門(れいせいもん)をはじめ,屋根をいただく華麗な牌楼(パイロウ)形式も含めて,宮殿,寺廟などに木,石,塼(せん)造各種の遺構がある。また吊束(つりづか)に彫刻を施した垂花門という形式や,住宅,庭園では周壁に門洞をうがっただけの円洞門や八角,六角,瓶,蕉葉,葫蘆,海棠,蓮花など各種の形状の洞門もある。一方,建物の一部をなす出入口には,格門,版門,歓門など各種の形式があり,それらはむしろ日本でいう扉や玄関の類型に属するが,言語としては今日でも両種の意味に用いられている。
執筆者:

古代エジプトの神殿にはピュロンpylōn(パイロンpylon)と呼ぶ塔門があり,傾斜した壁面をもつ二つの台形の建物をつなぎ,その中央に戸口を設けていた。ナイル川上流に多数建造された要塞の門も,二つの塔のあいだに扉口を設ける形式をとっていた。古代メソポタミア,古代ギリシア・ローマの諸都市の城壁の門も同様の基本形式をとっており,バビロンのイシュタル門(前6世紀),アテナイのディピュロン(前5世紀),ペルージアのアウグストゥスの門(前3~前2世紀),ローマ市の諸市門(3世紀),トリールのポルタ・ニグラ(4世紀),コンスタンティノープルの大市城壁の諸門(5世紀)などが代表例としてあげられる。また古代ローマでは,戦勝などを記念して凱旋門と呼ばれるアーチ門が好んで建造された。古代の門は構造の単純なものが多かったが,なかには,エジプト新王国のラメセス3世葬祭殿(前12世紀前半)の門のように,門内の通路を屈折させたり,また,門の内部に升形を設け,その奥に第2の門を設けて,敵を升形内に閉じこめ,周囲の壁上から射殺するという工夫をしたものもあった。アテナイのディピュロンや,北アフリカ(ヌミディア)のランバエセLambaeseのローマ軍団本部(3世紀)の門はその好例である。古代の門扉は両開き扉を内開きにつくるのが通例で,開口部の上下両端に軸穴を設け,扉の枢(とぼそ)/(くるる)をはめ込み,内側に閂(かんぬき)を設けた。扉は木の厚板,青銅,まれには板石でつくられた。唐戸(からと)形式の扉もすでにつくられていた。

 西欧中世の城郭の門は,防備的な門として高度に発達したもので,通常の門扉のほかに,落し格子portcullis,跳ね橋drawbridge,石落しmachicolationなどを備え,床には落し穴,天井や両側の壁に射出口を設けたものもあった。古代の木製扉については遺品がないが,中世の扉はほとんど木製で,外面,内面ともに大量の鉄帯,鉄鋲で補強されていた。12世紀からまったく鉄だけでつくられた格子扉が現れ,城郭用の粗い格子扉だけでなく,教会堂の内陣や礼拝堂の仕切り用に精妙なデザインの鉄製格子扉が用いられるようになった。

 大砲の登場によって,中世の城郭や市城壁が無力なものとなったため,ルネサンス以降の門は急速に防備的性格を失い,宮殿や邸宅の門は,中世の教会堂内の障壁に用いられた技術を応用して,2本の門柱のあいだに鍛鉄製の両開き格子扉を入れる形式が通例となった。防備的な必要がなければ,風圧を受けることの少ない鉄格子扉は,簡単な門柱で支えることができ,便利だからである。このような門の作例として,17世紀以降のものが西欧諸国の宮殿,邸宅に多数見いだされる。

 近代の門は,材料,形式,デザインこそ多種多様であるが,基本的には古代以来の両開き扉を,近世的な塀やフェンスに装置したものである。ただ日本の引戸建具の影響と,大きな車両の出入りの必要から,レールを用いた引戸式,あるいは吊り引戸式の扉をもつ門が新たに出現した。これは,門扉が大きく重くなると,枢,肘金,蝶番(ちようつがい)のみで支えることが困難になるためである。
執筆者:



門 (かど)

門(もん)とは元来家・屋敷地の出入口をいうが,奈良時代以降中世にかけて多様な語義を派生した。まず空間的な視角から門の付近の内外を門(かど)といった。門田(もんでん)/(かどた)などはその例である。また,門が外に対して家を象徴するところから,家・屋敷そのものを門と呼ぶことがあった。他方人間集団に関して,譜代の下人・被官などを門の近くの小屋に住む者の意で門または門の者と呼んだり,家そのものに比重をかけて,家を構成する人々を一族・一門の意味で門と呼んだりした。薩摩国では室町時代のころより,領主の収取単位となる農民数個の家族や経営の集合体が門と呼ばれ,江戸時代の門割(かどわり)制度の前提となったが,この用法は,農民の家族・経営体そのものを指す門と領主の隷属民としての門の意味が重ねられて生まれたケースであると考えられる。
執筆者:

建築としての門を指す例としては,棟門(むなかど)((もん))があるが,門松(かどまつ),門付(かどづけ),門出(かどで)のような場合は,もう少し広い意味で,屋敷の出入口や門の付近を指したと考えられる。方言で〈かど〉が家の前の空地や戸外を指す場合があるのは,農家や町家では建築としての門を建てることが少なく,家の前方の空地や道路が屋敷の出入口を構成していたからであろう。〈笑う門(かど)には福きたる〉のように,〈かど〉が家,家族を表し,さらに一族や家系をも表すような例があるのは,屋敷の出入口や門が家を象徴する役割を持っていたからだと考えられる。そのほか,江戸時代には農家の屋敷の出入口近くに建つ小屋を門屋(かどや)と呼び,そこに住む隷属的な農民を門百姓(かどびやくしよう)や門屋と呼ぶこともあった。以上のような用例からもわかるように,日本の古い時代には,屋敷の出入口が社会的・精神的生活上で重要な意味を持っており,人馬や車の交通を遮断するだけの場所ではなかった。〈かど〉は霊的存在の出入りにも重要な意味を持つと考えられていた。門松・門火(かどび)(盂蘭盆でたく迎え火と送り火)のような〈かど〉に関する民俗行事が多いことも,そうした面から理解することができよう。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「門」の意味・わかりやすい解説


もん
gate

建築敷地の入口に建てられる構築物。2本の柱で入口を示唆する単純なものから,防御,儀礼,格式を示すなどの目的をもった複雑な楼門まである。日本では中国建築の様式伝来とともに貴族の邸宅,宮城,都市などに用いられ,地位を象徴する意味をもって造られた。平安時代にはすでに住宅の門として身分に応じた大きさと形式が定まっていた。


もん
phylum

生物分類学における分類群の一階級で,界を大きく分ける場合に用いられる。すなわち,界の下で,綱の上。動物では軟体動物門,脊椎動物門など基本的体制の差が門として区別されるが,植物ではミドリムシ,コケ,シダ,種子植物を緑色植物門として一括する立場があるなど,まとめの原理は必ずしも一様でない。

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デジタル大辞泉プラス 「門」の解説

別役実の戯曲。1966年5月、鈴木忠志の演出により、劇団早稲田小劇場が旗揚げ公演として、アートシアター新宿文化で初演。同年、第12回「新劇」岸田戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)の候補作品となる。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【分類学】より

…命名については国際動物(植物)命名規約によって方法が規定されている。 分類群の階級としては,種speciesを基本的な単位として,それより上級に属genus,科family,目order,綱class,門division(動物ではphylum)などが設けられ,それらの間にもいくつかの階級を設けてもよいことになっている。種以下の分類群としては,動物の命名規約では,亜種subspeciesだけが認められているが,植物の場合には,亜種のほかに変種variety,亜変種,品種などの階級も認められている。…

【夏目漱石】より

…漱石の漢詩文の趣味と素養はこの時期に身についた。しかし文明開化の世に好きな漢詩文で身を立てることは諦め,成立学舎に入って英語を学び,1884年大学予備門に入学した。学制改革により予備門が改称された第一高等中学本科に進むにあたり,専攻を英文学に決めたとき,漱石は趣味にもとづく漢文の文学よりは国家有用の事業としての英語の文学を生涯の仕事としようとした。…

【門割制度】より

…薩摩藩全般に施行された強制割地制度。名称の初見は1197年(建久8)の《大隅国図田帳》所載姶良(あいら)庄の元吉門であるが,その性格は未詳。中世の(かど)は垣内村(かいとむら)のような血縁ないし地縁共同体であったが,島津氏の領国一円化とともに,とくに1658年(万治1)ごろから1722‐26年(享保7‐11)の総検地ごろまでの外城制度の確立過程の進展のなかで,下人(被官)や一族が解体されて新門を分立していったので,高も人員も平均的な門に変貌した。…

【被官百姓】より

…同郡でも江戸時代を通じて被官百姓の制度の残った地域は天竜川東岸の山村に多いが,初期には城下町周辺の地にもその存在が知られている。小作人を(かど),門屋などと呼び,労働提供の慣行のあるものを含めれば,同様の慣行の存在はさらに広く各地にみられる。旧盛岡藩の名子百姓は在郷武士である地頭の小作人であるとされるが,名子と呼ばれるものにも被官百姓と同質のものもある。…

【便所】より

…世界の食文化にさまざまなかたちがあるように,排泄の場所である便所にも同様の差異がある。諸民族間の差はもちろんであるが,同民族内の時代差もあり,かなり多様である。また便所の構造は諸民族間における排泄行為に対する羞恥心とも関連し,未開とか文明とかの尺度で構造の特徴を論じられるものでもない。 大・小便の処理方法は火葬,土葬,水葬,風葬という人類の死体処理の方法と一致すると言われている。たとえば,大便を家の壁などに塗りつけて乾燥させて燃料にする,土を掘って排便後土をかぶせる,海や川の水に流す,また土や砂の上に排便してそのままにしておく,放置した大便をブタに食べさせる,などの方法である。…

【門田】より

…中世の長者(地方武士,土豪など)屋敷の門前にひろがる付属耕地(畠の場合は門畠(もんぱく)という)。〈かどた〉ともいう。…

【屋敷】より

…屋敷を名請けした百姓が役人,役家,役儀之家,公事屋(くじや)などと呼ばれて夫役負担者とされ,弱小農民は田畠だけを名請けして屋敷の登録をうけず,夫役の負担をまぬがれていた。 検地帳に登録された屋敷は,その多くが屋敷囲いの内部に母屋(おもや)とともに小屋,門屋(かどや),隠居屋などを備え,小屋,門屋,隠居屋には主家の庇護・支配を受ける弱小農民(自立過程の小農)が起居し,母屋には主家が住いした。小屋住み,門屋住い,隠居身分などの弱小農民が家族をもち,その生計が主家のそれから一応独立分離している場合でも,家数人馬改帳(いえかずじんばあらためちよう)(夫役徴集の基礎帳簿)では,1屋敷の内部の生活は1竈(かまど)として把握され,屋敷囲いの内に住む弱小農民の家族は主家の家族に含まれるものとして主家に一括された。…

※「門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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