日本画家。岐阜県中津川市に生まれる。本名廉造。1901年上京して梶田半古の門に入る。2歳年上で塾頭の小林古径を知り,以来行動をともにする。02年17歳で第12回日本絵画共進会展に《金子家忠》を出品,3等褒状を受け,半古から青邨の号をもらう。その後今村紫紅,安田靫彦らの紅児会に加わり,新しい歴史画の研究に進み,12年,岡倉天心の示唆をうけて制作した《御輿振(みこしふり)》(絵巻)を第6回文展に出品,3等賞を受け画名を知られるようになった。14年再興日本美術院に参加し,その第1回院展に《竹取物語》(絵巻)と《湯治場》を出品,会期中に同人に推挙された。このころから彼の個性的な感覚と画面構成のおもしろさは注目され,《京名所八題》の内〈先斗町〉の大胆な俯瞰法は,岡本一平の漫画(軍人がこの絵の前に立ち〈高度何メートルの飛行機から見たところ〉と説明する)でも評判になった。このような視角の斬新さは,一連のやまと絵研究の成果でもあるが,生来の感性と卓抜な素描力によってはじめて可能となった。
22-23年古径とともに渡欧,遊学し,大英博物館で顧愷之筆《女史箴図巻》を模写。帰国後,院展に《伊太利所見》(1925),《羅馬使節》《西遊記》(ともに1927),《洞窟の頼朝》(1929,第1回朝日賞受賞)と相次いで秀作を発表。30年の《罌粟(けし)》では琳派の新しい解釈を示し,宮中献上の《唐獅子》(1935)では金銀箔を用い単純明快な独特のフォルムを生み出し,35年ころからは〈たらしこみ〉描法を多く用いるなど,闊達な鉄線描を生かした青邨様式を不動にしていく。
第2次大戦後,51年に東京芸術大学教授となり,55年文化勲章受章。日本画壇の長老的地位を占めるが,創作意欲は衰えず,安井曾太郎をモデルとした《Y氏像》(1951),松永安左エ門を描いた《耳庵像》(1953)などの肖像や,多くの〈紅白梅図〉などの花鳥画にも独自の画境をきりひらいた。《石棺》(1962),《大物浦(だいもつのうら)》(1968),《腑分》(1970)など歴史画もひきつづき描いたが,第2次大戦前とは歴史画の主要テーマである〈戦い〉のとらえ方が異なっている点も注目される。71年の《知盛幻生》は歴史画への鎮魂歌ともいえる大作である。
執筆者:佐々木 直比古
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日本画家。本名廉造。岐阜県中津川に生まれる。1901年(明治34)に上京し、梶田半古(かじたはんこ)に師事。1907年に今村紫紅(しこう)、安田靫彦(ゆきひこ)らの紅児(こうじ)会に加わって研究を重ねた。1914年(大正3)の再興日本美術院の第1回展で『湯治場』『竹取(たけとり)』が認められて同人に推挙され、1922年に日本美術院留学生として小林古径(こけい)とともに渡欧し、大英博物館で『女史箴図巻(じょししんずかん)』を模写、翌年帰国した。大和(やまと)絵や琳派(りんぱ)の技法を独自に消化した明快で清新な画風が注目され、1927年(昭和2)の『羅馬(ローマ)使節』(早稲田(わせだ)大学)、1929年の『洞窟(どうくつ)の頼朝(よりとも)』(東京・大倉集古館)はことに高い評価を得た。院展のほか文展、第二次世界大戦後の日展にも出品し、1935年に帝国美術院会員、1944年に帝室技芸員にあげられ、1955年(昭和30)には文化勲章を受章した。また1951年から1959年まで東京芸術大学教授を務め、その後も1967年の法隆寺金堂壁画再現模写、1973年の高松塚古墳壁画模写事業をそれぞれ監修、監督した。ほかに代表作として『罌粟(けし)』『石棺』『お水取(みずとり)』『西遊記』『紅白梅図』などがあげられる。1966年、郷里に中津川市青邨記念館が建設された(2015年閉館)。
[原田 実 2017年1月19日]
『『作画三昧――青邨文集』(1979・新潮社)』▽『久富貢編『現代日本美術全集15 前田青邨』(1973・集英社)』▽『関千代編『日本画素描大観5 前田青邨』(1984・講談社)』▽『河北倫明・高階秀爾他監修『日本の名画15 前田青邨』(1977・中央公論社)』▽『河北倫明監修・解説、関千代解説『現代日本絵巻全集9・10 前田青邨Ⅰ・Ⅱ』(1981、1984・小学館)』
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明治〜昭和期の日本画家 東京芸術大学名誉教授。
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1885.1.27~1977.10.27
大正・昭和期の日本画家。岐阜県出身。本名廉造。1901年(明治34)梶田半古(はんこ)に入門し,紅児(こうじ)会に参加。14年(大正3)再興日本美術院同人となり,小林古径(こけい)・安田靫彦(ゆきひこ)とともに院展三羽烏として活躍。22年渡欧。37年(昭和12)帝国芸術院会員,51年東京芸術大学教授となる。55年文化勲章受章。法隆寺金堂壁画再現模写や高松塚古墳壁画模写に従事した。作品「洞窟の頼朝」「お水取」。
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