舒明天皇の皇子。母は蘇我馬子の女の法提郎女(ほてのいらつめ)。その女の倭姫王(やまとひめのおう)は天智天皇の皇后となった。またの名を古人大市皇子,吉野太子などといった。643年(皇極2)11月,蘇我入鹿(いるか)が聖徳太子の子山背(やましろ)大兄王を斑鳩(いかるが)に襲おうとしたとき,皇子は入鹿がみずから行くことを言外に止めたため,入鹿は軍兵のみを送って王を自殺させた。645年6月,皇子が大極殿(だいごくでん)に侍し,皇極天皇が三韓からの使者と会ったとき,中大兄皇子と藤原鎌足らはその面前で入鹿を殺した(乙巳(いつし)の変)。これをみた皇子は私宅に走りこんで,韓人が入鹿を殺した,わたくしの心が痛むといって,そのまま門をとざしてでてこなかった。蘇我入鹿とその父蝦夷(えみし)が滅ぼされたことで,彼らの支持を得ていた皇子の地位は一挙に不安定なものとなった。しかし,従来の地位はやはり大きな意味をもっていたらしく,皇極天皇が位を実子の中大兄に譲ろうとすると,鎌足は,古人皇子はその兄であり,軽皇子はその叔父であるから,いま古人皇子がいるのに弟が即位すれば,弟としての立場にそわないことになるとして,軽皇子(のちの孝徳天皇)の即位を進言した。それに対して,軽は古人こそ舒明の子で年長だから,皇位につくべしと固辞したが,古人は出家して法興寺に入ったという。しかし同年9月,古人は謀反をはかったと密告され,中大兄らによって殺された。
執筆者:原島 礼二
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(荒木敏夫)
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?~645.9?.-
古人大市(おおち)皇子・吉野太子とも。舒明天皇の皇子。母は蘇我馬子(そがのうまこ)の女法提郎女(ほほてのいらつめ)。645年(大化元)乙巳(いっし)の変で蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子が殺された後,皇極天皇の譲位をうけて皇位につくことを勧められたが固辞し,出家して吉野に隠退した。しかし同年,謀反を企てたとして中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)に攻め殺された。
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