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古人大兄皇子
没年:大化1(645)
生年:生年不詳
古人大市皇子とも呼ばれ,吉野太子とも記される。舒明天皇と法提郎媛(蘇我馬子の娘)の子。天智・天武両天皇の異母兄弟。7世紀中ごろの皇位継承資格を持つ有力皇子。大和国城上郡大市郷(天理市柳本から桜井市)に皇子宮を営む。蘇我系の皇子として皇位の継承を期待されたが,蘇我本宗家の滅亡後,身の危険を感じて即位の要請を辞退。吉野山に入って数カ月後,吉備笠垂 の密告により,「謀反」の疑いをかけられ殺害された。<参考文献>門脇禎二『「大化改新」論―その前史の研究―』,荒木敏夫『日本古代の皇太子』
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古人大兄皇子 ふるひとのおおえのおうじ
?-645 飛鳥(あすか)時代,舒明(じょめい)天皇の皇子。
母は蘇我法提郎媛(そがの-ほほてのいらつめ)。古人大市(おおちの)皇子,吉野太子などともいう。蘇我入鹿(いるか)に皇位継承を期待されていたが,蘇我本宗家の滅亡により,出家して吉野にこもる。吉備笠垂(きびのかさの-しだる)に謀反をはかったと密告され,大化(たいか)元年9月12日(一説に11月30日)中大兄皇子の兵に殺された。
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デジタル大辞泉
「古人大兄皇子」の意味・読み・例文・類語
ふるひとのおおえ‐の‐おうじ〔ふるひとのおほえ‐ワウジ〕【古人大兄皇子】
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古人大兄皇子
ふるひとのおおえのおうじ
?〜645
7世紀前期の皇族
舒明天皇の皇子で,中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ) の異母兄。母は蘇我馬子の娘。有力な天皇候補者であったが,大化の改新で蘇我氏が滅亡すると出家して吉野に入った。謀反の疑いで中大兄皇子に殺された。
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ふるひとのおおえのみこ【古人大兄皇子】
?‐645(大化1)
舒明天皇の皇子。母は蘇我馬子の女の法提郎女(ほてのいらつめ)。その女の倭姫王(やまとひめのおう)は天智天皇の皇后となった。またの名を古人大市皇子,吉野太子などといった。643年(皇極2)11月,蘇我入鹿(いるか)が聖徳太子の子山背(やましろ)大兄王を斑鳩(いかるが)に襲おうとしたとき,皇子は入鹿がみずから行くことを言外に止めたため,入鹿は軍兵のみを送って王を自殺させた。645年6月,皇子が大極殿(だいごくでん)に侍し,皇極天皇が三韓からの使者と会ったとき,中大兄皇子と藤原鎌足らはその面前で入鹿を殺した(乙巳(いつし)の変)。
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