日本歴史地名大系 「吹上村」の解説
吹上村
ふきあげむら
- 栃木県:栃木市
- 吹上村
吹上村
ふきあげむら
- 福岡県:小郡市
- 吹上村
吹上村
ふきあげむら
下津井村の東、南は瀬戸内海に面する。下津井四ヵ浦の一つ。「金毘羅参詣名所図会」には下津井のうちで、着船の浜とある。元弘二年(一三三二)三月、讃岐に配流となった後醍醐天皇の子妙法院宮は当地まで陸路で来、当地から讃岐に渡った(「太平記」巻四)。建武三年(一三三六)五月一八日、西国より京都を目指した足利尊氏と船路をとった軍勢が当地に着いている(同書巻一六)。元和三年(一六一七)の児島郡物成帳に「下津井村之内」吹上村とあって、田畠合せて一一六石余・加子米五石八斗余とある。「備陽記」に「湊町並」、「吉備温故秘録」には「下津井村と町続にて湊なり、商ひを業とするもの多し」、「撮要録」には田畑数なく人数が多く、中以下の者は猟業にて、過半は商売にて渡世と記す。
吹上村
ふきあげむら
吹上村
ふきあげむら
- 長野県:伊那市
- 吹上村
信州伊奈郡箕輪領村々新田并変地之類改帳(上伊那誌)によると、新田吹上村は
なお高町について貞享三年(一六八六)成稿の「小平物語」には次のように記されている。
吹上村
ふきかみむら
東吹村の東部に位置する。延宝九年(一六八一)東吹村から分立したという(稲山家文書)。元禄五年(一六九二)の免状(同文書)では高二七五石余で、免三ツ八分、枯損引一三五石余。「丹波志」に吹庄のうちとして「上」とみえ、高二七五石余。天明三年(一七八三)の篠山領内高並家数人数里数記では古佐組のうちに吹上村とあり、家数三〇・人数一六六。「多紀郡明細記」に東吹村高のうち上村とあり、高二五〇石余で、山役米二石九斗のほか、薪四八荷余・瓦焼木二四束を納めていた。家別三二・人別一六一、牛一二、青池・
吹上村
ふきあげむら
吹上村
ふきあげむら
- 東京都:青梅市
- 吹上村
吹上村
ふきあげむら
吹上村
ふきあげむら
吹上村
ふきあげむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報