百科事典マイペディア 「和佐荘」の意味・わかりやすい解説
和佐荘【わさのしょう】
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紀伊国名草郡(現,和歌山市)の荘園。平安末期の成立と考えられるが,成立事情は不詳。1189年(文治5)ころ石清水(いわしみず)八幡宮寺祠官の田中成清を領家(りようけ)とし,高野山随心院を本家とする下和佐荘が成立したため,これと区別するために上和佐荘(和佐上荘)と称することもある。当荘の下村と南村(箕田村)の領家職(しき)は歓喜寺が有しており,在庁名(ざいちようみよう)と思われる千住名も荘内にあったが,その他の領有関係はつまびらかでない。歓喜寺はもと京都にあって蓮光寺と称し,1264年(文永1)後鳥羽院の寵妾大宮局の寄進によって下村,南村を領した。熊野参詣道にそった南村には薬徳寺があり,1330年(元徳2)歓喜寺が薬徳寺内に護摩堂として移転されたため,両寺の混同が生じ,その後薬徳寺は歓喜寺に吸収された。歓喜寺には古文書約200通が伝来し,なかでも1327年(嘉暦2)の下村公文(くもん)得分注文(とくぶんちゆうもん)は多種の公事(くじ)・夫役(ぶやく)が列挙されていて著名である。下司(げし),公文,惣追捕使(そうついぶし)などの荘官にはいずれも開発領主と思われる大伴氏一族が任ぜられており,彼らは室町期には和佐氏を称し,守護畠山氏の被官となっている。当荘の水田の大部分は宮井用水によって灌漑されるため,1433年(永享5)には日前国懸(ひのくまくにかかす)神宮との間に激しい用水相論が起こっている。
執筆者:小山 靖憲
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