歌舞伎舞踊の一系統。能舞台を模して,正面に大きく根付の老松,左右の袖に竹を描いた羽目板,下手に五色の揚幕,上手に切戸口(臆病口)のある舞台装置で演ずるものをいう(ちなみに能舞台では正面の羽目板を〈鏡板(かがみいた)〉といい,松羽目とはいわない)。題材はほとんど能,狂言から採り,衣装,演出も能,狂言に準ずる。歌舞伎はその発生期から先行芸能である能,狂言から芸態,演目を摂取していた。しかし歌舞伎舞踊に大きな地位を占める〈石橋物(しやつきようもの)〉(石橋)や〈道成寺物〉など能取りの所作事も,能を直訳的に歌舞伎に移すのではなく,単に題名や詞章の一部を借りるのみで,自由な発想ともどきの趣向によって換骨奪胎し,みごとに歌舞伎化していた。7世市川団十郎は能の様式にあこがれ,その演出を積極的にとり入れようとした。その具体的なあらわれが《勧進帳》である。松羽目の舞台を用いたのはこのときが最初であり,この作品が後の〈松羽目物〉の原点となった。明治期に入って,歌舞伎の改良運動に伴う高尚趣味によって,能,狂言様式の舞踊が作られた。まず5世尾上菊五郎が1881年,市川家の《勧進帳》をまねて《土蜘(つちぐも)》を作った。ついで82年9世市川団十郎が《釣狐》,85年に《船弁慶》を初演した。その後菊五郎が《菊慈童》《羽衣》,団十郎が《素襖落(すおうおとし)》《三人片輪》を創演。大正期には岡村柿紅と6世尾上菊五郎,7世坂東三津五郎のコンビによって《身替座禅》《棒しばり》《茶壺》などの名作が作られた。
執筆者:権藤 芳一
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歌舞伎(かぶき)劇の一様式。能舞台を模して、正面に大きく根付きの松、左右の袖(そで)に竹を描いた「松羽目」を背景とし、下手(しもて)(客席から見て左方)に五色の揚幕(あげまく)、上手(かみて)(右方)に臆病(おくびょう)口を配した舞台装置で演ずるものをいう。ほとんどが能または狂言に取材した舞踊劇で、登場人物の衣装と小道具、演出も能・狂言に準ずる。歌舞伎では花道を活用するため、原則として橋懸りはつくらないが、『式三番(しきさんば)』や『橋弁慶(はしべんけい)』など、ときに下手揚幕の近くに欄干(らんかん)をつけ、橋懸りに見立てる場合もある。松羽目物の始まりは1840年(天保11)7世市川団十郎が演じた『勧進帳(かんじんちょう)』。武家式楽だった能楽が幕末にすこしずつ解放されてきた機運に乗じたもので、明治期には演劇改良運動の展開による高尚趣味に添って、5世尾上(おのえ)菊五郎、9世団十郎らにより『土蜘(つちぐも)』『船弁慶(ふなべんけい)』『素襖落(すおうおとし)』などのほか、能にはない題材の『茨木(いばらき)』まで、多くの作品がこの様式により創演された。明治末から大正期にかけても、6世菊五郎、7世坂東(ばんどう)三津五郎らにより『身替座禅(みがわりざぜん)』『棒縛(ぼうしばり)』『太刀盗人(たちぬすびと)』など狂言種(だね)の作品が多くつくられている。
[松井俊諭]
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…この一部が単独で残り,現在の日本舞踊作品の中心になっている。明治になると演劇改良運動などによる高尚化の波にのって,能狂言に取材した〈松羽目物〉が登場する。この後,新舞踊運動が起こり,歌舞伎をはなれて,日本舞踊家が独立輩出する。…
…歌舞伎以外でも井原西鶴や近松門左衛門の作品,川柳や小咄にも影響を与えているが,ことに十返舎一九の《東海道中膝栗毛》(1802),それに続く《続膝栗毛》には,狂言《丼礑(どぶかつちり)》《附子(ぶす)》《墨塗(すみぬり)》等の趣向がとり入れられ,効果的に笑いをもり上げている。明治以降も,歌舞伎舞踊として《素襖落》《身替座禅(みがわりざぜん)》(《花子》の舞踊化),《棒しばり》《茶壺》といった曲が作られ,松羽目物(まつはめもの)と呼ばれて今日でも人気曲としてよく上演される。また成瀬無極の《文学に現れたる笑之研究》(1917)のように,比較文学研究の材料として狂言がとり上げられるようにもなった。…
…雛段は宝暦(1751‐64)ころからはじまった。能・狂言に取材した松羽目物はたいてい正面出囃子。とくに《勧進帳》では柿色の肩衣,《娘道成寺》では桜色の肩衣をつける。…
…今日に残る歌舞伎舞踊の大部分はこの変化物の一部が独立したものである。 明治期に入ると演劇改良運動の風潮にのって卑俗な内容を排し,高尚化が叫ばれ,能や狂言に取材した松羽目物(まつばめもの)が作られ,《船弁慶》《紅葉狩》《素襖落(すおうおとし)》などが作られた。また一方坪内逍遥は,1904年国劇刷新の立場から,ワーグナーの楽劇に範を求めた《新楽劇論》を発表して,新舞踊劇論を展開し,みずから《新曲浦島》等の作品を書いた。…
※「松羽目物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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