デジタル大辞泉
「大塚楠緒子」の意味・読み・例文・類語
おおつか‐くすおこ〔おほつかくすをこ〕【大塚楠緒子】
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おおつか‐くすおこ【大塚楠緒子】
- 詩人、小説家。長詩「お百度詣で」は女性の立場から、戦争に抗議したものとして有名。明治八~四三年(一八七五‐一九一〇)
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大塚楠緒子【おおつかくすおこ】
小説家,歌人,詩人。東京生れ。本名,久寿雄。1890年,少女時代から竹柏園に入門,佐佐木弘綱,佐佐木信綱に師事。小説《離鴛鴦》《空薫(そらだき)》,また日露戦争に対する女性の心情をうたい,与謝野晶子《君死に給ふことなかれ》とともに反響をよんだ新体詩《お百度詣で》など。樋口一葉のあとを継ぐ女流作家と期待されたが,早世したため,十分にはその才能を開花させることができなかった。文体に,夫の友人夏目漱石の影響が著しく,その恋人だとの一説があった。その漱石の手向けの句〈有る程の菊抛げ入れよ棺の中〉は有名。
→関連項目心の花
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大塚 楠緒子
オオツカ クスオコ
明治期の歌人,小説家
- 生年
- 明治8年8月9日(1875年)
- 没年
- 明治43(1910)年11月9日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 大塚 久寿雄
- 別名
- 別名=大塚 楠緒(オオツカ クスオ)
- 学歴〔年〕
- 女子高等師範附属女学校〔明治26年〕卒
- 経歴
- 少女時代から竹柏園・佐々木信綱に入門し、短歌、美文を発表する。一葉の影響をうけ、明治28年「くれゆく秋」を、30年「しのび音」などの小説を発表し、女流作家として期待される。その他の作品に「客間」「別な女の顔」「露」などがあり、著書に「晴小袖」「暁露集」などがある。才色兼備で知られた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大塚楠緒子(おおつかくすおこ)
おおつかくすおこ
(1875―1910)
小説家、歌人、詩人。東京に生まれる。本名久寿雄(くすお)。別称楠緒(くすお)、楠緒子(なおこ)。佐々木弘綱(ひろつな)、佐佐木信綱(のぶつな)に学び、終生歌作を続けた。東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)附属女学校卒業後作家活動に入り、『文芸倶楽部(くらぶ)』閨秀(けいしゅう)小説号に発表の『暮ゆく秋』(1895)、『しのび音』(1897)で女流作家の地位を定めた。作風は擬古的なものから浪漫(ろうまん)的なものに展開、『晴小袖』(1906)、『露』(1908)などの作品集のほか、厭戦(えんせん)詩『お百度詣(もうで)』(1905)もある。明治43年11月9日の死に際し、文学上の師夏目漱石(そうせき)の句「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中」がある。夫は美学者大塚保治(やすじ)。
[小野寺凡]
『『明治文学全集81 明治女流文学集(1)』(1966・筑摩書房)』
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大塚楠緒子 (おおつかくすおこ)
生没年:1875-1910(明治8-43)
明治時代の詩人。本名久寿雄。東京控訴院長大塚正男の長女で,夫は東大教授で美学者の大塚保治。東京女高師付属女学校,明治女学校を卒業。佐佐木信綱,夏目漱石らに師事して和歌,小説などをかく。1905年雑誌《太陽》に発表した〈お百度詣で〉は日露戦争下に夫の無事を祈る妻の心情をえがき,与謝野晶子の〈君死にたまふことなかれ〉と並ぶ反戦詩としてのこされた。彼女の死を漱石は〈有るほどの菊投げいれよ棺の中〉とうたい哀惜している。
執筆者:井手 文子
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大塚楠緒子
没年:明治43.11.9(1910)
生年:明治8.8.9(1875)
明治時代の小説家,歌人,詩人。司法界の重鎮大塚正男と伸のひとり娘。本名久寿雄。別称楠緒,楠緒子。女子高等師範学校附属高女(お茶の水女子大附属高校)卒。竹柏園佐々木弘綱に師事,和歌を学ぶ。才色兼備で知られ,美学者小屋保治を婿養子に迎えた。樋口一葉亡きあとの明治30~40年代の文壇で,女性としては一番の売れっ子となり,時代の顔である知的上・中流階級の男女の間を書いたが,良家の夫人の類型性を突き破れなかった。夏目漱石との愛が云々され,ふたりの作品にその跡を顕著に読みとる小坂晋の『漱石の愛と文学』などもある。日露戦争下の女の悲しみをうたった詩「お百度詣』で晶子と並称されている。<参考文献>塩田良平『新訂明治女流作家論』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
大塚楠緒子
おおつかくすおこ
1875.8.9~1910.11.9
明治期の小説家・詩人・歌人。本名久寿雄。東京都出身。東京控訴院院長の長女として生まれ,竹柏園(なぎぞの)門下の歌人として少女時代から頭角を現す。東京女子師範付属女学校を首席で卒業の頃から美貌の才媛として評判になった。擬古典風の小説を著し,一葉につぐ女性作家ともいわれた。夫保治(やすじ)の友人夏目漱石から文学的・人生的影響をうけた。厭戦詩「お百度詣(もうで)」(1905)も知られる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
大塚楠緒子 おおつか-くすおこ
1875-1910 明治時代の小説家,歌人,詩人。
明治8年8月9日生まれ。大塚保治の妻。明治28年「文芸倶楽部(クラブ)」に小説「くれゆく秋」を発表。38年厭戦(えんせん)詩「お百度詣(もうで)」で,与謝野晶子とならび称された。明治43年11月9日死去。36歳。東京出身。女子高等師範付属女学校卒。本名は久寿雄。通称は別に楠緒。「なおこ」ともよむ。歌集に「雪の日」など。
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大塚楠緒子
おおつかくすおこ
1875〜1910
明治時代の小説家・歌人
東京の生まれ。東大教授大塚保治の妻。日露戦争のとき,従軍中の夫の無事を祈る詩『お百度詣』を発表。与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』と並んでその反戦意識が注目された。
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大塚 楠緒子 (おおつか くすおこ)
生年月日:1875年8月9日
明治時代の歌人;小説家
1910年没
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