大塚楠緒子(読み)おおつか くすおこ(なおこ)

美術人名辞典の解説

大塚楠緒子

小説家・歌人・詩人。東京生。文学博士保治氏夫人。本名は久寿雄、通称は楠緒。女子高等師範付属女学校卒。与謝野晶子とならび称された。明治43年(1910)歿、36才。

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百科事典マイペディアの解説

大塚楠緒子【おおつかくすおこ】

小説家,歌人,詩人。東京生れ。本名,久寿雄。1890年,少女時代から竹柏園に入門,佐佐木弘綱佐佐木信綱に師事。小説《離鴛鴦》《空薫(そらだき)》,また日露戦争に対する女性の心情をうたい,与謝野晶子《君死に給ふことなかれ》とともに反響をよんだ新体詩《お百度詣で》など。樋口一葉のあとを継ぐ女流作家と期待されたが,早世したため,十分にはその才能を開花させることができなかった。文体に,夫の友人夏目漱石の影響が著しく,その恋人だとの一説があった。その漱石の手向けの句〈有る程の菊抛げ入れよ棺の中〉は有名。
→関連項目心の花

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大塚楠緒子 おおつか-くすおこ

1875-1910 明治時代の小説家,歌人,詩人。
明治8年8月9日生まれ。大塚保治の妻。明治28年「文芸倶楽部(クラブ)」に小説「くれゆく秋」を発表。38年厭戦(えんせん)詩「お百度詣(もうで)」で,与謝野晶子とならび称された。明治43年11月9日死去。36歳。東京出身。女子高等師範付属女学校卒。本名は久寿雄。通称は別に楠緒。「なおこ」ともよむ。歌集に「雪の日」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大塚楠緒子

没年:明治43.11.9(1910)
生年:明治8.8.9(1875)
明治時代の小説家,歌人,詩人。司法界の重鎮大塚正男と伸のひとり娘。本名久寿雄。別称楠緒,楠緒子。女子高等師範学校附属高女(お茶の水女子大附属高校)卒。竹柏園佐々木弘綱に師事,和歌を学ぶ。才色兼備で知られ,美学者小屋保治を婿養子に迎えた。樋口一葉亡きあとの明治30~40年代の文壇で,女性としては一番の売れっ子となり,時代の顔である知的上・中流階級の男女の間を書いたが,良家の夫人の類型性を突き破れなかった。夏目漱石との愛が云々され,ふたりの作品にその跡を顕著に読みとる小坂晋の『漱石の愛と文学』などもある。日露戦争下の女の悲しみをうたった詩「お百度詣』で晶子と並称されている。<参考文献>塩田良平『新訂明治女流作家論』

(藪禎子)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおつかくすおこ【大塚楠緒子】

1875‐1910(明治8‐43)
明治時代の詩人。本名久寿雄。東京控訴院長大塚正男の長女で,夫は東大教授で美学者の大塚保治。東京女高師付属女学校,明治女学校を卒業。佐佐木信綱,夏目漱石らに師事して和歌,小説などをかく。1905年雑誌《太陽》に発表した〈お百度詣で〉は日露戦争下に夫の無事を祈る妻の心情をえがき,与謝野晶子の〈君死にたまふことなかれ〉と並ぶ反戦詩としてのこされた。彼女の死を漱石は〈有るほどの菊投げいれよ棺の中〉とうたい哀惜している。

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大辞林 第三版の解説

おおつかくすおこ【大塚楠緒子】

1875~1910) 小説家・歌人。東京生まれ。本名、久寿雄。美学者大塚保治(1868~1931)の妻。夏目漱石に師事。厭戦詩「お百度詣もうで」、小説「晴小袖」「空薫そらだき」など。

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精選版 日本国語大辞典の解説

おおつか‐くすおこ【大塚楠緒子】

詩人、小説家。長詩「お百度詣で」は女性の立場から、戦争に抗議したものとして有名。明治八~四三年(一八七五‐一九一〇

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