出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国、陝西(せんせい)省西安市にある寺。興善寺ともいう。隋(ずい)の文帝が582年新都造営にちなみ霊蔵(れいぞう)に勅して寺域を選定させ建立した国寺で、遵善寺(じゅんぜんじ)と称したが、同年6月北周の陟岵(ちょくこ)寺を移建し、大興善寺と改号。寺域は遵(靖)善坊一坊を占めて堂宇広壮を極め、霊蔵が寺主となる。僧猛は当寺で隋国大統の綬(じゅ)を受け、那連提黎耶舎(なれんだいりやしゃ)は訳経道場を主宰した。以来、二十五衆主の第一摩訶衍匠僧粲(まかえんしょうそうさん)や国統霊裕(れいゆう)らが住し、翻経学士の彦琮(げんそう)は『衆経目録』五巻を撰(せん)し、闍那崛多(じゃなくった)は翻経専主となるなど、隋代の教学、僧制、翻経の中心寺院であった。唐代、中宗の代に鄷国(ほうこく)寺と改名、叡宗(えいそう)の代に旧名に復した。玄宗の代に不空三蔵が入寺するや青龍(せいりゅう)寺と並ぶ二大密教寺院となり、日本からも空海、円仁(えんにん)、円珍(えんちん)らが学んだ。しかし、会昌の廃仏(845)以後は徐々に荒廃し、清(しん)朝の同治(どうち)年間(1862~74)イスラム教徒によって烏有(うゆう)に帰した。人民共和国後、大興善公園と称して市民の憩いの場となり、諸堂が再建され、西安(せいあん)仏教協会事務寺となるなど復興したが、公園の広さおよび伽藍(がらん)結構ともども往時と比すべくもない。
[里道徳雄]
…米作を中心とし果樹栽培,肥育牛などを行う農業が主産業であったが,近年,南部の工業団地を中心に工業が盛んになり,製造品出荷額も県内有数の地位を占めるようになった。ツツジの名所として知られる大興善寺などの古刹(こさつ)が多い。鹿児島本線,国道3号線などが通り,九州横断自動車道の鳥栖インターチェンジに近く,最近は宅地開発が進んで人口が増加している。…
※「大興善寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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