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大興善寺 ダイコウゼンジ

デジタル大辞泉の解説

だいこうぜん‐じ【大興善寺】

中国、文帝が582年に都の長安に建立した寺。隋・唐を通じて長安第一の大寺。756年、不空が灌頂道場を開いてからは密教の中心寺院となり、日本の円仁円珍らも修行した。会昌の法難(845年)以後は荒廃。現在は興善寺として復興された。

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デジタル大辞泉プラスの解説

大興善寺

佐賀県三養基郡基山町にある寺院。717年創建。天台宗別格本山、本尊は十一面観世音菩薩。ツツジと紅葉の名所。

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大辞林 第三版の解説

だいこうぜんじ【大興善寺】

中国、陝西省西安(もと長安)にある古刹。582年隋の文帝が創建。長安第一の大寺で、玄宗の時代、不空により密教道場とされ、日本の円仁・円珍らも修行した。会昌の法難(845年)で一時荒廃。復興後清代にイスラム教徒により再び破却された。今は興善寺と称する。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

だいこうぜんじ【大興善寺】

中国の陜西(せんせい)省の古都、西安(せいあん)(シーアン)市南郊外にある、晋の時代に創建されて1700年以上の歴史を持つ寺院である。716~720年、インドの僧侶である善無畏(ぜんむい)や金剛智(こんごうち)、不空らがこの寺で密宗経典を翻訳し、密教を伝授したことから、中国密教の発祥地とされている。寺院の敷地は広く、唐代や宋代に造られた仏像をはじめ、彫刻芸術品、仏教建築の遺跡などが数多く残されている。現在は、重要文化財に指定されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大興善寺
だいこうぜんじ

中国、陝西(せんせい)省西安市にある寺。興善寺ともいう。隋(ずい)の文帝が582年新都造営にちなみ霊蔵(れいぞう)に勅して寺域を選定させ建立した国寺で、遵善寺(じゅんぜんじ)と称したが、同年6月北周の陟(ちょくこ)寺を移建し、大興善寺と改号。寺域は遵(靖)善坊一坊を占めて堂宇広壮を極め、霊蔵が寺主となる。僧猛は当寺で隋国大統の綬(じゅ)を受け、那連提黎耶舎(なれんだいりやしゃ)は訳経道場を主宰した。以来、二十五衆主の第一摩訶衍匠僧粲(まかえんしょうそうさん)や国統霊裕(れいゆう)らが住し、翻経学士の彦(げんそう)は『衆経目録』五巻を撰(せん)し、闍那崛多(じゃなくった)は翻経専主となるなど、隋代の教学、僧制、翻経の中心寺院であった。唐代、中宗の代に(ほうこく)寺と改名、叡宗(えいそう)の代に旧名に復した。玄宗の代に不空三蔵が入寺するや青龍(せいりゅう)寺と並ぶ二大密教寺院となり、日本からも空海、円仁(えんにん)、円珍(えんちん)らが学んだ。しかし、会昌の廃仏(845)以後は徐々に荒廃し、清(しん)朝の同治(どうち)年間(1862~74)イスラム教徒によって烏有(うゆう)に帰した。人民共和国後、大興善公園と称して市民の憩いの場となり、諸堂が再建され、西安(せいあん)仏教協会事務寺となるなど復興したが、公園の広さおよび伽藍(がらん)結構ともども往時と比すべくもない。[里道徳雄]

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世界大百科事典内の大興善寺の言及

【基山[町]】より

…米作を中心とし果樹栽培,肥育牛などを行う農業が主産業であったが,近年,南部の工業団地を中心に工業が盛んになり,製造品出荷額も県内有数の地位を占めるようになった。ツツジの名所として知られる大興善寺などの古刹(こさつ)が多い。鹿児島本線,国道3号線などが通り,九州横断自動車道の鳥栖インターチェンジに近く,最近は宅地開発が進んで人口が増加している。…

※「大興善寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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