天璋院(読み)テンショウイン

デジタル大辞泉 「天璋院」の意味・読み・例文・類語

てんしょう‐いん〔テンシヤウヰン〕【天璋院】

[1837~1883]江戸幕府第13代将軍徳川家定正室。幼名は於一おかつ薩摩藩今和泉領主、島津忠剛ただたけの子として生まれる。島津斉彬の養女(篤子あつこ改名)となり、近衛家の養女(敬子すみこと改名)を経て御台盤所みだいばんどころとなる。家定死後、落飾して天璋院と称した。篤姫。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天璋院」の意味・わかりやすい解説

天璋院
てんしょういん
(1835―1883)

徳川13代将軍家定(いえさだ)の正室。名は篤子(あつこ)、のち敬子(すみこ)。通称篤姫。幼名は於一(おかつ)。幕府の消滅に立会い、徳川本家廃絶・江戸城武力攻略の回避に力を尽くし、明治期には徳川本家の家格・家名の維持を目ざした。父、島津忠剛(ただたけ)は島津家家臣のうち最上級とされる「一門家(四つの分家)」の一つ、今和泉(いまいずみ)島津家(石高1万3000石)5代目。幕府は11代将軍家斉(いえなり)に1789年(寛政1)嫁いだ島津重豪(しげひで)の娘茂姫(広大院)にあやかって、家定の室を島津家からめとりたいと、島津藩世子の斉彬(なりあきら)(後の11代藩主)に打診、その候補として今和泉島津家の於一が選ばれた。於一は斉彬の養女となった。さらに右大臣、近衛忠熈(ただひろ)(1808―98)の養女として、1856年(安政3)家定との婚儀が行われ、御台所(みだいどころ)となった。次期将軍に慶喜(よしのぶ)を望んだ一橋派・斉彬の懇請に従ったが、周囲に反対され実現できなかった。家定が1858年に没すると落飾して天璋院の号を得、従三位に叙せられる。その後大奥の取締りにあたる。1867年(慶応3)15代将軍慶喜が大政を奉還すると、徳川家の存続官軍の江戸城攻め回避のため、静寛院宮和宮)らとともに尽力した。しかし1868年7月、官軍に反発奥羽越列藩同盟に官軍討伐を願った。その後一橋邸、紀伊藩邸、尾張藩邸、相良(さがら)藩邸と移り、徳川16代当主家達(いえさと)のいた徳川千駄ヶ谷邸で過ごし、1883年(明治16)11月20日、満47歳で没した。徳川家処分の際に位記を剥奪(はくだつ)されていたが、従三位に復し、上野の家定の墓域に埋葬された。

三木 靖]

『松平乗昌監『天璋院』(1995・鹿児島県歴史資料センター黎明館)』『芳即正編『天璋院篤姫のすべて』(2007・新人物往来社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「天璋院」の意味・わかりやすい解説

天璋院 (てんしょういん)
生没年:1836-83(天保7-明治16)

江戸幕府13代将軍徳川家定夫人。名は敬子,のち篤姫。薩摩藩主一門島津忠剛の娘で島津斉彬の養女。幕府の対雄藩協調策と斉彬ら一橋派の政治的おもわくにより,近衛忠凞の養女として56年(安政3)家定に嫁し,御台所となった。58年7月の家定の死に伴い落飾して天璋院と号し,以後大奥で重きをなし,14代家茂(いえもち)死去の際は田安亀之助の宗家相続をはかった。幕府倒壊後は宗家16代家達(いえさと)(亀之助)の養育に当たった。
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朝日日本歴史人物事典 「天璋院」の解説

天璋院

没年:明治16.11.12(1883)
生年:天保7.12.19(1837.1.25)
江戸幕府13代将軍徳川家定の御台所。薩摩藩支族今和泉領主島津忠剛の娘。鹿児島生まれ。薩摩藩主島津斉彬 の養女。さらに家定と婚姻するため,近衛忠煕の養女となった。通称は篤姫。諱は敬子。婚姻から2年足らずで家定が没し,落飾して天璋院と号した。14代将軍徳川家茂に降嫁した和宮(静寛院宮)との仲は芳しくなかったといわれるが,幕府崩壊に際しては,協力して徳川家救済に尽力。明治維新後は,徳川宗家を継いだ家達の養育に専心した。家定との婚姻は政略的なものであったが,生涯徳川家の人として生きた。<参考文献>本多辰次郎「天璋院夫人」(『歴史地理』14巻5号)

(久保貴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天璋院」の解説

天璋院 てんしょういん

1837*-1883 幕末-明治時代,徳川家定(いえさだ)の正室。
天保(てんぽう)7年12月19日生まれ。島津斉宣の孫。島津忠剛の娘。はじめ島津斉彬(なりあきら),ついで近衛忠煕(このえ-ただひろ)の養女となり,安政3年13代将軍家定と結婚。5年家定の病死後は出家した。明治16年11月12日死去。48歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。名は敬子(すみこ)。通称は篤姫。

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世界大百科事典(旧版)内の天璋院の言及

【将軍継嗣問題】より

…幕府をこれまでどおりに運営すればいいと考える譜代大名の多くが紀州派に集まった。大奥も水戸の斉昭に対する反感から紀州派に傾き,島津斉彬の手で家定の室として送りこまれた篤姫(天璋院)は,苦しい立場に置かれた。家定の継嗣問題は,日米修好通商条約の締結がからんだため,一段と激烈で複雑な政争となった。…

※「天璋院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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