如来院(読み)によらいいん

日本歴史地名大系 「如来院」の解説

如来院
によらいいん

[現在地名]大江町字仏性寺

二瀬ふたせ(宮川)千丈せんじようはら川の合流地点より下流西岸の、東面する山麓台地にある。山号鎌鞭山、高野山真言宗、本尊薬師如来。近世には仏性ぶつしよう寺と号し、字内宮ないくの皇大神社の宮寺であった。麻呂子親王の鬼賊征伐祈願の精舎と伝え、「宮津府志」は次のように由緒を記す。

<資料は省略されています>

同書に黄金仏とある本尊薬師如来は六一年目ごとに開扉され、この時本尊の台下の小厨子に蔵する小薬師仏の右手に紅・白・青の絹糸を結び、参詣者に引かせる。

如来院
によらいいん

[現在地名]尼崎市寺町

江戸時代のてら町の西部にある。浄土宗。珠光山遍照寺如来院と号し、本尊は釈迦如来。円光大師(法然)二十五霊場第四番札所で、寺蔵の古縁起によれば、もとは神崎かんざきに所在して釈迦堂と称したといい、建永二年(一二〇七)に法然が讃岐遠流の途中に神崎の五人の遊女を教化した遺跡と伝える。神崎川に身を投じた遊女たちの遺髪が蔵されているという。永正一七年(一五二〇)尼崎近辺に移されたと伝える。

如来院
によらいいん

[現在地名]松山市南久米町

日王ひおう山の山麓にあり、日尾ひお八幡宮に接しその西方に位置する。山号は八幡山、真言宗豊山派。本尊阿弥陀如来。創建については不明であるが、鷹子の浄土たかのこのじようど寺の支院であった。寺伝によると、天文一一年(一五四二)に快真が同院を中興してから寺運は隆盛に赴き、日尾八幡宮の別当寺となり、「八幡宮掟二十ケ条」を制定して実権を掌握していたようである(如来院所蔵文書)

慶長五年(一六〇〇)に、伊予郡正木まさき城主加藤嘉明が徳川家康(東軍)に応じて出征した留守に乗じ、河野氏の残党平岡・村上両氏は旧家再興を企て如来院に拠って抗戦した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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