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東京都千代田区にある日枝(ひえ)神社の祭礼。狭義にはとくにその神幸祭をいう。日枝神社は,文明年間(1469-87)に江戸城の地に勧請されたが,のち現在地に移ったものである。山王祭は,江戸時代には天下祭,御用祭とも別称され,神幸行列は江戸城内に練り込み,将軍の上覧に供したという。祭列には多数の山車(だし)が出,お囃子,踊り,練物,曳物などが加わって豪華な祭りであった。1681年(天和1)以後,神田明神の神田祭と隔年で行うことになった。山王祭は神田祭とともに江戸二大祭とされ,本祭も神田祭と隔年で,子寅辰午申戌の年に行われた。近年は交通事情も悪化し,2日にわたった神幸祭も例祭日の6月15日の前々日の1日となり,都心を一巡して神社へ帰る。
執筆者:宇野 正人
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東京都千代田区永田町に鎮座する日枝(ひえ)神社の祭礼をいう。近江(おうみ)(滋賀県大津市坂本)の日吉(ひよし)大社を勧請(かんじょう)した多くの神社は一般に日吉(ひえ)ないし日枝と称するが、中世から近世まで日吉山王社とか山王権現(ごんげん)とも称されたので、その祭礼も山王祭とよばれた。もと江戸城内紅葉山(もみじやま)に鎮座していたため、家康以来徳川将軍家代々の産土神(うぶすながみ)とされ、また江戸城下町西半部の総鎮守(ちんじゅ)でもあった。同じくその東半部の総鎮守、神田(かんだ)明神(現、神田神社)の神田祭とともに将軍上覧の栄誉を誇って御用祭、天下祭とも称した。祭日は6月15日で、3基の本社神輿(みこし)が茅場町(かやばちょう)の御旅所(おたびしょ)へ神幸する形式だが、もとこれに供奉(ぐぶ)して江戸末期には60基を超えた山車(だし)・練物(ねりもの)も、たび重なる震災・戦災でほぼ消失し、現在では多数の町神輿主体の祭礼に変化している。なお1615年(元和1)以来、本祭を神田祭と隔年交代で執行し、神幸を出さぬ年の祭りを陰祭(かげまつり)という。
[薗田 稔]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉(ひよし)大社で,4月14日を中心に行う祭り。山王祭ともいった。元来,中心の祭りを4月中申日に行うのが例であったので申(さる)祭の名でも呼ばれた。…
… 日吉社の祭りはもと山の神をむかえて豊作を祈るもので,4月12,13日(旧暦4月の中の午(うま)と未(ひつじ)の日)の祭りは古式をとどめ,また明治以前は4月8日の花まつりには比叡山の女人結界が開放され,結界内の花摘堂に花を供えに女性たちが参拝したと伝え,山の神をむかえる儀式が形を変えて残ったものとされる。4月14日(申(さる)の日)の大宮の祭りは山王七社の神事で,七社の神輿が湖上に出て唐崎の沖で〈粟津の御供〉をうける儀式で,10世紀末には山王祭の主要な祭祀となった。 神々は国家の手厚い保護をうけ,《延喜式》には名神大社に列し,大比叡神は正一位,小比叡神は従四位上の位階をうけ,二十二社にも加えられた。…
※「山王祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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