出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
三河国にあった中世以来の東海道の宿駅(現,愛知県豊川市)。鳳来寺への参詣道や,遠江国の今切渡,新居関所を避けて浜名湖北岸を迂回する姫街道の分岐点にも当たる交通の要地。江戸時代の宿駅規模は町並み9町余,家数300軒前後,人口1200人前後と小さいが,本陣4・旅籠屋62軒と宿泊施設は比較的完備していた。伝馬役負担者が少ないため常時人足,馬数が不足しており,解決策として近隣農村から農耕馬を雇用したり,定助郷に25ヵ村も指定している。このような背景があって,御油宿では近接の藤川,赤坂,二川宿とともに1857年(安政4)から,他の宿駅に先がけて車両の使用を開始している。住民は88年の東海道線の敷設に対して反対運動を起こして成功したが,かえって周辺の発展からとり残された。1959年豊川市に編入。西隣の赤坂宿とを結ぶ約6町の松並木は壮観で,天然記念物に指定されている。
執筆者:渡辺 和敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
愛知県豊川市(とよかわし)西部の地区。旧御油町。東海道五十三次の宿場で、姫(ひめ)街道を分岐する。本陣4、旅籠(はたご)62(1843)、隣の赤坂宿との間には松並木(国指定天然記念物)が保存され、町並みも宿場のおもかげを残す。明治維新後も郡(宝飯(ほい)郡)政の中心であったが、東海道本線が蒲郡(がまごおり)経由となってから急速に衰微した。その後、名古屋鉄道本線が開通し、名古屋、豊橋(とよはし)方面への通勤が便利となり、御油団地が造成されるなど、現在住宅化が進んでいる。
[伊藤郷平]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…近世には三河国内の天領を支配する赤坂代官所の所在地でもある。東隣の御油宿とは16町の至近距離にあり,1601年(慶長6)の伝馬朱印状には御油宿と併記して合宿になっているが,その直後に双方とも独自で人馬継立てを行う。小規模な宿駅であるが飯盛女を多く抱え,大田南畝も《改元紀行》(1801成立)のなかで〈遊女多し。…
※「御油」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加