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明治・大正の美術 めいじ・たいしょうのびじゅつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

明治・大正の美術
めいじ・たいしょうのびじゅつ

(1) 日本画 明治以降の日本画は,江戸時代以前の伝統的画法を学び,そこに西洋的な写実感覚を導入することによって,新しい時代に対応できる表現を生み出そうとした。東京では 20世紀初め岡倉天心が東洋的理想主義を基に新日本画運動を主唱し,横山大観,下村観山,菱田春草ら日本美術院の画家たちが主力となって,これを推進した。京都では円山四条派の流れをくむ幸野楳嶺,竹内栖鳳,菊池芳文らが,近代感覚による写実的要素を加えながら漸進的に革新運動を進めた。 1907年に開設された文部省美術展覧会 (文展) は,これら日本画各流派に総合的な共通の場を与えた。一方,横山大観らは 14年に消滅状態にあった日本美術院を再興し,再興院展は文展に並ぶ勢力として大正期以降の日本画の展開に重要な役割を果した。また 18年京都で土田麦僊 (ばくせん) らが国画創作協会を創立し,新しい日本画の創造を目指した。 (2) 洋画 明治新政府の積極的な欧化政策によって,西洋画の迫真的写実表現に関心がもたれ,その技法を本格的に修得しようとする機運が高まり,1870年代末までにジャンルとして成立した。明治前期の洋画家には3つの型があった。第1は個人的な画塾に学んだ者,第2は 76年に開設された工部美術学校に学んだ者,第3は直接ヨーロッパに留学して学んだ者である。これらの洋画家たちは 89年浅井忠,小山正太郎,山本芳翠,松岡寿らを中心に,日本最初の洋画美術団体である明治美術会を結成。 93年フランスから帰国した黒田清輝は明るい色彩の外光派をもたらし,96年久米桂一郎とともに白馬会を創立した。 19世紀末から 20世紀初めにかけて,明治美術会系の洋画と白馬会系の洋画に対立が起ったが,ついには白馬会系の外光派が主流となり,東京美術学校の教育方法や文展でも優位に立ち,藤島武二,岡田三郎助,和田英作らが活躍。大正に入ると印象派以後の新傾向が次々に紹介され,14年に創立された二科会を中心に,万鉄五郎,東郷青児らが後期印象派,フォービスム,キュビスムの影響を受けた作品を発表した。また 15年に岸田劉生,中川一政らは草土社を創立し,北欧ルネサンス風の細密描写による徹底した写実を試みた。 (3) 彫刻 近代彫刻は工部美術学校における V.ラグーザの指導によって始ったが,その後ヨーロッパに留学する者も多く,1900年渡欧した新海竹太郎は,帰国後ドイツ官学派の様式を導入した。またロダンの影響を受けた荻原守衛,高村光太郎らも,生命感のあふれる新鮮な表現を伝えた。

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