日本大百科全書(ニッポニカ) 「松山城(岡山県)」の意味・わかりやすい解説
松山城(岡山県)
まつやまじょう
鎌倉期~江戸期の城。岡山県高梁(たかはし)市内山下(うちさんげ)にあり、備中(びっちゅう)松山城といわれている。大松(おおまつ)山、天神(てんじん)、相畑(あいはた)、小松(こまつ)山、前山(まえやま)の五つの峰からなる臥牛山(がぎゅうざん)に築かれた山城(やまじろ)で、1240年(仁治1)この地の地頭(じとう)秋庭重信(あきばしげのぶ)が大松山に築城したのが初めという。戦国期には三村氏がこの城を根拠に発展した。江戸期の城は小松山山頂(標高420メートル)を本丸とし、山上に二の丸、三の丸を構え、山麓(さんろく)に御根古屋(おねごや)という藩主の居館・役所が置かれていた。水谷(みずのや)、安藤、石川、板倉氏とかわり幕末に至った。天守閣のほか本丸二層櫓(やぐら)、三の平櫓、土塀、石垣が現存する。
[小和田哲男]