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桑名[市] くわな

百科事典マイペディアの解説

桑名[市]【くわな】

三重県北部の市。1937年市制。揖斐(いび)川河口に位置する市街は室町時代から伊勢湾要港として発達,近世には城下町,また宮(熱田)との間は東海道の海上七里の渡しでその宿場町としても栄えた。
→関連項目七里渡

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世界大百科事典 第2版の解説

くわな【桑名[市]】

三重県北部の市。1937年桑名町と西桑名町が合体,市制。人口10万3044(1995)。市域は東の揖斐(いび)川,西の町屋川の間に広がり,伊勢湾に臨む。古くからの港町で,近世は城下町となり,また東海道が宮(熱田)~桑名間を海上七里渡によったので重要な宿場町でもあった。現在もJR関西本線,近鉄名古屋線が通り,近鉄養老線,北勢線を分岐,東名阪自動車道が走るなど交通の便がよい。近世以来の伝統をもつ揖斐川川砂を利用した鋳物業は全国有数の生産量を誇っている。

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世界大百科事典内の桑名[市]の言及

【伊勢商人】より

…江戸時代〈江戸に多きものは伊勢屋,稲荷に犬の糞〉といわれるほど伊勢出身の商人が多く,その商業活動が目覚ましかったが,それは中世における伊勢商人の台頭や活躍と無関係ではなかった。中世の伊勢には東国に多数分布する伊勢大神宮領から送進される年貢物の集散や陸揚げを行う大湊など港津が発達し,また畿内と東国を結節する地理的条件に恵まれたため桑名のような自治都市の成立もみられ,多くの廻船業者,問屋が輩出した。安濃津(あのつ)(現,津市)も大神宮領からの年貢物の取扱い,さらには海外貿易港として発展し,山田の三日市・八日市には多数の市座商人や土倉がたむろし,活躍していた。…

【米問屋】より

…酒田からの積出し米は,大坂や松前などに回送された。東海地方では,木曾川・長良川・揖斐川の河口に位置する桑名に大問屋10軒,小問屋15軒の米問屋があり,桑名藩の保護をうけ,美濃米・尾張米・伊勢米の取引を行った。桑名には近村の農民売米を買い受ける陸問屋もあった。…

【七里渡】より

…桑名渡,熱田渡,間遠渡ともいう。徳川家康が1601年(慶長6)に東海道を制定したとき,尾張国宮(熱田)宿と伊勢国桑名宿の間は海上を七里渡と決め,これを官道とした。…

【十楽】より

…同様の例として〈一楽名〉も見られるが,このように広く庶民の間で用いられるにつれて,十楽は楽に力点を置いて理解されるようになる。戦国時代,諸国の商人の自由な取引の場となった伊勢の桑名,松坂を〈十楽の津〉〈十楽〉の町といい,関,渡しにおける交通税を免除された商人の集まる市(いち)で,不入権を持ち,地子を免除され,債務や主従の縁の切れるアジールでもあった市を〈楽市〉〈楽市場〉といったように,〈十楽〉〈楽〉は中世における自由を,十分ではないにせよ表現する語となった。〈楽雑談〉〈楽書〉などはみなその意味であり,織田信長はこの動きをとりこみ,みずから安土(あづち)に楽市を設定している(楽市・楽座)。…

【益田荘】より

…伊勢国桑名郡(現,三重県桑名市)にあった荘園。1248年(宝治2)の荘官申状によれば,1013年(長和2)平致経が藤原頼通に寄進して立荘されたが,その後退転,74年(承保1)藤原清綱が藤原師実に改めて寄進,立荘されたという。…

※「桑名[市]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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