植木 枝盛(読み)ウエキ エモリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「植木 枝盛」の解説

植木 枝盛
ウエキ エモリ


肩書
衆院議員(自由倶楽部)

生年月日
安政4年1月20日(1857年)

出生地
土佐国高知城下井口村(高知県)

学歴
海南私塾

経歴
藩校致道館に学んだ後、明治6年上京、藩立の海南私塾に入学、福沢諭吉らの啓蒙思想に啓発された。7年板垣退助の立志社の所説に共鳴、政治を志す。10年立志社に参加、以後板垣のブレーンとして愛国社を再興、ついで国会期成同盟を組織。13年自由党準備会を結成、14年板垣を総理とする全国政党の自由党を結成、機関誌の編集・執筆と全国遊説に活躍した。15年酒税軽減を要求して酒屋会議を開いた。18年自由党解党、23年第1回総選挙に当選、第1回帝国議会予算委員となった。徹底した人民主権論者で、明治政府の専制的性格に反対、自由民権運動の指導に当たった。また西洋政治理論や各国の歴史に通じ、多くの著書、論文を残し、「民権自由論」「日本国国憲案」「天賦人権弁」「一局議院論」「東洋之婦女」などがある。ほかに近代詩史初期の詩作として「民権田舎歌」「民権自由数え歌」があり、民権思想普及を目的に平易に表現されている。「植木枝盛全集」(全10巻)がある。

没年月日
明治25年1月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典 「植木 枝盛」の解説

植木 枝盛 (うえき えもり)

生年月日:1857年1月20日
明治時代の自由民権思想家
1892年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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