横田千之助(読み)よこたせんのすけ

  • 1870―1925
  • 横田千之助 よこた-せんのすけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]明治3 (1870).8.22. 下野
[没]1925.2.4. 東京
明治・大正期の政治家。織物商の家に生まれる。家業没落後,星亨の門下生となり,苦学して 1893年東京法学院(→中央大学)を卒業,代言人となった。1912年に衆議院議員に当選し,以後当選 5回。立憲政友会に所属し,1917年に幹事長に就任。1918年原敬内閣の法制局長官となった。1921年ワシントン会議随員として渡米。1924年の第2次憲政擁護運動では政友会総裁高橋是清を強力に支持,政友会をこの運動に参加させ,同 1924年6月加藤高明護憲三派内閣司法大臣となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1870-1925 明治-大正時代の政治家。
明治3年8月22日生まれ。星亨(とおる)の書生から弁護士となり,明治45年衆議院議員(当選5回,政友会)。大正3年政友会幹事長,7年原内閣の法制局長官。高橋是清総裁を支持して政友会を第2次護憲運動に参加させ,第1次加藤高明(護憲三派)内閣の法相をつとめた。大正14年2月4日死去。56歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。東京法学院(現中央大)卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

没年:大正14.2.5(1925)
生年:明治3.8.22(1870.9.17)
明治大正期の政党政治家。下野(栃木県)足利の大庄屋の子に生まれたが家が零落,青雲の志を立て上京して苦学力行,星亨 の書生をしながら東京法学院(中央大学)を卒業,弁護士となる。弁護士業のかたわら蓄財し,明治45(1912)年立憲政友会より衆院選に出馬し当選,その金力と敏捷な活動,師星亨のような親分肌的魅力によって政友会関東派を拡大し,政界に広くその名を売った。大正7(1918)年原敬首相の抜擢で法制局長官に就任。第1次大戦(1914~18)後の変化を敏感に感じとり,明治期自由党の急進的姿勢とムッソリーニの台頭に象徴される欧州の政治的変化への対応を重ね合わせ,人権擁護や国内改革などを主張。政界でも13年に政友会を分裂させ第2次護憲運動を開始するなど,中心的存在となった。護憲3派内閣では司法大臣となるが,翌年死去。<参考文献>遠藤哲男編『怪傑横田の論策』上,石田秀人『快男児横田千之助』,荒木武行『横田千之助論』

(季武嘉也)

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世界大百科事典 第2版の解説

1870‐1925(明治3‐大正14)
大正期の政治家。栃木県に生まれ,東京法学院(現,中央大学)で苦学中,星亨に認められて書生となり,卒業後弁護士として星事務所で働く。1912年立憲政友会から代議士となり,以後5回当選。原敬に鋭利な才能を認められ,18年原内閣法制局長官。原首相暗殺後,後任の高橋是清総裁を助け政友会をリードし,第2次護憲運動に政友会を参加させる。24年加藤高明内閣の法相となり,在任中に死亡。【伊藤 之

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

明治・大正期の政治家。明治3年8月22日栃木県足利(あしかが)の商家に生まれる。家業の倒産で苦労し、東京法学院(現、中央大)在学中は星亨(ほしとおる)の書生となる。1892年(明治25)卒業後星の下で弁護士として活動、のち実業界でも活躍した。1909年(明治42)立憲政友会から衆議院議員に当選。原敬(はらたかし)の信任を得、1914年(大正3)同会幹事長となる。1918年原内閣の法制局長官に就任し、ついで高橋是清(これきよ)内閣に留任、この間、「因襲打破」を掲げ部落差別解消に尽力した。1924年清浦奎吾(きようらけいご)内閣成立に際し、高橋総裁を支持して政友会を第二次護憲運動に参加させ、護憲三派内閣の法相となったが、在職中の大正14年2月4日死去。

[阿部恒久]

『荒木武行著『横田千之助論』(1925・大観社)』『遠島哲男編『快傑横田の論策 上』(1927・人事通信社)』

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世界大百科事典内の横田千之助の言及

【政友本党】より

…立憲政友会(政友会)から分裂した政党。1921年11月原敬暗殺後,政友会内は,第1次大戦後の不況や普選運動の高揚に対応して財政緊縮や普選問題の解決を企図する高橋是清総裁,横田千之助ら改造派(のち非改革派)と,積極財政・普選反対等の従来の政友会路線を維持しようとする床次(とこなみ)竹二郎,中橋徳五郎ら非改造派(のち改革派)の対立が激化した。24年1月清浦奎吾(けいご)内閣の成立を契機に,前者は憲政会,革新俱楽部と結び普選等をスローガンに第2次護憲運動を起こし,後者は脱党して政友本党を組織し清浦内閣の与党となった。…

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