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蒲生君平 がもうくんぺい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蒲生君平
がもうくんぺい

[生]明和5(1768).下野,宇都宮
[没]文化10(1813).7.5.
江戸時代後期の勤王家。名は秀実,一名夷吾,君平はその字,別字は君蔵,通称は伊三郎。宇都宮の商家福田氏に生れる。幼いとき祖母より蒲生氏郷の血をひくことを知らされ,みずから氏を蒲生に改めた。 14歳のとき鹿沼の儒者鈴木石橋について学び,国史古典に親しむとともに,しばしば水戸に往来して,藤田幽谷と交わった。水戸学の影響のもとに大義名分を重んじ,尊王の志に厚く,寛政 11 (1799) 年山陵の実地調査におもむき,京都近郊のほか摂津,河内,和泉,大和を訪れた。帰途伊勢に本居宣長をたずね,北陸から佐渡に渡って順徳陵を拝した。享和1 (1801) 年『山陵志』 (2巻) を草する。これは幕末尊王論の先駆をなすものである。また時弊を論じた『今書』,文化4 (07) 年にロシア軍艦が北辺を侵犯するのを聞いて慷慨して著わした『不恤緯』といった憂国警世の書がある。高山彦九郎林子平と並んで寛政三奇人の一人。著作『職官志』『皇和表忠録』『女誡国字解』など。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

蒲生君平

1768(明和5)年、宇都宮で生まれた江戸時代の儒学、考古学者。林子平、高山彦九郎とともに「寛政の三奇人」と呼ばれた。全国の天皇陵や旧跡をめぐり「山陵志」を著した。著書の中で前方後円墳という用語を初めて使い、その名づけ親となる。1813(文化10)年、46歳で江戸で亡くなった。1912(大正元)年、蒲生君平先生九十九年祭執行の際、神社創建の話が起こり、県民をあげての賛同で26(大正15)年7月に蒲生神社本殿が完成した。

(2013-01-19 朝日新聞 朝刊 栃木全県 1地方)

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デジタル大辞泉の解説

がもう‐くんぺい〔がまふ‐〕【蒲生君平】

[1768~1813]江戸後期の尊王論者・儒学者。下野(しもつけ)の人。名は秀実。水戸学の影響を受ける。荒廃した歴代天皇陵を調査して「山陵志」を著述。また、「不恤緯(ふじゅつい)」で、海防の必要を説く。林子平高山彦九郎とともに、寛政の三奇人といわれる。

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百科事典マイペディアの解説

蒲生君平【がもうくんぺい】

江戸時代の尊王論者。下野(しもつけ)国の灯油商の出。林家門下朱子学を修め,さらに藤田幽谷から水戸学の影響を受けた。林子平高山彦九郎とともに寛政(かんせい)の三奇人にあげられる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蒲生君平 がもう-くんぺい

1768-1813 江戸時代後期の儒者。
明和5年生まれ。鈴木石橋にまなび,のち水戸学の影響をうける。北方の防備を説き,また歴代天皇陵を調査して「山陵志」をあらわした。寛政三奇人のひとり。文化10年7月5日死去。46歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。本姓は福田。名は秀実,夷吾。字(あざな)は別に君蔵。通称は伊三郎。号は修静庵。著作はほかに「今書(きんしょ)」「不恤緯(ふじゅつい)」。
【格言など】丈夫生まれて四方の志有り。千里剣書何れの処にか尋ねん(「述懐」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

蒲生君平

没年:文化10.7.5(1813.7.31)
生年:明和5(1768)
江戸後期の学者,尊王家。名は秀実または夷吾,字は君平,君蔵,通称伊三郎,修静庵と号す。下野宇都宮(栃木県)の灯油商福田又右衛門と妻貞の子に生まれる。少年時に祖先が蒲生氏郷の子孫であるとの家伝を知り,のち天明9(1789)年蒲生と改姓する。天明1年下野鹿沼の儒者鈴木石橋に入門,4年黒羽藩士鈴木杏軒に就く。5年水戸に往来し,立原翠軒,藤田幽谷と会い,幽谷とは終生にわたる親交を結ぶ。その後江戸に出て山本北山に入門。寛政2(1790)年高山彦九郎に私淑,彼のあとを追い陸奥国に赴き,石巻で面会し(安藤英男説),帰途仙台の林子平を訪ねた。4年『今書』を著し時弊を論じ,8年歴代天皇陵の荒廃を嘆いて調査のため京都に上り,途次伊勢松坂に本居宣長を訪ねる。12年再び入京し畿内諸国の山陵を踏査し,帰途再び宣長を訪ね,さらに北陸路を経て佐渡に渡り帰京。翌享和1(1801)年『山陵志』成稿。その序を宣長に送り批評を求めた。3年江戸に出,林述斎に学び,翌文化1(1804)年江戸に移り本石町に住む。4年『職官志』,翌5年『不恤緯』を著し国防について論じた。その思想は朱子学にもとづき,特に名分論に重点を置くものであるが,その尊王論は敬幕と一体のものであった。『山陵志』は幕末尊王論に多大の影響を与えた。高山彦九郎,林子平と共に,「寛政三奇人」と呼ばれた。病死。東京谷中臨江寺に葬られた。<著作>『蒲生君平全集』全1巻<参考文献>安藤英男『蒲生君平山陵志』

(沼田哲)

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世界大百科事典 第2版の解説

がもうくんぺい【蒲生君平】

1768‐1813(明和5‐文化10)
江戸後期の尊王論者。名は秀実,通称伊三郎,字は君平。下野宇都宮の商家の四男として生まれ,儒者鈴木石橋のもとに学び,のち藤田幽谷,林子平らと交わり,水戸学の影響を受けた。荒廃した歴代天皇陵を調査し,1808年(文化5)《山陵志》を著したが,これは幕末尊王論に大きな影響をあたえた。また,ロシア軍艦の北辺出現を契機として1807年に《不恤緯(ふじゆつい)》を著し,幕閣に危機意識と海防の必要性を訴えた。林子平,高山彦九郎とともに〈寛政の三奇人〉と呼ばれる。

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大辞林 第三版の解説

がもうくんぺい【蒲生君平】

1768~1813) 江戸後期の尊王論者。名は秀実。宇都宮の人。藤田幽谷と交わり、水戸学の影響を受けた。著書「山陵志」は幕末尊王論の先駆。林子平・高山彦九郎と並んで寛政の三奇人とされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蒲生君平
がもうくんぺい
(1768―1813)

江戸後期の学者。名は秀実(ひでざね)、通称は伊三郎、字(あざな)を君蔵または君平といい、修静庵(あん)と号した。下野(しもつけ)国(栃木県)宇都宮の灯油商福田又右衛門正栄の四男。蒲生氏郷(うじさと)の子孫であるという家伝に従い、のちに自ら福田を蒲生と改姓した。14歳のときから同国鹿沼(かぬま)の儒者鈴木石橋(すずきせっきょう)(1754―1815)の門に入り、国史や古典を学び、さらに水戸の藤田幽谷(ふじたゆうこく)と親交を結び、水戸学の影響を受けた。1790年(寛政2)、東北遊歴中の高山彦九郎を慕って石巻(いしのまき)まで行ったが会えず、帰路仙台の林子平(はやししへい)を訪ねて、北辺の防備などの国事を語り合った。1795年には、ロシアの南下に対する海防の薄さを憂えてふたたび東北地方を巡歴し、のち1807年(文化4)ロシア船による北辺侵犯事件が起きた際は、国防策を記した『不恤緯(ふじゅつい)』を幕府に上呈した。これより先の1796年、歴代天皇陵の荒廃を嘆いた彼は、『山陵志(さんりょうし)』の編纂(へんさん)を意図して上京し、のち近畿一帯の山陵を実地に踏査し、1801年(享和1)全2巻を脱稿した。翌1802年大学頭(だいがくのかみ)林述斎(じゅつさい)の門に入り、いっそう学問の道を深めた。
 晩年は江戸に居を移して著述に専念し、文化(ぶんか)10年7月5日に病没、江戸谷中(やなか)の臨江寺(りんこうじ)に葬られた。法名は修静院殿文山義章大居士。ほかの著作に時弊を論じた『今書(きんしょ)』(1792ころ)や、日本古来の官職の沿革を記した『職官志』(1811)などがある。とくに『山陵志』は幕末尊王論の先駆として有名。高山彦九郎、林子平とともに、寛政(かんせい)の三奇人とよばれる。[竹内 誠]
『三島吉太郎編『蒲生君平全集』全1巻(1911・東京出版社/増補校訂5版・1938・盛文社)』

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世界大百科事典内の蒲生君平の言及

【山陵志】より

…2巻。蒲生君平の著。1801年(享和1)に稿成り,1808年(文化5)山崎美成らにより刊行された。…

【前方後円墳】より

…古くより民間では,その形を身近な器物になぞらえ,車塚(くるまづか),銚子塚(ちようしづか),茶臼山(ちやうすやま),瓢簞山(ひようたんやま),瓢塚(ひさごづか),二子山(ふたごやま)などと呼びならわしてきた。江戸中期の国学者,蒲生君平も《山陵志》(1808)の中で宮車模倣説を唱え,円丘を車蓋に,方丘を轅(ながえ)に見たて,〈前方後円〉と形容したが,それがこの名称の起源となった。そこで便宜上,円丘部を〈後円部〉,方丘部を〈前方部〉,両者の接するところを〈くびれ部〉と呼ぶ。…

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