勝鬨橋(読み)カチドキバシ

デジタル大辞泉 「勝鬨橋」の意味・読み・例文・類語

かちどき‐ばし【勝鬨橋】

東京都中央区、隅田川の最下流に架かる橋。築地月島とを結ぶ。昭和15年(1940)完成。中央部が二つに跳ね上がる可動橋。現在は開閉をやめている。

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精選版 日本国語大辞典 「勝鬨橋」の意味・読み・例文・類語

かちどき‐ばし【勝鬨橋】

  1. 東京都中央区、隅田川河口の開閉橋。築地六丁目と勝どき一丁目を結び、大型船を通過させるために、中央部が七〇度まで開く。昭和一五年(一九四〇)完成。現在は開閉を行なっていない。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝鬨橋」の意味・わかりやすい解説

勝鬨橋
かちどきばし

隅田川にかかる下流から 2番目の。東京都中央区築地から月島へと晴海通りを結ぶ。1905年,日露戦争の旅順(→リュイシュン〈旅順〉陥落を記念して同地に「勝鬨の渡し」(→渡し)が設けられ,周辺の発展に伴って架橋が必要となり,1940年に勝鬨橋が完成した。上流に造船所や大型倉庫があり船舶通航があったため可動橋とされた。橋の両側径間はスパン各 86mの下路式タイドアーチ橋,中央径間はスパン 51.6mで「ハ」の字に開く双葉跳開橋であり,いずれも鋼構造。ギアを 125馬力の電動機 2台で駆動する開閉機構により,設置当初は 1日 5回,1回につき 20分程度跳開した。開く角度は最大 70°で,約 70秒で全開した。1947~68年は路面電車通行。陸上の交通量の激増に伴い,1970年以後は開かずの橋となったが,開閉機構はロックされたまま今日も中央の橋梁内部に残されている。築地側の橋のたもとにはかつての変電所を改装した「かちどき橋の資料館」が公開されており,橋梁設備の見学会も定期的に開催される。鋼構造部分の銀色石造高欄が調和したデザインで,1990年代から夜間ライトアップが行なわれている。2007年,都道府県道路橋として初めて,同じ隅田川の清洲橋永代橋とともに国の重要文化財指定された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝鬨橋」の意味・わかりやすい解説

勝鬨橋
かちどきばし

東京都中央区、隅田川(すみだがわ)の最下流に架けられている橋。築地(つきじ)と月島とを結ぶ。日中戦争勃発時に工事が始められたので、戦勝を期して勝鬨とつけられた。シカゴにある跳ね橋をモデルにしたもの。中央部が開閉することから固定軸双葉跳開橋とよばれる。長さ246メートル、跳開部分幅員26.6メートル、中央部の可動径間44メートルの部分が、約70秒で上方70度まで跳ね上がり、3000トン級の船舶が通過できる仕組みになっている。1940年(昭和15)の架橋。当時は隅田川河岸に停泊する船が多かったためにつくられたが、第二次世界大戦後、東京湾岸の埋立地に岸壁、埠頭(ふとう)が建設され、河港から海港へと東京港の性格が変わったため、現在は開閉されていない。国指定重要文化財。築地側に「かちどき 橋の資料館」がある。

[沢田 清]


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百科事典マイペディア 「勝鬨橋」の意味・わかりやすい解説

勝鬨橋【かちどきばし】

東京,隅田川河口の双葉跳開橋。日比谷方面と月島を結ぶ晴海通りにあり,1940年完成。全長246m,幅25m。跳開部軸間51mで70秒間に70°まで開く。開くと3000トン級の大型船が航行できるが,1960年代から舟航がなくなったので1970年以降跳開を停止。
→関連項目中央[区]跳開橋

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事典 日本の地域遺産 「勝鬨橋」の解説

勝鬨橋

(東京都中央区)
近代化産業遺産」指定の地域遺産。
国指定重要文化財

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事典・日本の観光資源 「勝鬨橋」の解説

勝鬨橋

(東京都中央区)
東京湾100選」指定の観光名所。

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