コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

勝鬨橋 カチドキバシ

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

勝鬨橋

月島地区の交通不便解消と晴海豊洲の開発のため、7年をかけて1940(昭和15)年に開通した隅田川にかかる国内最大級の可動橋。長さ246メートル。中央部の約50メートルが、川を行き来する船舶のため真ん中からハの字に開いた。橋の交通量増加などのため、開閉は70(昭和45)年11月29日を最後に中止。07年、清洲橋永代橋とともに国の重要文化財に指定された。

(2013-02-06 朝日新聞 朝刊 東京西部 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について | 情報

百科事典マイペディアの解説

勝鬨橋【かちどきばし】

東京,隅田川河口の双葉跳開橋。日比谷方面と月島を結ぶ晴海通りにあり,1940年完成。全長246m,幅25m。跳開部軸間51mで70秒間に70°まで開く。開くと3000トン級の大型船が航行できるが,1960年代から舟航がなくなったので1970年以降跳開を停止。
→関連項目中央[区]跳開橋

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

大辞林 第三版の解説

かちどきばし【勝鬨橋】

東京都中央区、隅田川下流に架かる可動橋。1940年(昭和15)完成。大型船の通過時開閉したが、現在は開かない。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勝鬨橋
かちどきばし

隅田川にかかる下流から 2番目の。東京都中央区築地から月島へと晴海通りを結ぶ。1905年,日露戦争旅順(→リュイシュン〈旅順〉)陥落を記念して同地に「勝鬨の渡し」(→渡し)が設けられ,周辺の発展に伴って架橋が必要となり,1940年に勝鬨橋が完成した。上流に造船所や大型倉庫があり船舶の通航があったため可動橋とされた。橋の両側径間はスパン各 86mの下路式タイドアーチ橋,中央径間はスパン 51.6mで「ハ」の字に開く双葉跳開橋であり,いずれも鋼構造。ギアを 125馬力の電動機 2台で駆動する開閉機構により,設置当初は 1日 5回,1回につき 20分程度跳開した。開く角度は最大 70°で,約 70秒で全開した。1947~68年は路面電車が通行。陸上の交通量の激増に伴い,1970年以後は開かずの橋となったが,開閉機構はロックされたまま今日も中央の橋梁内部に残されている。築地側の橋のたもとにはかつての変電所を改装した「かちどき橋の資料館」が公開されており,橋梁設備の見学会も定期的に開催される。鋼構造部分の銀色と石造の高欄が調和したデザインで,1990年代から夜間のライトアップが行なわれている。2007年,都道府県の道路橋として初めて,同じ隅田川の清洲橋永代橋とともに国の重要文化財に指定された。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勝鬨橋
かちどきばし

東京都中央区、隅田(すみだ)川の最下流に架けられている橋。築地(つきじ)と月島とを結ぶ。日中戦争勃発時に工事が始められたので、戦勝を期して勝鬨とつけられた。シカゴにある跳ね橋をモデルにしたもの。中央部が開閉することから固定軸双葉跳開橋とよばれる。長さ246メートル、跳開部分幅員26.6メートル、中央部の可動径間44メートルの部分が、約70秒で上方70度まで跳ね上がり、3000トン級の船舶が通過できる仕組みになっている。1940年(昭和15)の架橋。当時は隅田川河岸に停泊する船が多かったためにつくられたが、第二次世界大戦後、東京湾岸の埋立地に岸壁、埠頭(ふとう)が建設され、河港から海港へと東京港の性格が変わったため、現在は開閉されていない。国指定重要文化財。築地側に「かちどき 橋の資料館」がある。[沢田 清]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

勝鬨橋の関連キーワードかちどき 橋の資料館東京都中央区勝どき東京都中央区築地東京都中央区中央(区)

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

勝鬨橋の関連情報