社会政策学会 (しゃかいせいさくがっかい)
(1)1872年ドイツ新歴史学派のG.シュモラーを中心として結成された学会Vereinfür Sozialpolitik。1871年の普仏戦争の勝利とパリ・コミューンの事件は,ドイツ資本主義の発展を促すとともに既成勢力に大きな衝撃となり,労働者階級に対する恐怖感を与えた。こうした状況のなかで翌年10月,シュモラーは予想される社会問題の激化にいかに対処すべきかを討議するための会議をアイゼナハで開催し,会議は翌73年から名称を社会政策学会として正式に発足した。学会には,R.グナイスト,K.G.A.クニース,L.ブレンターノ,A.H.G.ワーグナーら歴史学派の教授とともに,官僚,政治家,ジャーナリストらの実践家も参加した。シュモラーは開会演説で,社会主義に反対しつつ,同時に資本主義の弊害是正の必要性を力説し,学会の主導的理念は国家の政策を重視する社会改良主義の立場であった。ために自由主義者から〈講壇社会主義者〉と皮肉られ,のちになると学会内部からもマックス・ウェーバーらの批判(いわゆる〈価値判断論争〉)を招くこととなった。学会は,工場法をはじめ,中小企業,農業,関税,交通など当時の重要な社会・経済問題のすべての分野にわたって政策的論議や提案を行い,社会政策の実施にかなりの影響を与えるとともに,実証的な研究を促進した。ヒトラー時代に解散を余儀なくされたが,第2次大戦後の1948年に再建され,正式名称を〈経済・社会科学学会Gesellschaft für Wirtschafts-und Sozialwissenschaften〉とし,伝統ある社会政策学会の名も併せ掲げて今日に至っている。
執筆者:徳永 重良(2)第2次大戦前の日本における経済学,社会政策学の唯一の総合的な学会。1896年4月,ドイツ留学を終えた新進経済学者の桑田熊蔵,山崎覚次郎らによってもたれた社会問題の研究会に始まる。前記のドイツの社会政策学会をモデルとして設立された。金井延,田島錦治,小野塚喜平次,高野岩三郎,高野房太郎,佐久間貞一ら十数人が会員となり,主として工場法の調査研究をした。翌年4月24日,この会を社会政策学会と命名,学会として活動を開始した。98年10月,はじめて工場法に関する講演会を開き,積極的に世論を喚起して同法の実現を促進した。このころから学者,実業家,官吏などの入会が増え,労働局設置問題,足尾鉱毒事件調査などにも活発に取り組んだ。1900年《社会政策学会趣意書》で,自由放任主義と社会主義に反対して〈私有的経済組織を維持し,其の範囲に於て個人の活動と国家の権力に依て階級の軋轢を防ぎ,社会の調和を期す〉という改良主義的立場を明らかにした。さらに翌年7月,社会政策と社会主義との差異を論じた《弁明書》を発表,社会主義に反対したが,学会の主流は労働組合による労働者の自主的な地位改善運動の必要は認めていた。07年12月第1回大会を開催,工場法を討議した。以後毎年大会をもったが,第1次大戦後,社会主義思想の台頭とともに会内部での思想対立が生まれ,24年の第18回大会後,自然消滅した。50年,戦前の学会の財政と名称を引き継いで,東京大学の大河内一男,京都大学の岸本英太郎らを中心として新しい社会政策学会が結成されたが,これは戦前とは性格を異にし,社会政策,労働問題,社会保障などの専門分野の学会である。
執筆者:梅田 俊英
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百科事典マイペディア
「社会政策学会」の意味・わかりやすい解説
社会政策学会【しゃかいせいさくがっかい】
1872年に設立されたドイツの新歴史学派の人びとによる学会。ドイツ資本主義の発展と,労働者階級の台頭に接して,さまざまな社会問題に対する政策を検議した。しかし国策に沿った社会改良主義を主張したために,自由主義者から〈講壇社会主義〉と皮肉られた。シュモラー,ロートベルトゥス,ブレンターノ,A.ワーグナーらが代表的人物。第2次大戦後は〈経済・社会科学学会〉として再出発した。なお,ドイツの社会政策学会をモデルに日本でも1897年同名の学会が設立された。代表的人物には金井延,小野塚喜平次,高野岩三郎などがいた。
→関連項目ヒルデブラント
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社会政策学会(日本)
しゃかいせいさくがっかい
明治・大正時代の学会。1896年(明治29)4月26日、桑田熊蔵(くまぞう)、山崎覚次郎(かくじろう)の発議に高野岩三郎(いわさぶろう)らが参加して社会政策の研究団体を設立、翌年4月24日社会政策学会と命名。毎月1回の例会で社会問題を討議した。経済学者を中心としたが理論研究にとどまらず、足尾鉱毒事件調査など実際問題や政策の提言にも熱意を示す総合的な学会であった。1907年(明治40)12月に工場法を論題としたことを皮切りに公開の活動を開始、記録を『社会政策学会論叢(ろんそう)』として刊行するなど啓蒙(けいもう)的役割も担った。労働問題の解決に力を注ぎ、22年(大正11)282名の会員を数える。ドイツの同学会に範をとり社会主義と一線を画し、社会改良主義の立場を貫いたが、24年12月の第18回大会を最後に休眠状態に入った。
[成田龍一]
『住谷悦治著『日本経済学史』(1958・ミネルヴァ書房)』▽『『社会政策学会史料集成 別巻1 社会政策学会史料』(1978・御茶の水書房)』
社会政策学会(ドイツ)
しゃかいせいさくがっかい
Verein für Sozialpolitik ドイツ語
1873年ドイツで、社会問題や社会政策に関し研究・提案を行うため設立された学会。19世紀後半、資本主義経済の目覚ましい発展につれて、労働者の貧困や労働争議など社会問題が深刻になり始めた。G・シュモラー、L・ブレンターノ、A・ワーグナーら歴史学派経済学者は本学会を創設、以来、工場法や中小企業、農業、税制、交通など当時の重要な経済・社会問題について実証的な調査研究を進める一方、社会政策についても具体的提案を行い、学界、官界、ジャーナリズムに多大の影響を及ぼした。学会の内部には保守派、自由派の諸潮流があったが、その基本理念は、社会主義に反対しつつも、資本主義の欠陥を認め、国家の政策を通じて階級対立の緩和を図る社会改良主義であった。第一次世界大戦後、学会はしだいに存在意義を失い、ナチス政権の成立後、解散に追い込まれた。大戦後1948年に再建され、今日では「経済・社会科学学会」Gesellschaft für Wirtschafts- und Sozialwissenschaftenとし、そのあとに「社会政策学会」と追記している。
[木谷 勤]
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社会政策学会
しゃかいせいさくがっかい
Verein für Sozialpolitik
ドイツの新歴史学派の経済学者により結成された協会 (1872~1936) 。 A.ワーグナー,G.シュモラー,L.ブレンターノらが代表者。その思想は,一方で自由放任主義に反対し,他方でマルクス的な社会主義を攻撃するもので,現行国家の力をかり,社会政策を通じて資本主義の矛盾を修正し,社会問題を解決しようとするもの。そのため反対陣営から講壇社会主義と呼ばれた。ビスマルクの社会政策や,のちの国家社会主義の思想にも大きな影響を与えた。機関誌『社会政策学会誌』は経済理論・政策の実証的研究に大きな役割を果した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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社会政策学会
しゃかいせいさくがっかい
ドイツ社会政策学会をモデルとして設立された政策提言的指向の強い学会。1896年(明治29)金井延(のぶる)・桑田熊蔵・高野岩三郎らを中心に結成。1907年から公開全国大会を開催。労働問題だけでなく,小農・中小企業・関税など当時の日本経済の直面する問題をとりあげ,社会的影響力は大きかった。国家主義的な右派と自由主義的な左派から構成され,しばしば激しい論争がなされた。第1次大戦後,マルクス主義の影響が増大するなかでしだいに影響力を失い,24年(大正13)第18回大会を最後に自然消滅した。
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社会政策学会
しゃかいせいさくがっかい
Verein für Sozialpolitik
1873年に創設されたドイツの社会問題や社会政策研究のための学会
ワグナー・ブレンターノ・シュモラーら新歴史学派の経済学者が中心となって結成し,自由放任の資本主義の矛盾の修正,労働者保護などの社会改良を主張した。その姿勢は,社会主義に反対しつつ,資本主義の問題点を認め,国家の政策を通じて階級対立の緩和をはかろうとするものであった。ビスマルクの社会政策の理論的裏づけとなったが,ヒトラーにより解体された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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社会政策学会(しゃかいせいさくがっかい)
Verein für Sozialpolitik
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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社会政策学会
しゃかいせいさくがっかい
1896年創設された社会政策研究団体(〜1924)
ドイツの「社会政策学会」を範とし,東大教授金井延 (のぶる) ・高野岩三郎らが設立。労使協調の立場をとり,工場法の成立に寄与した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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社会政策学会
日本の学術研究団体のひとつ。欧文名は「Japan Association for Social Policy Studies」、略称は「JASPS」。社会政策研究の発展を目的とする。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の社会政策学会の言及
【社会政策】より
…社会政策という言葉がどのような領域の政策を指しているかということに即していえば,さしあたり,労働組合立法など労使関係にかかわる政策を基軸とし,工場法をはじめとする労働者の労働条件にかかわる政策,さらには救貧立法から社会保障制度にいたる国民の生活保障にかかわる政策などを包含するものといってよい。
[社会政策の諸理論]
もともと社会政策という言葉は1872年ドイツで創立された[社会政策学会]に結集した新歴史学派(〈[歴史学派]〉の項参照)の経済学者,[A.H.G.ワーグナー],[G.シュモラー],[L.ブレンターノ]などによって喧伝(けんでん)されるようになったもので,そこでは,ドイツの急速な資本主義化にともなう階級対立の深刻化と社会主義運動の勃興による社会革命への危惧にもとづいて,階級利害を超越した国家が経済に介入し分配的正義を実現しなければならないと主張された。つまり,新歴史学派による社会政策の勧めは,現存の資本主義体制を容認しつつ,自由主義に反対し社会主義にも反対するという社会改良の主張にほかならなかった。…
【シュモラー】より
…最初生地の官吏となるが関税政策を批判して罷免され,1864年ハレ大学の経済学教授になり,シュトラスブルク大学を経て,82年ベルリン大学教授となって1913年まで在職。プロシア政府に重んじられて大学内外で行政上の要職につく一方,1872年[社会政策学会]を設立・主導し,また《シュモラー年報》(ただし,この名称は後年つけられたもの。1871創刊)ほか数種の定期刊行物を編集してドイツ社会科学界に重きをなした。…
【ブレンターノ】より
…処女作《現代の労働組合》2巻(1871‐72)は,エンゲルとのイギリス旅行で収集した資料をもとに著されたものである。[社会政策学会]の創立(1872)に参画し,G.vonシュモラーやA.H.G.ワーグナーらとともにその主要メンバーとなるが,彼らのなかでは左派に位置し,いわば下からの社会改良を目ざしたところに彼の特徴がある。労働者の団結の自由を主張し,弱い立場にある労働者が組合をつくって一つの力となったときに初めて,ほんとうの意味での自由競争が出現すると考えた。…
【歴史学派】より
…アメリカではイリーR.T.Ely(1854‐1943)が,イタリアではコッサL.Cossa(1831‐96)がその中心となって導入の労をとった。ちなみにイリーの尽力で1885年創設されたアメリカ経済学会はドイツの[社会政策学会]を範としたものである。日本では97年に社会政策学会が設立されるに及んで歴史学派は急速に普及し,明治・大正時代を通じて歴史学派は経済学の主流となった。…
※「社会政策学会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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