一般に,美術品の収集,陳列をおこなう博物館をいう。美術館と博物館とは本来区別さるべき二つの概念であるが,しかし慣用的には両者は区別なく用いられることも多く,また実際,収集,陳列すべき対象の相違を別にすれば,施設,機関としての性格はほとんど変わらない。美術館という呼称はmuseum of fine arts,musée des beaux-arts(フランス語),Kunstmuseum(ドイツ語)等に対応しているが,狭義の美術品(絵画,彫刻,工芸等)のほか,考古学的な遺物や武具,服飾品等も収蔵,展示しているルーブル美術館やウィーン美術史美術館などは,厳密には〈美術博物館〉ともいうべき性格をそなえている。これに対し,絵画のみを集めた美術館(絵画館)については,ギリシア語起源のピナコテカpinacoteca(イタリア語),ピナコテークPinakothek(ドイツ語)という呼称が使われることもある。なかでもバチカン美術館の中のピナコテカやミュンヘンのアルテ・ピナコテークはよく知られている。他方,彫刻を中心に収集,展示している場合(彫刻館)は,とくにドイツでグリュプトテークGlyptothekと呼ばれることがある。また元来は歩廊,通路,バルコニーなどを指すギャラリーは,ロンドンやワシントンのナショナル・ギャラリーに見られるように,絵画館に近い意味で使われることが多いが,ウフィツィ美術館Galleria degli Uffiziなどの例のように,より広い意味で使われることも少なくない。いずれにしても現代のように美術そのものの概念が著しく多様化し,拡大し,変化してゆく時代にあっては,美術館の定義もまた流動的ならざるをえない。
ヨーロッパ諸語で〈博物館〉〈美術館〉に当たるmuseum,musée等の語は,諸学芸を司る9人の女神ムーサイMousaiに捧げられた聖域,ムセイオンmouseionに由来するが,ただムーサイには詩や音楽,舞踊の女神はいても美術の女神は見当たらない。また,プトレマイオス1世がアレクサンドリア(エジプト)に建てたムセイオンは,今日の博物館,美術館の元祖の一つとされるが,諸学の研究所的な性格が強かった。古代ギリシアでは戦利品を集めて陳列したり,大きな事件(とくに戦争)の模様などを壁画にして民衆に見せることが行われ,これが今日の美術館の原型の一つともいえる。
美術館の歴史はコレクションの歴史と深くかかわっている。古代ローマではギリシアの美術品の収集が盛んに行われた。むろんこれは,皇帝,政治家など一部の富裕階層のみに可能なことで,コレクションそのものも彼らの美的趣味の反映というより,ステータス・シンボルとしての性格が強かったが,しかし一方では,今日でいうパトロンが登場してきたことは注目される。とくに前1世紀の貴族G.マエケナスは,今日でも芸術のパトロンの代名詞として使われるほど知られている。
中世ヨーロッパでは,キリスト教にとっては異教的世界であるギリシア,ローマの美術品のコレクションはほとんど行われず,ときには破壊された古代のモニュメントもあった。ただ教会や修道院にはしばしば,〈宝物庫〉と称する一種の美術コレクションがあり,その中には今日までひきつがれて教会付属の美術館として公開されているものもある。
中世末期からルネサンスにかけては,人文主義的な理想主義の高まりや古代の学芸の復興,また美術品を一種の奢侈(しやし)品として見るキリスト教的な視点からの解放などがあり,フィレンツェのメディチ家,ユリウス2世その他の歴代教皇,フランス王フランソア1世などの大コレクター兼パトロンが出現した。彼らのコレクションは,それぞれ今日のウフィツィ美術館,バチカン美術館,ルーブル美術館の基礎をなしたものとして,歴史的意義も大きい。その他,スペイン王フェリペ2世,プラハに宮廷をおいた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世なども巨大な富と権力を背景に注目すべきコレクションを築き,その中からそれぞれ今日のプラド美術館,ウィーン美術史美術館に入った作品も少なくない。
17世紀バロック時代にとくにドイツの諸侯がつくったいわゆる〈クンストカンマーKunstkammer〉や〈ブンダーカンマーWunderkammer〉は,〈宝物殿〉あるいは〈珍品室〉とも訳すべきもので,狭義の美術品だけでなく,珍しい貝殻,サンゴ,宝石,科学器械などを集めたものであったが,これもまた今日の美術館,博物館の原型の一つと見ることができる。これらいわば趣味的なコレクションに対し,フランスのルイ13世および14世,イギリスのチャールズ1世,教皇ウルバヌス8世などは,国家(またはローマ・カトリック)の威光を高めるために美術品を集め,また同時代の芸術家に制作を依頼している。これらが基礎となってできたルーブル美術館をはじめ,今日一国を代表するような大美術館は,その国(あるいは王朝,君主)のかつての威光の象徴であり,証しでもある。1833年ルイ・フィリップによって設立されたベルサイユ宮殿の歴史美術館Musée historiqueは,そこにかかげられた〈フランスのすべての栄光のために〉というモットーが示すように,きわめて政治的,国民主義的性格の強いものであり,ここでいう〈フランスの栄光〉はまた〈ブルボン家の栄光〉でもあることはいうまでもない。
王侯貴族によるこうしたコレクションはやがて整理,分類され,そのカタログも編まれ,また然るべき方法で展示が行われて近代的な美術館として生まれ変わってゆく。一部の特権階級ではなく,広く一般民衆に開放された美術館の理念は,18世紀の啓蒙主義思想ともかかわっており,それはやがて1793年,革命政府下におけるルーブル美術館の開館として実を結ぶ。その際,それまでのコレクションに加え,革命政府による教会の世俗化政策によって多くの宗教美術品が国有化され,美術館のコレクションはいっそう厚みを増した。また単に時代的な前後関係だけを見れば,ルーブル美術館以前にもオックスフォードのアシュモリアン博物(美術)館やバーゼル美術館など,これに先んじるものもあった。しかしルーブルの場合,その規模,内容,ルイ14世以来のフランスの栄光,民衆教化を説く啓蒙主義思想の高まりなどもあって,その影響は大きく,この方面におけるナポレオン1世の積極策もあって,19世紀に入ると各国に本格的な美術館が続々と設立された。これら19世紀の美術館は,〈信仰の殿堂〉としてのそれまでの教会にとって代わる〈美の殿堂〉としての理念を強く打ち出しており,そうした傾向は,ウィーン美術史美術館などの壮麗な美術館建築そのものにも現れている。また当時の歴史主義的な風土が,過去の美的遺産の集大成としての美術館の設立を促した点も見のがせない。19世紀はまた,近代的な科学技術とその成果を示威する場としての万国博覧会や植民地主義の時代でもあったが,それによって従来軽視されていた装飾(応用)美術やヨーロッパ圏外の文物に対する関心と評価が高まり,やがてそれは独立の装飾美術館(パリ装飾美術館など),東洋美術館,民族学博物館などの設立へとつながっていった。
20世紀の美術館は,おおむね19世紀のそれの延長線上にあるといえるが,近代美術館や地方美術館,特定の芸術家の個人美術館が各地に設立されるなど,美術館の専門化,細分化が見られる。一方コレクションの方針,内容について見ると,かつての国民主義的な色彩は弱まり,〈世界美術〉的な理念のもとに国境や民族にとらわれない傾向が強くなっている。
アメリカの美術館は,国そのものがヨーロッパに比べ若いため,概して歴史は浅く,20世紀以前にできたおもな美術館としてはニューヨークのメトロポリタン美術館やボストン美術館など数えるほどしかない。アメリカの美術館の一般的な特色は,ヨーロッパの大美術館がおおむね王侯貴族や政府主導型の,いわば〈上からの〉美術館なのに対し,主として民間の篤志家の寄付,寄贈によって設立,運営される〈下からの〉民主主義的性格をもっていることで,日本やフランスにおけるような国立の美術館はほとんどない。ワシントン・ナショナル・ギャラリーにしても民間人の設立であり,〈ナショナル〉とは〈国立〉ではなく〈国民の〉を意味している。強大な経済力を背景として,大半はわずか数十年の間に築かれたアメリカの美術コレクションは,コレクターの個人的な趣味の反映であると同時に,一国一時代に偏しない広い視野に立って収集されたものが多い。その結果,たとえばボストン,クリーブランド,ワシントン(フリーア美術館Freer Gallery of Art)などに見られるように,日本,中国等を除けば,世界でも屈指の東洋美術のコレクションが形成されることになった。また,カリフォルニア州マリブMalibuのポール・ゲッティ美術館J.Paul Getty Museum,ワシントンのフィリップス・コレクションPhilips Collection等,富豪が築いた個人の大美術館,大コレクションの多いこと,美術館を広い意味での教育あるいは人間形成の場にしようとの理念から,ハーバード大学におけるフォッグ美術館Fogg Art Museumのように,大学付属の美術館が充実していることもアメリカの特色といえよう。
日本における美術館の原型の一つと考えられるのは,ヨーロッパの場合と同じく寺社の独自の収蔵品あるいはこれらを安置した宝物殿である。正倉院はその代表的なものであり,古代の遺物の宝庫として江戸中期以降その学術的,美術工芸的価値が認められたが,多くの寺社は非公開であった。しかし,庶民の信仰を集めた有名な寺では,年々何回かの開帳や他の場所へ本尊などを運んで人々に拝観させる出開帳も行われた。また神社に奉納された絵馬や武者絵などを掲げた近世以降の絵馬堂も多くの参詣者の目を楽しませた。しかし,寺社の宝物殿や絵馬堂を美術館の直接の前身と見るのは難しい。一方室町から江戸時代にかけては,有力な公家や武家,あるいは将軍家による唐物などの収集が盛んになり,その中には質的,量的に充実したものがあった。室町時代の将軍家の室町殿や北山殿では座敷(会所)に多数の珍宝飾具足を飾り,人目をひいた。しかし,公共的により広く公開するという発想は生まれなかった。
近代的な意味での美術館が日本で誕生するのは明治以降である。その背景には西欧の文化,教育制度を摂取しようとする明治維新の盛んな精神があったことは言うまでもない。こうして最初に生まれたのが1882年設立の現在の東京国立博物館で,その後奈良,京都にも国立博物館が設置されるが,ただそのコレクションはもっぱら日本,東洋の美術品に限られていた。維新における欧化の波は美術界にも及び,多くの芸術家が渡欧してヨーロッパの新旧の美術を学び,〈洋画〉という新しいジャンルも確立されたが,西洋の美術品を系統的に収集しようとする努力はほとんどなされなかった。それだけに1930年に大原孫三郎によって創設された大原美術館は,単なる骨董趣味ではなく,より広い社会的,教育的理念から生まれた日本最初の西洋美術館として注目される。国立としては日本最初の(また目下唯一の)西洋美術館(国立西洋美術館)が東京に誕生したのは,その約30年後の1959年のことであり,しかもそのきっかけは,フランス政府に没収されていた民間のコレクション(松方コレクション)が戦後返還されたことであった。
第2次大戦後は,近代美術を収集する国立の美術館が東京,京都に開設された(東京国立近代美術館,京都国立近代美術館)。またブリヂストン,山種,根津,大和文華館など実業家のコレクションをもとにした民間のすぐれた美術館も生まれている。またここ数年来,いわゆる〈地方の時代〉〈文化の時代〉を反映して県立,区立などの美術館も続々と誕生し,さらには,各地のデパートが展覧会場として名のりをあげるなど,美術館の存在意義はかつてないほどに高まっているが,それだけにまたさまざまな問題,課題をかかえているともいえる。これら新設の美術館の課題とは,りっぱな建物と中味(コレクション)のギャップをどう埋めてゆくか,研究機関としての美術館活動の充実,学校や図書館とは異なる社会教育機関としての開かれた美術館をいかにつくりあげるか,また国内,国外の美術館との協力,連携の問題などである。しかし,見方をかえれば,こうした問題が当事者のみでなく,広く社会的にも意識され,論議され始めたこと自体,日本にもようやく本格的な〈美術館の時代〉が到来したことの証しともいえよう。
→コレクション →博物館
執筆者:千足 伸行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
学術的、専門的な調査研究に基づき、美術品を収集保管し、必要に応じて展示を行う機関、およびその施設の建物。主として、日本では学芸員とよばれる専門職員が業務を担当する。専門職員は、アメリカではキューレーターcurator、イギリスではキーパーkeeper、フランスではコンセルバトゥールconservateurなどと、各国によって呼称・業務の内容につき差異がある。
美術館には、絵画、彫刻、工芸のほか、考古学的遺物や武具、服飾品などを含む美術博物館ともいうべき性格のものと、絵画のみを扱う絵画館(ドイツ語でピナコテークPinakothek)、彫刻専門の美術館(グリュプトテークGlyptothek)がある。またロンドンやワシントンのナショナル・ギャラリーのように、元来は歩廊や通路をさすギャラリーgalleryが絵画館に近い意味で使われることもある。
[友部 直]
博物館・美術館をさすミュージアムmuseumの語源はギリシア神話の詩や音楽をつかさどる女神ミューズの神殿ムセイオンmuseionに由来する。紀元前300年ごろ、エジプトを継承したプトレマイオス1世はアレクサンドリアの宮殿内に絵画や彫像を陳列し、ムーセイオンと名づけた。紀元後2世紀にはアテネのアクロポリスに近いピナコテーカとよばれるホールで多くの絵画を展示・公開したが、これが今日的な意味での最初の美術館とされている。
ルネサンス運動の中心となったフィレンツェでは、メディチ家の後援のもとに莫大(ばくだい)な美術品の収集が行われ、コジモ・デ・メディチはこれらの美術品展示のために、採光や遠近法のバランスを考慮したギャラリーをウフィツィ宮に設計したが、これは美術館建築を明確に意図した最初の設計といえる。しかし美術館の建物の多くは、宮殿、教会堂、貴族の邸宅などがそのまま転用されて展示施設として使われ、西洋建築史のなかで美術館が個別の施設として独自の展開をするのは18世紀後半以降である。
1753年にスローン卿(きょう)の莫大なコレクションをもとにイギリスの大英博物館が発足したのをはじめ、ヨーロッパの各王室のコレクションの一部が公開されるようになった。そしてフランス革命によって実現したルーブル美術館は世界最初の公立美術館となった。
19世紀は探検や古代遺跡の発掘が盛んに行われた時代で、古代文明の秘宝がほとんど略奪に近い形で次々とヨーロッパにもたらされたが、この反省から19世紀後半には学術的な発掘調査と同時に遺跡の復原や現地保存の遺跡博物館がつくられるようになった。1851年ロンドンで開催された第1回万国博覧会では、パクストンのクリスタル・パレス(水晶宮)が近代建築運動の先駆として注目を浴びたが、こうした博覧会では、産業革命以後の科学技術の進歩が説明図や実験器具・模型などによって具体的に展示されて好評を得た。この展示法は現在も科学博物館などに受け継がれている。
アメリカでは1773年公開のチャールストン博物館がもっとも古く、19世紀になってコーコラン、ボストン、メトロポリタン、フィラデルフィアの各美術館が相次いで公開された。20世紀に入るとアメリカの経済支配が世界に及び、カーネギー、ロックフェラーなどの巨大財閥により、多量の美術品がヨーロッパやアジアからアメリカに流入し、個人のコレクションの寄贈によるものや、大学付属施設も含めて数多くの美術館が設立された。ロシア革命以後のソ連では、エルミタージュ美術館やクレムリン美術館が国家の手厚い保護のもとに公開され、さらに社会主義体制に基づく社会史、革命、農工業などの新しいタイプの博物館が生まれた。
こうして美術館の内容が多様化するにつれて、考古学・民俗学を主とする歴史博物館と科学博物館、美術博物館に分化、専門化が進むようになる。さらに従来は軽視されがちであった装飾部門を扱う装飾美術館や、東洋美術館のように特定地域の美術品をおもに収集する美術館などへ細分化が進んだが、なかでも各国で続々と近代美術館が誕生したことは特筆してよい。
近代美術の幕開きとなった印象派絵画の出現以来、人々の関心と共感は、それまで美術の主流とされてきた古典作品よりも近代美術へ向けられるようになって、美術館も建築、デザイン、写真、映像などを含めた近代美術への視点の重要性を認識せざるをえなくなった。その結果、ロンドンの近代美術館テート・ギャラリー、パリの国立近代美術館、アメリカのニューヨーク近代美術館など、ヨーロッパの近代絵画や自国の現代美術を常時展示する美術館が増えていった。
[友部 直]
日本には古くは正倉院があり、また奈良時代から社寺に奉納された美術工芸品は宝物殿や宝蔵に秘蔵され、毎年一定期間だけ虫干しを兼ねて一般に開帳される習慣があった。このほか諸侯や富裕な町人の個人的なコレクションもあったが、これらは一般に公開されることはなく、西洋的な意味での博物館、美術館は明治以後になる。1872年(明治5)東京・湯島聖堂で文部省博物館主催の美術工芸品の展示が行われたが、1877年に第1回内国勧業博覧会が上野公園で開催されたとき、美術品を陳列した部門を美術館と称した。これが後の帝室博物館、現在の東京国立博物館の前身で、1925年(大正14)に科学部門、1938年(昭和13)に歴史部門を分化して、美術博物館としての性格を明確にしていった。1895年に現在の奈良国立博物館、1897年に京都国立博物館が開館、1930年には倉敷の大原美術館が西洋絵画のコレクションを常設展示する民間最初の西洋美術館として発足した。第二次世界大戦後の1951年(昭和26)に神奈川県立近代美術館が、1959年東京に国立西洋美術館が開かれ、他方で、ブリヂストン美術館、山種(やまたね)美術館、出光(いでみつ)美術館、大和文華館(やまとぶんかかん)など実業家のコレクションを核にした優れた民間の美術館も相次いで開設された。1970年以降日本経済の発展に伴い、地方公共自治体による公立美術館の設立ラッシュが続いた。これらの多くは近代美術館で、それぞれに特色ある建物を競い、収蔵品の内容や展示企画とともに、建築と美術との相互関係が注目され始めている。
その一方では、美術ブームを反映して貸会場専門の美術館や、日本の特殊例ではあるが、新聞社やデパートが主催する美術展が盛んである。もの珍しさの時期を終えたいま、美術館本来の役割と性格が改めて問い直され、国際的な交流や中央と地方を結ぶ好企画の巡回、公開講座やニュー・メディアの導入など、新しい時代の美術館活動が期待されている。
[友部 直]
『梅棹忠夫他編『世界の博物館 別巻 世界の博物館事典』(1979・講談社)』▽『嘉門安雄監修『日本の美術館』第1期全10巻(1986~1987・ぎょうせい)』▽『川成洋著『世界の美術館』(1997・丸善)』▽『全国美術館会議『全国美術館ガイド』(1999・美術出版社)』▽『淡交社編『日本の美術館と企画展ガイド』各年版(淡交社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報
…ベルサイユ宮殿の〈鏡の間Galerie des Glaces〉はその好例。細長い広間が展示空間として使われることにより,美術館ないし展示場もギャラリーとよばれ,その代表例はウフィツィ美術館,ロンドンおよびワシントンのナショナル・ギャラリーである。また,屋根付き歩行者通路もギャラリーとよばれ,転じてそこに集まる群集,特にゴルフ競技の観客をもさす。…
…なぜならば,建築や,建築の内外に付随するため現地に残されている美術品を除いて,過去のあらゆる美術的遺産は必ずなんらかの収集に属しているといえるからである。啓蒙主義の時代とそれに続くフランス革命期に,各王家の収集が次々に公共化されて美術館の形を取るようになる以前には,すべての美術品収集は私的性格をもち,公開はきわめて例外的であった。本項では,そのような美術館以前の時代の収集と近代以降の私的コレクションとを扱う。…
※「美術館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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