日本歴史地名大系 「能満寺」の解説
能満寺
のうまんじ
寺伝によれば、弘法大師が唐から帰朝後の大同二年(八〇七)この地に来て開創したという古寺で、近郷の同宗派寺院の中心であったことは、寺蔵の応永三一年(一四二四)の「長門国俵山能満寺務職並聖□本尊道具以下置文条々事
密教関係の法器をはじめ、室町期から近世にかけての文書を多数蔵するが、大般若経の奥書は応永六年から同一九年までの年号を記す。
能満寺
のうまんじ
能満寺
のうまんじ
福山城跡の西南方、近世
開創については伝えがないが、杉原氏系図由来書に、建武三年(一三三六)足利尊氏が京都から九州に西下した際、この寺に寓居していた杉原信平・為平の兄弟が尊氏に従って九州
能満寺
のうまんじ
能満寺
のうまんじ
能満寺
のうまんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報