穀類などの調理・調整用具の一種。米、麦など穀類の脱穀、精白、製粉をはじめ、餅搗(もちつ)き、みそ搗き、コンニャク作りなどにも使われ、その構造、機能により、搗臼(つきうす)と磨臼(すりうす)とに大別される。
[宮本瑞夫]
もっとも広く一般的なのは竪臼(たてうす)で、これには木製と石製がある。その形は、ちょうど大木を輪切りにした円筒状で、この上部を凹形にくりぬいて、そこに穀類を入れ、棒状の竪杵(たてぎね)(手杵)あるいはT字状の横杵を使って搗く。ただし、竪杵用の臼はくぼみが卵状で、一般に製粉に適し、横杵用は蜜柑(みかん)状で、精白、餅搗きなどに適しているといわれる。竪臼、竪杵は古くから東南アジア各地に普及し、日本にも稲作とともに弥生(やよい)文化時代に伝えられ、静岡市の登呂(とろ)遺跡から、当時の鼓(つづみ)形で取っ手付きの臼が出土している。また、香川県出土と伝える同時代の袈裟襷文銅鐸(けさだすきもんどうたく)には、2人の人物が1個の竪臼を中心にして交互に竪杵を搗いている光景がみられることは著名である。以後、長い間、竪臼、竪杵によって、脱穀、精白、製粉といった作業が行われてきたが、江戸時代中期(18世紀後半)ごろ横杵の出現によって、脱穀、精白、餅搗きなどには横杵が用いられるようになり、竪杵は、近年まで、伊豆、薩南(さつなん)(鹿児島県)、沖縄などの諸島で、製粉、みそ搗きなどに、わずかに使用されるにとどまった。このほか、搗臼の一種に踏臼(ふみうす)があるが、これは石製が多く、杵の運動は、てこ状の長木の一端に杵をつけ、他端を足で踏んで行った。唐臼(からうす)、地唐(じがら)(臼)などといい、すでに平安時代の文献にもその名がみえているが、一般化したのは江戸中期以後で、もっぱら精白用として用いられた。足で踏む動力は、その後、水車に変わり、水車の回転を角柱の杵に伝えて上下運動させるものが、以後の一般的精白用具として、明治・大正時代に至るまで広く用いられていた。なお、搗臼には、ほかに舟形をした横臼(よこうす)がある。
[宮本瑞夫]
一般に上臼(うわうす)と下臼(したうす)とからなり、下臼を固定し、上臼が下臼の心棒(しんぼう)を軸として回転する構造になっている。上臼の穴から投入された原料は、上下両臼の接触面につくられた歯の摩擦によって、籾殻(もみがら)を除き、粉末にされる。この磨臼(すりうす)の回転には、古くから人の腕力のほか水力や畜力が利用された。木製の磨臼は木臼、挽臼(ひきうす)とよばれ、上臼の引き綱を対座した2人が引き合って回転させる。中国明(みん)代の技術書『天工開物(てんこうかいぶつ)』によると、中国のものはその形が平たく、日本や朝鮮、ミャンマー(ビルマ)などで使用されているものは細長い円筒形で、一見、形態は異なるが、その起源はおそらく中国にあると思われる。日本では、早く平安時代から籾摺(もみす)りに使用されていたが、江戸中期から土製の磨臼が広く使用されるようになって、その利用はようやく衰え、わずかに小農家などで明治以後まで使用されていた。沖縄、朝鮮、ミャンマーなどではいまもなお使用している所がある。一方、土製の磨臼は土臼、唐臼(とううす)、籾摺臼(もみすりうす)、磨臼(するす)などといい、上下両臼ともに竹木で外周を編み、その内部に土を詰め、上下の接触面にカシの木、チーク材などの歯を埋め込んでつくる。小形のものは、上臼の横木に遣木(やりぎ)をつけて回転し、大形のものは、数人で前後に押し引きして動かす直線運動を円運動に変えて、上臼を回転する仕掛けになっている。土製の磨臼(すりうす)も中国では古くから使用されていたらしいが、日本では江戸時代も元禄(げんろく)(1688~1704)のころから一般化した。籾摺り用としては、木製の磨臼より能率は高いものであった。したがって、大規模の地主経営でいち早くこれを採用し、大正・昭和に入って動力精米機が普及するまで、有力な籾摺り用具として利用された。朝鮮、インドシナ、タイ、ミャンマーなどではいまも使用されている。石製の磨臼は、石臼、挽臼とよばれ、上下両臼とも石でつくり、これに板製あるいは木鉢(きばち)などの受け台を併用する。小形のものは上臼に取っ手をつけて回し、大形のものは遣木をもって2、3人で回転させる。この石製磨臼も中国では古くから使用され、日本にも早く飛鳥(あすか)時代に伝来している。初めは、小形のものが、薬剤、絵の具の調製や製茶など特殊の用途に利用されていたが、江戸中期ごろから一般農家にも普及した。主として米、麦の製粉に使用されたが、そば粉、大豆粉、豆腐の製造などにも用いた。現在も中国はじめインドなどでも使用されている。
[宮本瑞夫]
臼は、神仏に供える粢(しとぎ)や餅を搗き、また穀物など食料調製のための重要な道具として用いられたので、古くからたいせつに扱われ、多くの儀礼、俗信を伴うこととなった。まず、臼を製作するにあたっては、木の選定に大きな注意が払われ、保管にあたっては、一般に農家の母屋(おもや)の大黒柱のそばに置かれ、納屋に収納する場合には、直接、地面に触れないように、台を設けてその上に収納した。しかも、家を新築したときや火災のときには、まず臼から先に運び出し、さらに、使用不能となった古臼の処分には、これを割って近隣7軒に配り、燃やして灰にしてもらうという習俗が一般に行われていた。とくに、長野の善光寺の本尊が初め臼の上に安置されたという『善光寺縁起』の説話は有名だが、神奈川県厚木の厚木神社や江の島の八坂神社(江島(えのしま)神社内)の神輿(みこし)も臼の上に休息するという。また、石川県能登(のと)半島輪島の市神(いちがみ)、市姫様には、大きな石臼が御神体として祀(まつ)られている。さらに、正月行事でも、歳神(としがみ)を迎える祭壇として臼が使用され、これに鏡餅(かがみもち)や若水を供え、正月2日の仕事始めに、臼をおこして餅を搗いたりする習俗は、ほぼ全国各地にみられる。他方、収穫時における十日夜(とおかんや)(10月10日)や11月の初丑(はつうし)の日などにも、臼を祭壇に使用する習俗が行われている。これらはいずれも臼を清浄なものとし、神聖視しているからであろう。こうした臼に対する考え方は、さらに進んで、なにか特別な呪力(じゅりょく)を秘めた道具と意識されるようになっていった。たとえば、葬式に際して、出棺後の部屋を掃き清めるために、唱え詞(ごと)をしながら臼を転がすことが行われ、葬送から帰った人々が、伏せた臼の上の塩で身を清めたのち、初めて家に入る。また、臼を女性に、杵を男性に見立てる思想とともに、婚姻、出産、育児に関する習俗も広く行われているが、吉事の支度に三本杵で米を搗くのをはじめ、嫁入りに入口の左右で餅搗きを行うとか、難産のときに妊婦の夫が臼を背負って家の周囲を巡るとか、妊婦に臼を抱かせると安産するといわれ、また、嫁入りした娘が初めて生児を連れて実家に帰ったとき、その児(こ)を臼の中に入れると健康に育つといった俗信など、多くの事例がみられる。さらに、年末年始にかけても、その年の吉凶を占う臼伏せ、臼休めの行事があり、これらはすべて臼の呪力を示した伝承といえよう。
一方、このような臼に関する儀礼、俗信は、また広く東南アジアの諸民族の間にもみられる。まず、臼を女性の、杵を男性のシンボルとする思想は、諸民族の間に広く認められるものであるが、このほか、たとえばルソン島のティンギアン人は、病気回復の呪術に際し、臼の上に供え物をし、巫女(みこ)がその周囲を祈りながら回る。マレー半島のマレー人の間には、結婚式に新郎新婦が逆さに伏せた臼の周りを三度巡って、これに座ることがある。またジャワでは、日食、月食は天上の怪物が日、月を捕らえるためと考えられ、これを救うために臼をたたいて大きな音を出して、この怪物を脅かす習俗がある。
[宮本瑞夫]
『三輪茂雄著『ものと人間の文化史25 臼』(1978・法政大学出版局)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新