日本歴史地名大系 「興国寺城跡」の解説
興国寺城跡
こうこくじじようあと
今川氏親の家督相続に功績のあった伊勢新九郎(北条早雲)が、長享元年(一四八七)頃に富士郡
今川氏が衰退すると、当城をめぐり武田氏と北条氏との争奪戦が繰広げられた。永禄一一年末には、いったん武田方の手に落ちた城を北条方が奪回し(年欠一二月二八日「由良成繁覚書案」上杉家文書)、翌年には城将となった垪和氏続が城に橋を架けるための用材確保を図っている(永禄一二年一月一九日「垪和氏続判物」多聞坊文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報