日本大百科全書(ニッポニカ) 「芦刈」の意味・わかりやすい解説
芦刈(旧町名)
あしかり
佐賀県中南部、小城(おぎ)郡にあった旧町名(芦刈町(ちょう))。現在は小城市芦刈町地区で、市の南部を占める。旧芦刈町は、1967年(昭和42)町制施行。2005年(平成17)3月小城、三日月(みかづき)、牛津(うしづ)の3町と合併して市制施行、小城市となった。旧芦刈町域は有明(ありあけ)海湾奥部に臨み、満潮時には地域が海面以下となる。国道444号が通じ、北隣の小城市牛津町地区のJR長崎本線牛津駅が最寄り駅である。大半は中世以降の干拓地で、江戸前期絵図にみる平吉郷(ひらよしごう)(吉(よし)は葦(あし)の佳名)や芦刈、芦ヶ里などの名は、アシの生え茂る低平な干潟(ひがた)荒野の景観と、その開発を想起させる。南の六角(ろっかく)川河口に向け、大黒搦(だいこくがらみ)、宝永搦、社(しゃ)搦ほかの搦(からみ)名干拓地が開かれた。六角川河口の住ノ江(すみのえ)は、かつて杵島炭鉱(きしまたんこう)の石炭積出し港としてにぎわった。米作とノリ養殖が主体で、秋祭りに演ずる面浮立(めんぶりゅう)は代表的な民俗芸能である。
[川崎 茂]
『『芦刈町史』(1975・芦刈町)』
芦刈(叙事伝説)
あしかり
叙事伝説。摂津国(大阪府)難波(なにわ)に住む夫婦が貧困のため別れて、女は上洛(じょうらく)後に主人に仕え、北の方の死後に後妻となる。しかし昔の夫が忘れられず、難波へ祓(はらい)の口実で赴くが、すでに行方不明であった。たまたまもとの家の近くで芦を担う乞食(こじき)が通ったので呼び止めると、前夫であった。哀れを催し芦を高く買い、食物を与える。前夫は下簾(したすだれ)の間からかいまみて、その貴人がかつての妻とわかり、恥じて竈(かまど)の後ろに隠れる。捜させると、男は「君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住みうき」と詠んだので、女は「あしからじとてこそ人の別れけめなにか難波の浦の住みうき」と返して、着物を与えさせた。有名な和歌説話でもあり、もっとも古い文献では『大和(やまと)物語』148段にある。
そのほかに、『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』、『拾遺(しゅうい)和歌集』、『今昔物語集』巻30の15、『宝物集』巻2、『源平盛衰記』巻36にみえ、謡曲『芦刈』にもなり、御伽草子(おとぎぞうし)『ちくさ』にもある。『神道集』巻7の42の「芦刈明神事(あしかりみょうじんのこと)」はその本地譚(ほんちたん)で、同巻8の46「釜(かま)神事」とともに竈神(かまどがみ)の由来を語る話としてあったものであろう。その本地譚は、男が恥じて海に投身すると女も後を追う結末から、その後2人が海神の力で顕現したのが芦刈明神で、本地は男が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、女は如意輪観音(にょいりんかんのん)としてある。炭焼長者の再婚型で、福分(ふくぶ)のある女と別れた夫が死して、女に竈の後ろに埋められる話もこの類型で、夫を荒神様として祀(まつ)る昔話が多い。
[渡邊昭五]
芦刈(能)
あしかり
能の曲目。四番目物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)の作、あるいは田楽(でんがく)系の古能を世阿弥が改作したものか。『大和(やまと)物語』などによる伝説を素材とする。零落して難波(なにわ)名物の芦売りとなった男(シテ)が、乳母(うば)となって出世した妻(ツレ)と再会するメロドラマ風の能。ワキは女の随行者。アイ狂言は里人。芦売りの芸能(御津(みつ)の浜の網を引くさま、乙女たちの笠(かさ)踊りのさまなど)、難波の春の景物をまねしてみせる「笠ノ段」の演技が特徴的である。妻との対面。身を恥じる夫。人々に祝福され、男は装束を改めて酒宴にさっそうと舞い、連れ立って都へ帰って行く。16歳の梅津景久(かげひさ)のこの能が土御門(つちみかど)天皇の御感に入り、「若」の一字を賜って梅若と名のったことから、梅若一門ではとくにだいじにする能である。
[増田正造]