静岡県南西部にある市。2005年(平成17)小笠(おがさ)郡菊川町と小笠町が合併、市制施行して成立。北は火剣(ひつるぎ)山、東は牧ノ原台地、北東から南西に流れる菊川と支流が沖積平野を形成する。JR東海道本線、国道473号が通り、東名高速道路菊川インターチェンジがある。
加茂の白岩遺跡(しらいわいせき)は弥生時代中期後葉の集落遺跡で、弥生土器の型式名設定の標式遺跡になっている。上平川大塚古墳は古墳前期の前方後円墳であったと考えられ、「天王日月」銘銅鏡などが出土した。中期の舟久保古墳は周濠(しゅうごう)をもつ前方後円墳(県指定史跡)。
中世には京都下鴨神社ゆかりの河村荘、延暦寺千僧供領遠江国赤土荘(あかつちのしょう)などが成立した。牧ノ原台地西方の横地(よこじ)は平安時代以来の名族横地氏(よこちうじ)の名字の地で、室町時代末期の城跡は横地氏が拠(よ)ったとされる。菊川を挟んだ西側の内田は御家人内田氏の名字の地。土塁・堀に囲まれた中世前期の高田大屋敷遺跡は内田氏の居館跡と考えられ、横地氏城館跡とともに菊川城館遺跡群として国の史跡に指定されている。内田の応声教院(おうしょうきょういん)山門は国指定重要文化財。江戸時代は掛川藩領、横須賀藩領や幕府領、旗本領が錯綜した。旗本本多内膳家領は下平川の黒田氏が代官を勤めた。黒田家住宅は堀をめぐらせた中世城館を代官屋敷に転用したもので国指定文化財。
東部には明治初年の大規模開拓による茶園が広がる。北部では水稲、茶のほか施設園芸などが行われ、南部でも水稲、レタス、温室メロン、トマト、イチゴなどを栽培する。茶は栽培面積、質においても全国的に知られる。1969年(昭和44)の菊川インターチェンジ開設後は工場の進出が進み、菊川工業団地、小笠嶺田(みねだ)工業団地ほかを中心に自動車用部品、精密工作機械などが生産されるが、茶摘採機の製造は全国の大部分を占めている。面積94.19平方キロメートル、人口4万7789(2020)。
[編集部]
静岡県南西部、小笠郡(おがさぐん)にあった旧町名(菊川町(ちょう))。現在は菊川市の北半分を占める地域。牧ノ原(まきのはら)台地の西、菊川流域に位置する。1954年(昭和29)堀之内町と六郷(ろくごう)、横地、加茂、内田の4村が合併して改称。1955年河城(かわしろ)村を編入。2005年(平成17)小笠(おがさ)町と合併して市制施行、菊川市となる。JR東海道本線、国道473号が通じ、東名高速道路菊川インターチェンジがある。古代、城飼(きこう)郡の郡衙(ぐんが)所在地とする説がある。中世には豪族横地氏が城館を設け勢いを振るった。1869年(明治2)士族授産事業として牧ノ原の茶園化が進み、小笠郡下最大の茶業地域となった。近年、工場進出もみられるが、茶摘採機の製造が全国の90%以上を占めている。応声教院山門(おうしょうきょういんさんもん)は国指定重要文化財、菊川城館遺跡群は国指定史跡。
[川崎文昭]
『『菊川町史』(1965・菊川町)』▽『『菊川町史』全2巻(1990~1997・菊川町)』
静岡県掛川(かけがわ)市、島田市との境界にある粟ヶ岳(あわがたけ)の東斜面に源をもち、菊川市を流れ、掛川市南東部(国安(くにやす)と菊浜の間)で遠州灘(えんしゅうなだ)に注ぐ川。一級河川。延長約28キロメートル、流域面積158平方キロメートル。上流の小夜ノ中山(さよのなかやま)東麓(とうろく)には中世の東海道菊河宿があった。牧ノ原(まきのはら)台地と小笠山との間を南流する中流部を加茂川、下流を国安川ともよぶ。河口の千浜(ちはま)砂丘に閉塞(へいそく)された下流平野(城飼平野(きこうへいや))は盆地状をなし軟弱地盤で、洪水時の湛水(たんすい)の著しい低湿地であったが、改修が進み、穀倉地帯となった。河口部周辺は御前崎(おまえざき)遠州灘県立自然公園に含まれている。
[北川光雄]
山口県西部、豊浦郡(とようらぐん)にあった旧町名(菊川町(ちょう))。現在は下関市の中東部を占める地域。旧菊川町は、1955年(昭和30)菊川、豊東(とよひがし)の2村が合併して町制施行。2005年(平成17)下関市と合併した。木屋(こや)川と支流田部(たべ)川(菊川)の合流部に開けた田部盆地を占める水田農村地域。国道491号が通じ、地域の近くには中国自動車道小月(おづき)インターチェンジがある。開発は古く、『和名抄(わみょうしょう)』の田部郷の地。下関市菊川総合支所のある田部市(いち)は近世の萩(はぎ)―赤間関(あかまがせき)街道に沿う市場町として発達。北境の華山(げさん)(713メートル)は豊田県立自然公園の一部。米作を中心に養鶏などが行われている。
[三浦 肇]
『『菊川町史』(1970・菊川町)』
静岡県南西部の市,2005年1月旧菊川町が小笠(おがさ)町と合体して成立した。人口4万7041(2010)。
菊川市南部の旧町。旧小笠郡所属。人口1万5508(2000)。牧ノ原台地南部を占める。町の北・東・南一帯は牧ノ原台地に連なる丘陵地帯で,茶の栽培が盛んである。西部は沖積低地で菊川と支流の牛淵川,丹野川,高橋川が流れ,米作中心の農業が行われてきたが,近年はメロン,トマト,イチゴなどの施設園芸が盛んとなり,牛,豚,ニワトリの生産も伸びている。北隣の旧菊川町に東名高速道路菊川インターチェンジが開設されたことなどにより,1965年ころから工場が立地し,第1次産業から第2次・第3次産業へと就業人口の移行がみられる。南端に石山公園,北端に丹野池公園があり,ともに御前崎県立自然公園に属する。江戸時代の旗本本多氏の代官屋敷であった黒田家住宅(重要文化財)などがある。
菊川市北部の旧町。旧小笠郡所属。人口3万1528(2000)。中央部をJR東海道本線と東名高速道路が通り,菊川インターチェンジがある。東部の牧ノ原台地はじめ,いたる所で茶の栽培が行われ,大規模な共同製茶工場がある。南流する菊川沿いは水田地帯で,近年住宅や工場が進出している。農業は茶業と水稲を主体に,レタス,ダイコンなどの野菜,マスクメロン,イチゴなどの施設園芸,牛,豚,ニワトリの飼養など多角的に行われている。工業は食品加工をはじめ,鉄や機械工業などが生産を伸ばし,近年は工場誘致により,工場数も増え,若年労働力の定着化が進んでいる。室町時代に横地氏の本拠であった横地城跡,浄土宗の古刹応声教院,弥生時代の白岩遺跡などがある。
執筆者:萩原 毅
静岡県中部,掛川市の粟ヶ岳に源をもち,掛川市の旧大東町で遠州灘に注ぐ川。幹川流路延長28km,全流域面積158km2。上流部には夜泣石で知られる小夜ノ中山,鎌倉時代の宿駅菊川宿(現島田市,旧金谷町)があり,菊川市堀ノ内より下流は牧ノ原台地と小笠山丘陵との間に沖積地を形成し,水田地帯となっている。下流の平野は河口付近に発達する千浜(ちはま)砂丘で閉塞されているため,軟弱地盤が厚く,盆地状の低湿地をなし,洪水時の湛水が著しかったが改修が進んだ。また流域面積が狭く流量が一定しないため,県下有数の干害地域で,古くから溜池が多く作られてきたが,大井川右岸農業水利事業(1967完成)によって緩和された。
執筆者:北川 光雄
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