精選版 日本国語大辞典 「葛西善蔵」の意味・読み・例文・類語
かさい‐ぜんぞう【葛西善蔵】
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小説家。明治20年1月16日、青森県中津軽郡弘前(ひろさき)町(現弘前市)に生まれる。歌棄(うたすつ)、酔狸州(すいりしゅう)の別号がある。北海道での放浪生活ののち上京。哲学館(現東洋大学)中退。徳田秋声に師事し、相馬御風(ぎょふう)を紹介されたのが縁で早稲田(わせだ)大学英文科の聴講生となり、光用穆(みつもちきよし)ら後の『奇蹟(きせき)』同人と相識(し)る。その創刊号(1912.9)に処女作『哀(かな)しき父』を発表、貧窮と一家離合を重ねるなかで『子をつれて』(1918)を書き、文壇に名をなす。芸術こそが「生活であり、宗教であり、心の糧(かて)であり、絶対の権威である」(舟木重雄あて書簡)とする葛西は、早く友親を絶して文芸のなかに強烈な自我の主張を志すのだが、同時にそれは、自虐とエゴイズムの悪循環による破滅型私小説作家としての宿命を生きることであった。『遁走(とんそう)』『馬糞石(ばふんせき)』『不能者』『愚作家と喇叭(らっぱ)』など、主として身辺に取材したものだが、一方に飄逸(ひょういつ)な味わいを失わぬ作風は、優れて的確な描写力と相まって「早稲田志賀」の呼称を生んだ。寡作家であったための貧と病苦を紛らす酒とによってしだいに敗滅の相を深めてゆくが、滅びることを恐れぬ反俗の厳しさのゆえに、「苛烈(かれつ)味の文学」ともいわれた。昭和3年7月23日、文字どおり陋巷(ろうこう)に窮死することになるが、その滅びゆく姿を彼は『椎(しい)の若葉』『湖畔手記』(ともに1924)などの名編に書き残している。口述筆記に頼りながらも、その対象化の確かさと豊かな詩情とは衰えず、志賀直哉(なおや)や芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)と並んで、大正期文学史にきわめてユニークな個性を刻むことになった。
[榎本隆司]
『『葛西善蔵全集』3巻・別巻1(1974~75・津軽書房)』▽『大森澄雄著『葛西善蔵の研究』(1970・桜楓社)』▽『谷崎精二著『葛西善蔵と広津和郎』(1972・春秋社)』
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1887.1.16~1928.7.23
大正期の小説家。はじめ歌棄(うたすつ)と号す。青森県出身。若くして貧窮生活を送るが,すべてを犠牲にしつつ孤独の中で芸術の完成をめざした。破滅型の私小説作家として知られる。1912年(大正元)同人誌「奇蹟」を創刊し,「哀しき父」を発表。18年「子をつれて」で注目された。後期作品に心境小説「湖畔手記」などがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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