主として引き戸の形式で、日本独特の建具の一種。木で骨を組み、両面から紙で下貼(したば)りをし、表面に布や紙を貼ったもの。本来「ふすましょうじ」とよび、襖障子あるいは衾障子と書いて、表面が布貼りのものをさしていたが、第二次世界大戦後ごろから、紙貼りの唐紙(からかみ)障子も区別せず、襖とよぶようになっている。引き戸形式の建具である襖の初めは、木を組んだ骨に紙や布を貼ってパネルをつくり柱の間にはめ殺した障子に設けられた開き戸が変化してできた鳥居(とりい)障子で、平安時代の中ごろまでには現れたと考えられる。初めは周囲に布で広く枠取りしてその中に絵を描き、回りに漆塗りの縁をつけ、引き手を設けていた。裏は人目に触れないときには、唐紙を貼るのが普通であった。中世末には、紙貼りの上に金箔(きんぱく)を貼って極彩色の絵を描くことが始まり、近世初めには武家住宅をはじめとして金地極彩色の形式が広まった。一方、近世の初めから茶室や数寄屋(すきや)風の建物を中心に、色紙や模様を木版で刷った唐紙が用いられるようになり、流行する。数寄屋風の建物の発展とともに、襖にも黒い漆塗りの縁のほかに、色漆塗りや生地(きじ)のままの縁、あるいは縁のない太鼓貼りのものも現れ、引き手にもさまざまなデザインあるいはさまざまな材質の木などが用いられるようになった。また、襖の中に紗(しゃ)を張った窓を設けるなど、変わったものもみられる。近年は、紙に模様や絵を印刷した襖紙やさまざまな布、写真を用いたデザイン、ビニルなどの新しい材料も用いられている。
[平井 聖]
日本古代の衣服の一種。ペルシア系の唐風上着、盤領(あげくび)で身頃(みごろ)が一幅と二幅のものがある。この上着の裾(すそ)に、生地を横向きにして縫いめぐらした襴(らん)という部分がつかず、両脇(わき)があいた無襴衣である。袍(ほう)に有襴と無襴との別があるが、奈良時代における袍と襖との区別が、現在では不明である。養老の衣服令に規定された武官の礼服や朝服として用いられる位襖は、当色、すなわち位階相当の色によって区別された上着襖である。もとは狩猟用に用いられ、平安時代に日常着として親しまれた狩衣(かりぎぬ)は狩襖ともいわれた。『今昔物語』にみられる庶民の着た襖は、同名異物のようであり、また、室町時代より武家に用いられた素襖(すおう)は、布製の直垂(ひたたれ)であって、盤領式の上着の襖とは異なる。なお、奈良時代に着用された、袍や襖の下に重ねる内着の襖子は、正倉院に伝えられたものによると、襖と同形で、やや身丈が短く、絹製の袷(あわせ)仕立てのものである。
[高田倭男]
衣服の一種。古く中国では襖子と書き,日本ではこれを〈あお〉〈あおし〉とよんでいた(《和名抄》)。中国では,これを古代北方民族の胡服(こふく)として用いなかったが,6世紀後半の北斉から一般に用いられるようになり,袷(あわせ)の上衣として,袴(こ)とともに着用した。活動に便利であったため,乗馬や旅行,あるいは日常の衣服として広く用いられていた。日本にも,あるいは古く北方民族から伝えられていたかもしれないが,律令の衣服の制度ではこれを公式に採用して,武官の警固や従軍の場合の正装(礼服(らいふく),朝服)として規定した。〈衣服令〉に位襖(いあお)と書かれているのがそれで,位階によって差別づけ,服色を分かった。これは襴(らん)(衣のすそにつけた細い裂)のない衣で,腋(わき)の開いたものであった(《令集解》)。後にはこれが闕腋袍(けつてきのほう)になった。またこれから狩襖(狩衣)や素襖(すおう)が発展したようである。また,奈良朝前後には官戸奴婢(ぬひ),3歳以上の者に毎年衣服を給したが,冬にはこの布襖(ぬのあお)が給与されていた(雑令)。袷であったが,綿入れのようなものもあって,ひろく冬季の防寒衣とされていたようである。子どもや女子,あるいは老人も着ていた。遠山摺(とおやまずり)の長い襖を着た女もいた。
→袍
執筆者:猪熊 兼繁
木製格子の両面に厚紙または布をはり,四周に木の枠をつけた引違い建具。襖障子または唐紙(からかみ)障子のこと。平安時代の絵巻物には寝殿などの内部間仕切りとして多く描かれているが,当時は特定の名称がなく広い意味での障子のひとつとして扱われていた。〈襖障子〉の語は室町時代の文献にはじめて登場するが,その語源は明らかでない。襖は日本家屋の室内装飾の重要な構成要素で,貴族・武家の住宅や寺社では唐絵,やまと絵,水墨画,金碧画など,そこに描かれる絵は時代ごと,また,室ごとに手法・題材をかえて室内空間をいろどった。なお〈からかみ〉は唐紙障子の略で,本来は中国渡来の模様刷りの紙,またはそれを模したものをはった襖を意味した。
江戸時代ころから,襖紙には,雲紙(くもがみ),墨流し,水玉などが用いられ,また唐紙師は木版によって群青(ぐんじよう)または雲母で模様を刷り出したものを作った。襖紙の寸法は江戸末期までは横1尺5寸(1尺は約30.3cm),縦1尺で,襖1枚を12枚で張った。江戸末期には楽水紙,泰平紙などとよぶ襖1枚大のものがすかれるようになった。襖紙の種類は多く,中でも〈鳥の子〉が上等とされている。葛布,芭蕉布,更科など布も用いられる。
→障屛画
執筆者:清水 拡
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引違いの建具の一つ。木で骨を組んで,両側から紙または布を何重にも張ったもの。細い木の縁を回し,引手をつける。平安時代の住宅で,屋内の間仕切り装置として成立したもので,その後,間仕切り建具の最も一般的なものとして広く普及した。当初はたんに障子と称したが,明障子(あかりしょうじ)が発明され使われると,紛らわしさをさけるために襖障子・唐紙(からかみ)障子・襖とよぶようになった。表の紙や絹には唐紙など装飾的なものを使ったり,絵を描いたりした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…しかし,全中国人口の94%を占める漢民族が,伝統的に身につけてきた服装が中国服であるとすれば,宋代以後の中国服は四つの基本衣によって構成された(中国古代の服装については,〈服装〉の項を参照されたい)。袍,襖,衫,褲がそれで,このうち袍,襖は袷(あわせ)または綿入れの秋冬着で袍は丈が長く,襖は丈が短い。衫は単(ひとえ)の春夏用でこれには丈の長い長衫と丈の短い短衫がある。…
…和風建築に用いられる建具の一種。古くは戸,衝立(ついたて),襖(ふすま)などの総称であったが,現在は明障子(あかりしようじ)をさす。障子の語はすでに奈良時代の《西大寺資財流記帳》(780)に見られ,〈補陀羅山浄土変一鋪〉は〈障子絵〉で周囲に〈紫細布縁〉を施していたという。…
…そして生活の複雑化にともなって北庇が発展し,いくつもの部屋が造られるようになる。その間仕切として用いられたのが襖で,そこにはやまと絵が描かれ,几帳や帷(とばり)などとともに華やかな空間を演出した。そして明障子(あかりしようじ)(現在の障子)が用いられ,部屋に畳が敷きつめられるようになると,次代の書院造の祖型が形成されることになる。…
※「襖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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