西予(市)(読み)せいよ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西予(市)」の意味・わかりやすい解説

西予(市)
せいよ

愛媛県の南西部にある市。2004年(平成16)に西宇和(にしうわ)郡三瓶町(みかめちょう)、東宇和郡明浜町(あけはまちょう)、宇和町、野村町城川町(しろかわちょう)が合併、市制施行して成立(東宇和郡は消滅)。市域は東西に細長く、西部は宇和海に面してリアス海岸を形成、東部は四国山地を占めて高知県と接し、丸石山(1328メートル)、雨包(あまつつみ)山(1112メートル)などの高山がそびえる。海岸部を除くと肱(ひじ)川の上流(宇和川)域にあたり、岩瀬川、黒瀬川、船戸川が肱川に流入し、中央部には南予最大級の穀倉地帯の宇和盆地、野村盆地が開ける。JR予讃線が笠置トンネルで北の八幡浜市、法華津トンネルで南の宇和島市に抜ける。国道56号、197号、378号、441号が走り、松山自動車道西予宇和インターチェンジがある。

 高知県境に近い山間部の穴神洞遺跡(あながみどういせき)からは縄文時代草創期の微隆起線文土器が出土した。弥生時代には宇和盆地周辺で中広銅矛や平形銅剣が検出され、坪栗遺跡からは農具などの木製品も出土している。古墳はしゃもじ型をした前方後円墳の笠置峠古墳が宇和盆地を見下ろす標高約400メートルの高地に造られた。宇和盆地の北では瓦、南では掘立柱の建物や墨書土器が検出されており、宇和町明石(あげいし)では蕨手刀が出土している。

 鎌倉時代は皇室領宇和荘に含まれた。のちに同荘は公家の西園寺家領となり、西園寺家の一流は下向して土着(伊予西園寺家)。室町時代は宇和町下松葉の松葉城に拠り、戦国時代に宇和町卯之町(うのまち)の黒瀬城に移った。江戸時代の大半は、吉田藩領であった三瓶町地区、明浜町地区を中心とした地域以外は宇和島藩領として推移。卯之町(松葉朝)は在郷町宿場町として発展し、宇和島への道沿いの町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。幕末の蘭医二宮敬作が居住し、師のシーボルトの娘イネが学び、高野長英が匿われた。城川町地区は和紙(仙貨紙)や木蝋(もくろう)が特産で、土佐への道に沿う土居は在郷町として賑わった。また城川町地区、野村町地区には、村民がつどったり巡礼などに茶の接待をする茶堂が多い。

 山林面積は75%、ヒノキの良材で知られる。農業は米、キュウリなどの野菜のほかクリ、ミカン、県下屈指の生産額のユズ栽培、イチゴ・ブドウなどの施設園芸が行われる。酪農のほか畜産は県下最大級の規模を誇る。漁業は大型巻き網漁やリアス海岸の入江を利用した真珠・ハマチ・ヒラメの養殖などが盛ん。

 明浜町地区の海岸線は佐田岬半島宇和海県立自然公園に含まれる。北東部、高知県に接する大野ヶ原は四国カルストで標高がもっとも高い源氏ヶ駄馬(1403メートル)を含み、四国カルスト県立自然公園の一部。法華津峠一帯は足摺(あしずり)宇和海国立公園に含まれる。面積514.34平方キロメートル、人口3万5388(2020)。

[編集部]


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