出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
群馬・新潟県境にある三国山脈(みくにさんみゃく)の一峰。頂上はトマの耳(1963メートル)、オキの耳(1977メートル)の2峰に分かれ、古くから「耳二つ」とよばれた。上信越高原国立公園に属する。2000メートル級の山々が谷川岳を中心に北の清水峠(しみずとうげ)から西の三国峠の間に連なり、これを総称して谷川連峰という。これらの山々は、おもに第三紀層の緑色凝灰岩とそれを貫く花崗(かこう)岩、石英閃緑(せんりょく)岩、蛇紋(じゃもん)岩などからなり、部分的にはホルンフェルスの硬い岩石もある。日本の太平洋側と日本海側の境界の脊梁(せきりょう)山脈にあるため、積雪と豪雨、強風などで侵食作用が強く、しかも侵食に対する岩石の抵抗力の相違から、複雑で険しい壮年期の地形を現している。とくに東斜面の硬い岩石は岩壁をなし、マチガ沢、一ノ倉(いちのくら)沢、幽(ゆう)ノ沢などは日本屈指の規模をもつ岩場で、登山はきわめて困難である。また、南東斜面のザンゲ岩には岩盤に擦痕(さっこん)がみられ、東斜面と南斜面の山頂付近には小型の圏谷に似た地形も認められて氷河時代の侵食を思わせる。森林の限界は標高1500メートルぐらいである。
谷川岳の魅力はこのような峻険(しゅんけん)な山容と展望にあるが、有名になったのは1931年(昭和6)国鉄(現、JR)上越線開通以後、東京方面からの登山者が激増したからである。おもな登山口には、上越線土合(どあい)駅(地下駅)を主登山口に、ほかに土樽(つちたる)口、谷川温泉口などがある。1960年(昭和35)には土合口から標高1320メートルの天神平(てんじんだいら)までロープウェーが設けられ、国設天神平スキー場もできて、登山者層が厚くなり、しだいに観光地の性格も帯びてきた。しかし、天候が激変しやすく雪崩(なだれ)や濃霧、豪雨の襲来もあり、登山とくに岩登りによる転落などで多くの遭難者を出し「魔の谷川岳」ともいわれる。そこで、1967年群馬県は谷川岳遭難防止条例を制定、西黒尾根(にしくろおね)コースなどの一般コースを除いて、一ノ倉沢、幽ノ沢、マチガ沢などの危険指定地域を登山届出制にした。悪天候の日には群馬県知事が登山を禁止し、また土合口に谷川岳登山指導センターを設けて遭難防止と安全登山を指導し、また警備隊を配置するなどして遭難事故の減少に努めている。それでも群馬県観光課の調査によると、1931~1981年(昭和6~56)の50年間に693人が遭難死し、年平均13.9人となった。その後、遭難死の数は減少し、1982年から2001年(平成13)までの20年間では78人、年平均3.9人となっている(1931年からの合計771人、行方不明者を含めると779人)。土合口の国道291号のそばに慰霊塔と碑が建てられ、碑には1931年以降の死亡者の氏名と都県名が刻してある。
[村木定雄]
新潟と群馬の県境をなす三国山脈中部にある山。山頂はトマの耳(1963m)とオキの耳(1977m)の2峰に分かれ,遠望するとネコの耳の形に似ていることから〈耳二ツ〉とも呼ばれる。清水峠(1448m)からほぼ南にのびてきた上越国境をなす稜線が,直角に向きを変えて西に転ずる場所に位置する。北側にある武能(ぶのう)岳(1760m),茂倉(しげくら)岳(1978m),一ノ倉岳(1974m),西側にある万太郎山(1954m),仙ノ倉山(2026m),平標(たいらつぴよう)山(1984m)など,清水峠と三国峠との間にある山々を含めて谷川連峰と総称する。谷川岳周辺は山稜の非対称性が顕著で,魚野川の源流部をなす新潟県側の西および北斜面が比較的ゆるやかなのに比べ,群馬県側の湯檜曾(ゆびそ)川の支流が刻む東斜面や,谷川の源流部をなす南斜面には急な岩壁が続いている。最も急な部分は東側の一ノ倉沢,幽(ゆう)ノ沢,マチガ沢周辺と,南側の俎嵒(まないたぐら)周辺で,岩登りのメッカとしても知られている。これらの急崖は稜線の東側と南側を通る断層によるものと考えられ,断層の延長上では湯檜曾,水上,谷川の各温泉が湧出している。
谷川岳は日本海側と太平洋側との気候区界をなし,また冬季には日本海からの北西季節風をまともに受けて積雪が多い。谷川岳の南には天神平スキー場(標高1320m)がある。また一ノ倉沢は冬季,北西季節風によって西側(風上)斜面から吹き払われた雪や,まわりの急な谷壁から落下した雪が厚くたまり,本州で最も低い高度(約1000m)で越年雪渓が残る場所である。カール状の地形をなす天神平や,U字谷状の一ノ倉沢は,氷期には氷河の浸食を受けていたと考えられている。谷川岳周辺の植生も多雪山地の特徴をよく示しており,ブナ林が山腹を密に覆い,稜線付近はササ原となっていて,亜高山帯の針葉樹林が欠如している。
谷川連峰は上信越高原国立公園に含まれ,主として東京方面からの観光客,登山客が多い。おもな登山口には,土合(どあい)口,土樽(つちたる)口,谷川温泉口があり,1960年には土合から天神平までのロープウェーが完成し,山麓から3時間足らずで山頂まで行けるようになった。しかし谷川岳を特に有名にしているのは,岩登りの困難さと遭難者の多さである。1931年に上越線が全通して以来,谷川岳は東京に近く,しかも本格的な岩場をもつ山としてクライマーの人気を集めてきた。一ノ倉沢の奥にそびえる衝立(ついたて)岩,烏帽子岩,コップ状岩壁,滝沢などの困難な岩壁が次々と征服されていった歴史は,そのまま日本の岩登りの歴史といっても過言ではない。しかし,天候が急変しやすく,積雪や雪崩の多い谷川岳では,岩壁の険しさともあいまって,1931年以来すでに781人の遭難者を出しており(2005年現在),〈魔の山〉と呼ばれることも少なくない。このため群馬県は67年に谷川岳遭難防止条例を施行し,とくに冬季の登山や岩登りの規制を行っている。
執筆者:小野 有五
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