量子力学的な系が一つの定常状態から他の定常状態に移る確率。一例として原子による光の吸収を考えてみる。光がないとき原子は量子力学的に許される状態の一つ(ふつうは最低のエネルギーをもつ基底状態)にある。これらの状態は時間が経過しても変化しないので定常状態と呼ばれる。原子に光をあてると,原子は光を吸収して別の(少しエネルギーの高い)定常状態に移ることが可能になる。このような過程の起こる頻度を表すのが遷移確率である。
量子力学では,この種の問題を一般化して次のように扱う。主として考えている系(今の例では原子)を非摂動系と呼び,それが孤立しているとき,いくつかの定常状態をもつとする。付加的な系(今の場合は光)が存在して,非摂動系との間に摂動と呼ばれる相互作用があると,非摂動系は一つの定常状態に永久にとどまっているのではなく,いくつかの定常状態の間を移り歩く。初め一つの定常状態にあった系が,時間tにわたって摂動をうけた後に別の定常状態に見いだされる確率は,摂動が十分小さければtに比例するので,時間に無関係な単位時間当りの遷移確率を定義することができる。定常状態aとbの間のこの遷移確率は,摂動Vの行列要素の自乗|(a|V|b)|2に比例するので,量子力学に基づいて計算することができる。原子による光の吸収の場合,摂動としてもっとも重要なものは電子のつくる電気双極子モーメントと光の電場との相互作用であり,その行列要素が吸収スペクトルを決定する。真空放電などで励起された原子が自発的に基底状態におちて発光するときも,放出する光と電子との間に同じ相互作用があって,その遷移確率によって発光スペクトルが決まる。分光学で用いられる振動子強度は遷移確率に比例する量であり,選択則は遷移確率が0になるかならないかを表す規則である。
遷移確率の大小はさまざまな現象を支配する。多くの原子核は自然崩壊するが,その寿命はα線,β線,γ線の放出過程による遷移確率の逆数である。また金属の電気抵抗は,格子振動や不純物の散乱によって電子が運動量の異なる状態へ移る遷移確率によって決まる。
執筆者:鈴木 勝久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
系がある定常状態からほかの定常状態へ単位時間に遷移する確率.二つの定常状態をn,mとし,そのエネルギーを En,Em とすると,Em > En のとき,n状態からm状態への遷移確率はρ Bm→n で与えられ,m状態からn状態への遷移確率は
ρ Bm→n+ Am→n
で与えられる.ρは放射エネルギー密度である.Bn→m,Bm→n はそれぞれ誘導放出および誘導吸収に対するアインシュタインの遷移確率係数といわれ,
で与えられる.Am→n は自然放出に対する遷移確率係数で,
で与えられる.ここで,μmn は状態m,n間の遷移モーメント,νは遷移に相当する光の振動数,hはプランク定数,cは光速度である.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
量子的状態が他の量子的状態に移っていく確率のことで、転移確率ともいう。たとえばエネルギーの高い状態にある原子は原子内電子が電磁場と相互作用し、その結果エネルギーの低い状態に移っていく。この場合の単位時間当りの遷移確率は、電子と電磁場の相互作用を与える演算子の、前後の電子の状態a・bに関する行列要素をhab、放射される光の状態も考慮したあとの状態の数をρとすれば(2π/ħ)|hab|2ρで与えられる。ただし、ħ=h/2π(hはプランク定数)。遷移前後でエネルギーが保存されない場合のこの確率はゼロとなる。
一般に量子的状態aが状態の遷移を引き起こす作用によって他の定常状態bに遷移していく場合も遷移確率というが、遷移確率はかならずしも作用の行列要素の絶対値の2乗に比例するとは限らない。先にあげた原子内電子の例は、この作用に与える電子と電磁場の相互作用が弱いためである。
[田中 一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ここで原子の角運動量が離散的な方向のみをとること(方向量子化)が見いだされ,一方では座標軸は任意の方向に設定できるので,理論はパラドックスに逢着したことになる。原子原子スペクトル
[遷移確率]
アインシュタインは原子における一つの定常状態から別の定常状態への電子の遷移は確率的におこるとし,その確率を電子に当たる光の強度に比例する部分(誘導遷移)と光なしでも残る部分(自発遷移)に分けた(1916‐17)。ここで,古典統計力学で用いられてきた人間の無知の表現としての確率でなく,内在的な確率が物理学に導入された。…
※「遷移確率」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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